縁起でもないタイトルと題材ながら大ヒット。今見るとちょっと懐かしい、昭和のお葬式。
製作:1984年
製作国:日本
日本公開:1984年
監督:伊丹十三
出演:山崎努、宮本信子、菅井きん、大滝秀治、他
レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆☆(脇役級)
主人公の家の飼い猫
名前:ニャン吉
色柄:茶白のブチ
◆パーソン・イン・ブラック
会社員だった頃、私は人事・総務系の部署にいたので、社員や社員の身内の方にご不幸があると、よく葬儀の手伝いに行きました。経理の人たちは香典チェック係。手伝い以外にも、葬儀が寂しくならないようにと、お通夜と告別式に弔問に行く人数をそれぞれ等分に割り振ったり、葬儀は大事な仕事でした。それが、平成半ばくらいになると、だんだんと、身内だけで葬儀をすませるからと、弔問、お手伝い、お香典、お供物を固辞するお宅が増えてきました。会社の規定の弔慰金は、香典袋に筆書きしてお渡ししていたのですが、それもついにはキャッシュレスで口座振込となり、葬儀が社員のご親族のときは、社内は何事もなかったかのように静かになってしまったのでした。
◆あらすじ
井上侘助(山崎努)と雨宮千鶴子(宮本信子)は俳優夫婦。ある日、母(菅井きん)と二人で暮らしていた千鶴子の父の急死の知らせが届く。二人はマネージャーと子供と猫とともに、車で東京から伊豆に駆け付ける。葬儀は両親の家で行うことになった。
翌朝、侘助と千鶴子が通夜の準備をしていると、侘助の付人と一緒に手伝いに来た侘助の愛人の良子(高瀬春奈)が場違いな奇声を出して騒ぎ出す。良子を外に連れ出した侘助に、良子は抱いてと迫る。侘助は仕方なく言うことを聞き、良子を追い返す。
老人会のゲートボール仲間のおばあちゃんが棺にとりすがって号泣したり、近所の女性たちが台所周りを手伝ったり、酒を飲んで男どもがなかなか腰を上げなかったりなど、騒々しかった客たちが帰ったあと、母と千鶴子と千鶴子のいとこのシゲ(尾藤イサオ)とが、水入らずの通夜を過ごす。
告別式当日。火葬場の煙突から立ち上る煙を眺め、しんみりする親族たち。侘助は火葬場から戻ってみんなに挨拶をしなければならず、緊張気味。精進落としの料理を前に口を開こうとすると、思いがけず母が「喪主だからご挨拶をしたい」と進み出る…。
◆堂々たるニャン吉
猫好きの伊丹十三監督が、帽子をかぶってブチ猫を胸に抱いている写真を見たことがありますか? その写真の猫が『お葬式』のニャン吉だそうです。撮影中に撮られたスナップ写真のようです。
ニャン吉は、侘助一家が車で伊豆に向かう場面からお通夜までの間に登場します。初め、この映画を見たとき、ニャン吉は亡くなったお父さんの飼い猫だと思っていました。お父さんがニャン吉を自慢していたという、お通夜に来た老人会の仲間たちのセリフがあったからです。でも、お父さんが亡くなって、侘助一家が駆け付けるときの車内にニャン吉がいるので、変だなと思ってよく見てみると、老人会の仲間は、東京に住む侘助夫妻が、伊豆の父母の家に来るときにしょっちゅうニャン吉を連れて往復していたけれど(ニャン吉は)文句ひとつ言わないと(お父さんが)言っていた、と話しています。自分の娘夫婦の飼い猫の自慢を老人会の仲間にするなんて、お父さんもなかなか猫好きだったようです。
この絶妙なやり取りを繰り広げる老人会の4人は、戦前戦後の日本映画の名バイプレイヤーたち。右から伊丹監督の父・伊丹万作がシナリオを書いた『無法松の一生』(1943年/監督:稲垣浩)、『手をつなぐ子等』(1948年/同)で、どちらも主人公の父親役を演じ、時代劇で活躍した香川良介、クセ強めの関西人を数多くの映画で演じた田中春男、ニャン吉を抱いているのが黒澤明や成瀬巳喜男監督作品の常連・藤原釜足、左端がサイレント時代から小津安二郎の映画などで活躍した吉川満子です。相手をする宮本信子も、圧倒されてたじたじになっているようです。
ニャン吉が大物らしい演技力を発揮するのが、お通夜の日の朝。祭壇が準備された居間に、スタスタと出てきたと思ったら、いきなり畳に寝っ転がり、周りに人がワサワサしていても、目もくれずマイペース。猫は慣れない環境だと借りて来た猫状態になるはずなのに、このリラックスぶり。私がニャン吉がお父さんの家で飼われている猫だと思ってしまったのは、このニャン吉のあまりにも落ち着き払った態度のせいでもあります。
◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆
◆タブーに斬りこむ
今で言う「お葬式あるある」を集めたこの映画、伊丹十三監督は、死を悼むという本来厳粛であるべき儀式にひょっこり顔を出す、想定外で滑稽な要素に焦点を当ててあざやかに映画化し、世間の絶賛を浴びました。これが監督第一作。
それまであまり表立っては語られなかったことを、丹念な取材に基づきコミカルに活写するというスタイルはその後も貫かれ、『お葬式』で千鶴子を演じた妻の宮本信子を主役に、国税査察官と脱税者の攻防を描いた『マルサの女』(1987年)や、民事介入暴力と戦う女性弁護士を描いた『ミンボーの女』(1992年)などを作りますが、1997年に64歳で謎の死を遂げています。監督業以前から、俳優、エッセイ、イラストなど多彩な才能を発揮。伊丹監督のお葬式はどんなお葬式だったのか…。
故郷の松山市に宮本信子が「伊丹十三記念館」を建て、生前の様々な資料を展示しています。伊丹監督がニャン吉役の猫と写っている写真のポストカードも売っています。
◆慣れない方がいい
『お葬式』のヒットの理由は、リアリティにあると思います。今でこそ、「お別れの会」などを無宗教で行ったり、他人を呼ばず近親者だけの集いとしたり、生前から自分の葬儀を企画・演出したり、と多様化している葬儀ですが、この当時は葬儀社とお寺に言われるがまま、それに、各人が過去に得てきた知識や慣習が混ざり合って(宗教や土着の習慣によって異なるはずなのに、自分の経験を主張してやまない人がいたり)、悲しみと慣れないことで思考停止気味の遺族の周りに、その倍以上の平常心の他人が集まって、ベルトコンベヤー式に事が進行していたように思います。
どこかちぐはぐで迷惑な人の代表が、大滝秀治演じる故人の兄。手広く事業をやって成功しているものだから、人の集まる場で上に立って仕切らずにはいられません(「自分の親戚で言えばあの人だ」などと思う方もいらっしゃるかも)。出棺のときに写真を撮ろうと言い出して流れを止め、みんなに悲しみのポーズのやらせを要求するなど、いますよね、こういう人。7人きょうだいで、千鶴子の父が亡くなったことにより自分一人になってしまったというのに、ちっとも悲しくなさそうで、千鶴子のいとこ(伯父さんと千鶴子の父にとっては甥)のシゲという青年は彼を嫌い、皆が帰って静かになったあと、棺の窓を開け千鶴子の父の顔を見てすすり泣きます。千鶴子の父にはかわいがってもらったのでしょうか。つられて千鶴子も千鶴子の母も泣きだします。親戚間の人間模様も、葬儀という場では鮮明になったりするものです。
◆我慢できない女
『お葬式』で、議論を呼んだのが侘助と愛人の良子の破廉恥なセックスです。ほかの部分は、葬儀で誰もが経験しそうなリアルなエピソードで、観客は共感をもって見ることができますが、この部分は露骨でえげつなく、ましてやそれが葬儀の日に会場の目と鼻の先の野外で、という設定で、異質な雰囲気です。ただ、私は、これが伊丹監督流だと思います。
伊丹監督は、さびれたラーメン屋を流れ者の男が再生させる映画『タンポポ』(1985年)の傍系のエピソードで、食に対する人間の欲求やあさましさを皮肉っぽく描いています。どんなに取り澄ましていても、人間は生きている以上は食欲や性欲から免れられないし、それは時や所を選ばず人間を支配しているという認識が、伊丹監督にはあったと思います。だとしたら、たとえ葬儀という場であろうと、その支配に操られる人間がいたとしても、何らおかしいことではない、ということがあのシーンに込められていたのではないでしょうか。外見はまじめで硬そうな良子の中に、人間という動物のドロドロした欲望がうごめいているという逆説も感じられますが、この場では良子の外見はあまり意味がないでしょう。ここで最も伝えたいはずのことは、生きるために人間に備わっている欲望というものの圧倒的な力だろうと思います。
もうひとつ、このシーンで私が感じるのは、藪の中を走って逃げる良子を侘助が追いかける部分が、溝口健二の『西鶴一代女』(1952年)で、斬首された勝之介の遺言を読んで、井戸に身を投げようと藪の中を走るお春を母が追いかける長回しのシーンを模倣したものではないかということです。伊丹監督が初の監督作品で、クレーンを使ってやや上方から流れるように撮るこの撮影方法を取り入れてみたいと考えてこのシーンを作ったとすると、葬儀会場からほど近い山道で行為に及ぶという設定の不自然さも合点がいきます。
いずれにしても、比較的当たり前のことをつづった『お葬式』の中で、このシーンが最も強烈な印象を残したことだけは間違いありません。
◆願わくは花の下にて
『お葬式』のリアリティのことに話を戻しましょう。
葬儀屋のサングラスの海老原(江戸家猫八)は、海千山千で、その家の懐具合を鋭く嗅ぎ当て、彼らがちょっと無理すれば出せるくらいのサービス料金を提示しているのでしょう。宗派の違うお寺のお坊さん(笠智衆)を呼んで、二人で結託してうまいこと商売しているような。何しろこのお坊さん、ロールスロイスに乗っているくらいですから。
おなかの大きい千鶴子の妹(友里千賀子)、血縁者ではないので控え目なその夫、その子供たちと侘助と千鶴子の子供たちが元気に遊びまわるところなど、親戚の集まりではよくありそうなことです。
火葬場で棺を窯におさめ、蓋を閉めるときは、本当にこれが最後のお別れだと、涙を抑えられないものです。侘助は
「俺は春死ぬことにしよう。俺が焼ける間、外は花吹雪。いいぞ」
と千鶴子に語ります。
◆その時を、その後を
笑ったり共感したりしているうちに映画は終わりに近づき、お母さんが自分から進んでした挨拶は胸を打ちます。
心臓発作で病院に担ぎ込まれたお父さん。最期のときは心肺蘇生措置のため、お母さんは病室の外にいて、みとれなかったのです。お母さんが語るのは「どうせ亡くなるなら、その時を一緒にいてあげたかった」という、愛する者への、真実の人間らしい気持ち。新型コロナでタレントの志村けんさんが亡くなったとき、遺体の顔を見ることもできず、お骨になって戻ってきたのを受け取っただけだったというお兄さんの談話は、私たちにショックを与えました。
心停止が必ずしも死とは言えなくなったり、肉体は生きていても人間としての活動を復活することのできない脳死など、医学の発達によって死の定義も変化を続けています。けれども、人間が、いつどのように死ぬかを選べないという事実は、昔も今も変わりません。色々な医療器具につながったまま、親しい人にお別れも言えずその時を迎えることになるなら、という気持ちが、せめてその後はと、自分らしい葬儀やお墓のあり方を模索する動きにつながっているのではないでしょうか。
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