この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

ハチ公物語

帰らぬ主人を10年近く待ち続け、今も人々の心に灯をともす忠犬ハチ公の物語。


  製作:1987年
  製作国:日本
  日本公開:1987年
  監督:神山征二郎
  出演:仲代達矢八千草薫長門裕之石野真子、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    植木職人菊さんのおかみさんお吉のペット
  名前:サナエちゃん
  色柄:キジ白


◆ハチ公100年

 日本で一番有名な猫の映画として『吾輩は猫である』(1974年/監督:市川崑)をご紹介しましたが、日本で一番有名な犬と言ったら、やはりハチ公でしょう。ハチ公は1923年生まれ。今年生誕100年になります(1935年3月死去)。テレビのニュース番組で毎日一度は必ず映る渋谷のスクランブル交差点。その奥の、JR渋谷駅のハチ公改札から少し離れた一画・ハチ公前広場に「忠犬ハチ公」像が立っています。今も昔も待ち合わせの目印となっている渋谷のシンボル・ハチ公像。携帯電話が普及する前は、ハチ公の周りで待ち合わせする人が多すぎて、約束するときは「ハチ公のしっぽの方で」などと細かく決めておくのがコツでした。
 コロナ流行以後もハロウィンや、サッカーの試合後、新年のカウントダウンなど、止めても止めても大勢が繰り出し羽目を外す人も出る渋谷ですが、ハチ公像そのものがイタズラされたというニュースは聞いたことがありません。誰もがきっと主人を思うハチ公の愛の心を尊び、慈しんでいるからなのでしょう。

◆あらすじ

 1923年、大館で秋田犬の子犬が生まれ、1頭が東京大学農学部教授の上野秀次郎博士(仲代達矢)のもとへ汽車で送られた。上野博士宅では前の夏に犬を亡くしたばかりで、妻の静子(八千草薫)とも悲しい思いをするのでもう生き物を飼いたくないと言っていたが、一人娘の千鶴子(石野真子)が純粋の秋田犬を切望していたのだった。しかし、子犬が着いてわずか数日後に千鶴子は急に結婚が決まり、子犬を両親に押し付けて嫁いで行ってしまう。子犬は開いて踏ん張る前脚が八の字に似ているというのでハチと名付けられる。初めはほかの人に犬を譲ろうと考えていた上野博士は自分で飼うことに決め、目に入れても痛くないほどかわいがる。
 ハチは上野博士が大学に出勤するときは最寄りの渋谷駅に一緒に行って自分で戻り、帰る時間には改札口に迎えに来るのを日課としていたが、1925年5月、博士が大学の授業中に急死。博士の家は売りに出され、夫人は娘夫婦と同居するためハチを浅草の叔父に預ける。ハチは鎖を切って博士がいつも帰る時間に浅草から渋谷駅に通ったり、元の家に戻ってきたりした。上野家の出入りの植木職人の菊さん(長門裕之)が見かねて引き取ったあともハチは渋谷駅に日参していたが、菊さんも急死し、ハチの面倒を見る人は誰もいなくなる。
 月日は流れ、新聞記者が帰らぬ主人を改札口に迎えに来る渋谷駅のハチのうわさを聞きつけて取材に来るが・・・。

◆ハンディサイズ

 ハチ公の飼い主を演じた仲代達矢、『吾輩は猫である』でも吾輩の飼い主・苦沙弥(くしゃみ)先生を演じていました。同じく『吾輩は猫である』で、苦沙弥先生の隣の車屋で猫のクロを蹴っ飛ばしていた春川ますみが、植木職人菊さんのおかみさん役で「サナエちゃん」というキジ白の猫をかわいがっています。
 菊さんは、秋田から渋谷駅に着いた子犬のハチ公を引き取りに行こうとしたときに、サナエちゃんを抱いたおかみさんに「犬は3日飼ったら恩を忘れないって言うが、猫ってやつは3年飼ったって知らん顔してる」と口にします。肩身の狭そうな顔をしてニャ~ンと鳴くサナエちゃん。
 博士の死後、夫人が娘夫婦の海外赴任のため和歌山の実家に戻ることになり、菊さん夫妻のところにハチの面倒を見てほしいと頼むと、気風のいいおかみさんが二つ返事で引き受けます。けれども、菊さんが急死するとおかみさんは家を引き払い、ハチには野良犬として生きるんだよと言い置いて、サナエちゃんだけをバスケットに入れて連れていきます。どんなに主人の恩を忘れない忠犬であっても、おかみさんにはバスケット一つで持ち運べる猫に比べるとお荷物に過ぎなかったのです。
 ハチ公の悲劇はこのように大型犬だったことにあるのでしょう。飼うのに場所も取らず、エサもそれほどたくさんはいらない小型犬だったら、引き取り手はいたのではないでしょうか。そして、この頃の犬は放し飼いが普通でした。街中を犬がウロウロしていても取り立てて珍しくなかったことが、ハチ公を放浪生活に追いやる一因だったのだと思います。
 ペットとしてそんなハチ公と対照的な運命をたどった「サナエちゃん」、菊さんがハチ公を駅に引き取りに行く前半早くと、後半の上野夫人が菊さん宅を訪れる場面の二度、ストレスとは無縁ののんきな姿を見せ、おかみさんがハチを置き去りにするときにバスケットの中で声のみ出演しています。

◆犬派・猫派

 日本では何年か前に飼育頭数では犬より猫が上回ったと聞いていますが、猫は一人で複数飼っている人が多く、飼い主の数では犬の方が多い、と先日どこかのテレビで言っていました。
 私は犬から結構好かれるようです。先日も散歩中の柴犬とすれ違ったとき、犬が伸びるリードをぐんぐん引っ張って私に近づいて、私も少しなでたりしていたのですが、飼い主さんに遠慮して離れたあと、しばらくして振り返って見ると犬はまだじっと立って私の方を見つめ続けていました。そういうところが犬のかわいいところです。が、そんな一途さがちょっと重いと感じる――それが私を気まぐれな猫派に傾けている理由だと思います(本人も性格的に猫タイプですからね)。

 映画の中の犬の描かれ方は比較的定型化しているように思います。この『ハチ公物語』のような人間と犬との絆が描かれるもの、そのバリエーションとして遠く離れた主人に会おうと旅する冒険もの、警察犬や狩猟犬など人間の頼もしいパートナーの役、家庭のペットとして、そして野良犬として。そういう分類ができるのも、犬が人間の要求に沿った演技を訓練によってできるからにほかなりません。おバカな犬の役をおりこうな犬が演じていたりします。
 人間に従うことによって繁栄してきた犬に対し、自発的にネズミなどを捕る以外は人間の邪魔をしたり人間を下僕のようにあしらう猫が一方の繁栄を極めているとは。かわいさを武器に進化してきた猫の生存戦略は恐ろしくしたたかです。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

      

◆史実とフィクション

 史実の通りにハチ公の生涯を描いているように見えるこの映画ですが、一部異なっているところや、省略されているところもあり、おおむね史実に基づくが一部はフィクションと認識しておいた方がいいでしょう。生まれたのはドラマチックに大雪の12月と描かれていますが11月ですし、上野博士の名前も実際は英三郎(ひでさぶろう)です。上野博士の家族のハチへの関わり方についても、映画の通りかどうかは疑問です。

 なぜこの部分が省略されたのかと特に思うのが、新聞記事でハチが有名になり、「公」という尊称を付けて呼ばれるようになって、たくさんの寄付や見舞金が寄せられ、生前の1934年に銅像が建てられたということです。4月21日の除幕式には上野夫人もハチも参加していたということ。また、ハチの名を広めた新聞記事も、映画では1928年に記者が書いたように描かれていますが、1932年の日本犬研究家の斎藤弘吉氏の寄稿によるものだということです(注1)。その1932年に銀座松屋の屋上で行われた第一回日本犬全国展覧会には、ハチも特別招待犬として参加していたといいます(注2)。
 さらに銅像が建てられた年の5月には、銅像を作った彫刻家の安藤照氏の鋳造「忠犬ハチ公臥像」が天皇皇后両陛下に贈られていたというのです(注3)。

 ただただ上野博士の面影を胸に抱きながら、雪の降りしきる朝、みじめな野良犬として生涯を閉じたと描かれる哀れなラストの前に、こうした輝ける日々があったことが映画からなぜスポンと抜けているのでしょう。
 ハチ公の話は戦前の国定の修身の教科書に「恩ヲ忘レルナ」という題で掲載され、忠君愛国思想に利用されたという見方もありますが、そうした立場でハチ公を評価する人々からの批判を回避するため省略されたのでしょうか。神山征二郎ヒューマニズム系の監督、脚本の新藤兼人は特に反戦の姿勢を貫いた人で、もとはそのあたりに踏み込んだシナリオだったのではないかとも思えます。『ハチ公物語』は文部省選定、その他各団体推薦多数と、多方面への色々な忖度が働き、無難なハチ公と先生の愛情物語にとどめたのでしょうか。銅像が建てられた一方でハチの保護についてどのような動きがあったのかも不明です。かわいそうなハチ公、と感傷的なムード重視になってしまっているのは、日本映画らしい弱点という気がします。
 戦争中、ハチ公の銅像は金属供出のため鋳つぶされ、今の像は1948年に再建された二代目だそうです。「忠犬」の「忠」の字はよそう、という議論もあったそうですが、初代と同じく「忠犬」の名を引き継ぎ(注4)、ハチ公は今日も再開発で激しく変貌する渋谷と駅の改札口を見つめています。生誕100年を機に、ハチ公の犬生がもう一度正しく考察されることを願ってやみません。

アメリカのハチ

 『ハチ公物語』は、2006年にアメリカで『HACHI 約束の犬』として、犬が登場する数々の名画で知られる犬好きのラッセ・ハルストレム監督によってリメイクされました。主演はリチャード・ギア。音楽教授という設定です。
 迷子で登場する子犬時代のハチはどう見ても柴犬ですが、成犬のハチはモデル通り堂々たる秋田犬(洋犬に置き換えられなくてよかった!)。『ハチ公物語』では、駅前の焼鳥の屋台の夫婦がハチに焼鳥をやりますが、リメイク版ではホットドッグ屋がソーセージを。また、駅近くの本屋の店主が菊さんのおかみさん的存在で、子犬を拾った先生が飼わないかと言うと、茶トラ猫のアントニアが子犬に猫パンチ。話はなかったことに。
 亡くなった上野博士の葬儀の祭壇に向かってハチが悲しげに吠えたり、霊柩車を追っていつまでも走っていくというお涙頂戴式の演出や、人間のエゴが目立つのが日本版。一方、アメリカ的だなと思うのは、ハチを取材に来た新聞記者に、俺がハチの面倒を見てるんだとアピールする駅員のキャラクター。

 日本版もアメリカ版も、小学生でもわかる内容だし、ストーリーは知っているし、泣かせにくるのはわかっている、と思って見たのに、先生と無邪気にたわむれている場面から涙がポロポロ・・・。恐るべし、犬の映画。


(注1、3、4) Wikipedia「忠犬ハチ公」より
(注2) 公益社団法人日本犬保存会ホームページ「日本犬保存会とは/歴史」より   
     その他、大館市観光協会ホームページ「どだすか大館/ハチ公について」を参考に
     しました。

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