この映画、猫が出てます

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黒猫(1934年)

ハンガリーの要塞の跡地に住む建築家は異常なコレクションを隠していた・・・。ホラーの二大スター『フランケンシュタイン』のボリス・カーロフと『魔人ドラキュラ』のベラ・ルゴシの一騎打ち!

 

  製作:1934年
  製作国:アメリ
  日本公開:1934年
  監督:エドガー・G・ウルマー
  出演:ボリス・カーロフベラ・ルゴシ、デビッド・マナーズ 他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    館で飼われている猫
  名前:なし
  色柄:黒


◆ユニバーサルの怪物

 毎夏恒例のホラー映画、昨年は『フランケンシュタイン』(1931年/監督:ジェームズ・ホエール)をご紹介しましたが、今回はそのフランケンシュタインの怪物を演じたボリス・カーロフと、吸血鬼ドラキュラ像を『魔人ドラキュラ』(1931年/監督:トッド・ブラウニング)で確立したベラ・ルゴシの両巨頭が共演するこの映画を選びました。『魔人ドラキュラ』の初公開は1931年2月、『フランケンシュタイン』は同5月、その後『フランケンシュタイン』で好評を博したボリス・カーロフを主役に『ミイラ再生』(監督:カール・フロイント)が1932年に製作・公開され、ミイラ物の原点となるなど、ユニバーサル映画はモンスター映画を次々と全世界に発信し続けました。この『黒猫』もユニバーサル映画です。
 エドガー・アラン・ポーのあまりにも有名な同名の小説に着想を得た、とタイトルバックに書かれているのですが、もはや共通点を見つけることが難しいほどに異なっていますので、この映画はこの映画で別物として味わいましょう。映画は公開当時大好評で、撮影期間はわずか19日間だったということです。

◆あらすじ

 第一次大戦後、ピーター・アリソン(デビッド・マナーズ)とジョーン(ジャクリーン・ウェルズ)の新婚旅行中の夫婦が、オリエント急行で一人旅の紳士(ベラ・ルゴシ)と相席する。紳士は精神科医のヴィトスと名乗り、夫妻の目的地近くのハンガリーの要塞の跡地に旧友で高名な建築家のポールツィグを訪ねに行く、と語る。博士は18年前に妻と娘を残して出征し、ロシアの捕虜収容所で15年過ごして戻ったという。
 迎えに来たヴィトスの召使も合わせ4人は駅からバスに乗る。豪雨でスリップし、運転手は死亡、ピーターの妻のジョーンは気を失い、4人はポールツィグ邸に助けを求める。
 ポールツィグ(ボリス・カーロフ)は、鋭い目つきの陰気な男。ヴィトスは、ポールツィグが戦争中指揮官としてこの要塞を捨てて1万人の部隊を全滅させ、捕虜として自分は長年苦しむことになったと非難し、妻と娘はどこだと問い詰める。ポールツィグは、ヴィトスの妻に横恋慕し、彼女にヴィトスは死んだと偽って一緒に渡米しようとしていたのだった。
 皆が寝静まった夜更け、ポールツィグはヴィトスに、お前の妻に会わせよう、と声をかける。
 ポールツィグが案内した部屋には、死んだヴィトスの妻の立像がケースの中に保管されていた。ポールツィグは同様に何人もの女性を剥製にしてコレクションしていた。ポールツィグは、ヴィトスの妻は肺炎で死んだ、娘も死んだ、と話す。ヴィトスは隠し持っていたピストルでポールツィグを撃とうとしたが、通りかかった黒猫にパニックを起こし失敗する。
 翌朝、目を覚ましたピーターの妻のジョーンにポールツィグがみだらな目を向けたのにヴィトスは気づいた。ジョーンはこの屋敷を気味悪がってピーターと一緒にすぐに発とうとしたが、召使たちに別々の部屋に監禁される。ヴィトスは、ポールツィグは悪魔崇拝主義者で、今夜の儀式にあなたを使おうとしているとジョーンに警告し、時を待って奴に復讐すると話す。
 ヴィトスがジョーンのいる部屋を去ったあと、若い女性が飛び込んできて、ポールツィグの妻のカレン(ルシル・ランド)と名乗る。ヴィトスの娘だと気づいたジョーンは、お父様は生きていてここに来ていると話すが、ポールツィグがやって来てカレンを連れ去り、カレンの悲鳴が響く。
 悪魔崇拝の儀式が始まり、司祭のポールツィグの前にジョーンが引き出されたが、ヴィトスはすきを見てジョーンを救い出す。ヴィトスは娘のカレンがポールツィグに殺されたのを知って、ポールツィグに残虐な復讐をするが、監禁されていた部屋から逃げ出したピーターに、ジョーンに危害を加えていると誤解されピストルで撃たれてしまう・・・。

◆看板に偽り

 映画の始まり、猫の黒い影が斜めに伸び、タイトル『The Black Cat』がバーンと出れば、誰もが黒猫が主役の怖い話と思うはずですが、あらすじを読んでお分かりの通り、猫はちっとも重要な役を与えられていません。
 始まって18分になろうとする手前、ヴィトスとポールツィグとピーターが雑談をしていると、突然ヴィトスが恐怖に顔を引きつらせて硬直します。ポールツィグの飼っている黒猫が通り過ぎたのを見てそうなってしまったのです。ヴィトスがテーブルの上のナイフを投げつけ、猫はここで死んだとされます。
 ポールツィグがピーターに、彼は極端な猫恐怖症なのだと説明し、ヴィトスと「黒猫は悪魔の化身」「不死の悪魔として一番近くにいる生き物に乗り移る」「黒猫は永遠の命を持つ」などと話します。そんな言い伝えを背景にこれから殺された猫が復讐するのか、と期待が高まるところですが、それっきり。
 そのあとで、ポールツィグが黒猫を抱いて女性の剥製のコレクションを見て回ります。黒猫は殺されたはずでは? 何匹も飼ってるの? と少々混乱します。さっきの会話の通り、黒猫は永遠の命の持ち主、殺されても死ななかったのでしょう。けれどもこのシーンでは死んだはずの黒猫が生きていたということを少しも強調していないので、黒猫がいる理由に気づく人はほとんどいないのでは。
 そのあと最後に猫が登場するのは、人身御供として監禁されたジョーンの部屋に、ヴィトスの娘のカレンが猫に続いて飛び込んでくる場面。ここでもカレンが部屋に入ってくる理由がわからないのですが、補って解釈すると、おそらく猫を追いかけて意図せず入ってしまったのではないかと思います。到底猫を追いかける演技には見えませんが、そう解釈するよりしかたなさそうです。
 そして、ヴィトスがなぜ猫恐怖症なのかも説明がありません。これも無理やり補って解釈すれば、ドラキュラが十字架を怖がる如く、正しき人ヴィトスは、悪魔の化身・猫を見ると拒絶反応を起こしてしまうのではないでしょうか。
 古いホラー映画の雑な演出に度々言及してきましたが、こういう穴の抜けたような部分を見つけて自分なりに解釈を加えるのも一つの楽しみと思えます。この映画の場合は「この内容でタイトルが『黒猫』ですか?」というのが最大のツッコミどころでしょう。
 とはいえ、この映画に抜擢された黒猫のしぐさは実に優雅で猫々しい。せっかくいい猫を使ったのにただの脇役で、宝の持ち腐れです。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆二人の違い

 冒頭で言った通り、この映画は『フランケンシュタイン』のボリス・カーロフと『魔人ドラキュラ』のベラ・ルゴシの、ホラー映画の二大スターの共演が見どころですが、彼らの俳優としての違いがよくわかると思います。
 ベラ・ルゴシは、『魔人ドラキュラ』の大成功のあとに企画された『フランケンシュタイン』で、怪物役のオファーを受けたそうですが、セリフもないこの役を断ったのだそうです。それに対し、怪物役を引き受けたボリス・カーロフは、自ら進んで役作りに励み、大成功を納めます。『フランケンシュタイン』の記事でお話しした通り、その演技はただのモンスター役者のそれではありません。
 『フランケンシュタイン』や『ミイラ再生』で見せた特殊メイクによるキワモノの主人公に比べ、この映画の、かつては戦闘を放棄した指揮官であり現在は高名な建築家のポールツィグは、見た目はだいぶまともですが、隠された異常性の持ち主。ボリス・カーロフは抑制された演技で、それを巧みに臭わせています。
 一方のベラ・ルゴシは、ポールツィグによって妻を盗られたばかりか、その死後、娘までポールツィグの妻とされ殺されてしまうという悲劇の主人公にして、ジョーンを救うというヒーロー役。ベラ・ルゴシは、そんなヴィトスをカッコよく悲劇的に、舞台俳優のようなオーバーな表情や声、身振りで演じています。
 二人を見ていると、ボリス・カーロフはエンターテインメントたる映画の表現技術の可能性に目を向け、その最大の効果を発揮するために自分自身をいかようにも変化させることができた役者、ベラ・ルゴシは自身を美しく見せ、個人的魅力で観客を惹きつけるアイドル(偶像)志向の役者だったと思えます。

◆美しき犠牲者

 この映画最大のインパクトは、ポールツィグがコレクションした美女の剥製。一人一人ガラスケースの中に飾られ、照明の中、薄手の服をまとい神秘的に宙に浮かんでいます。特に美しいのはヴィトスの妻だったカレン。長い髪が下から上に向かって炎のように立ち上り、眠っているかのよう。ヴィトスの娘でポールツィグの妻になったカレンと一人二役です。ほかの女性たちは悪魔崇拝の儀式で捧げられたのか、人身御供に選ばれたジョーンと同じような服を着ています。
 娘を殺されたヴィトスは、ポールツィグを捕えて拷問台に腕を吊るし、「生皮をはいでやる、皮をはがれた動物と同じ目に遭わせてやる」と言い、傍らにはポールツィグがコレクションの製作のため使っていたのか、手術用の器具のような物がズラリ。ヴィトスがポールツィグの服を乱暴に切り裂き、ボリス・カーロフの裸の上半身が露わになります。筋肉はそれほど厚くないですが、脂肪のほとんどない引き締まった肉体。このあたりの描写はちょっとエロチックですね。
 ポールツィグの悪魔崇拝の儀式は、衣装も装置も安っぽく演出もおざなりで、ボリス・カーロフの演技がなければ学芸会レベル。もう少しセットや照明を工夫すればゴシックホラーとしての迫力が出たはずです。監督のエドガー・G・ウルマーは、ドイツのバウハウス(建築・美術・工芸などの先進的なデザインの学校)の建築に魅せられていたそうで(注)、ポールツィグの設計したモダニズムの館のセットや、元祖デジタル時計などの小道具の方に予算とエネルギーを使ってしまったのでしょう。

◆監督のこだわり

 第一次大戦を背景としたこの映画には、各国を表すクラシックの名曲が使われています。舞台がハンガリーでヴィトスがハンガリーの医師だからか、ハンガリーに伝わる曲をもとにベルリオーズが作曲した「ラコッツィ行進曲」、ポールツィグがオーストリアの建築家なのにちなんでか、オーストリアゆかりのシューベルトベートーヴェン交響曲。タイトルバックや、ピーターとジョーンのロマンスのテーマとしてチャイコフスキーの「ロミオとジュリエット」。ロシアのチャイコフスキーの曲が選ばれたのは、ヴィトスが15年過ごしたのがロシアの捕虜収容所だったからだと思います。
 人物としても、アメリカ人のピーターとジョーン夫妻、お国自慢のハンガリー憲兵などが登場。
 ウルマー監督は第一次大戦で解体したオーストリア=ハンガリー帝国の出身で、のちアメリカに渡ったそうなので、『黒猫』にはそんな経歴が反映されているのでしょう(ピーターが時々アメリカっぽい軽口やジョークを披露するのが笑わせます)。そんなこだわりの設定を考えているうちに、どんどんエドガー・アラン・ポーからかけ離れていったのでは? ウルマー監督はこの『黒猫』をとても気に入っていたそうです。

 ピーターに撃たれ、最期を悟ったヴィトスはポールツィグを道連れに・・・。

 映画の最後には、「エッ」と一杯食わされたようなオチが待っています。立役者はピーター。
 この頃のホラーは、なぜ恐怖の余韻をぶち壊すようなエンディングが多いのでしょう。当時の映画業界の自主規制の中、残虐、怪奇、エロチックなどの批判をかわすため「これはただの作り話ですから、本気にしちゃダメですよ」という逃げ道として、そんな締めくくりを設けていたのではないかと思います。

 

(注)『黒猫』に関連するウルマー監督についての記述はブルーレイ『フランケンシュタイン』(2016年)の特典「ユニバーサル・ホラー制作秘話」の、ウルマー監督の娘アリアンヌ・ウルマー・サイプスのインタビューを参考にしました。

◆関連する過去作品

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