この映画、猫が出てます

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ベラのワンダフル・ホーム

600キロ離れた飼い主のもとを目指す犬のベラ。その道のりは多くの動物と人と苦難との出会いだった。


  製作:2019年
  製作国:アメリ
  日本公開:2019年
  監督:チャールズ・マーティン・スミス
  出演:ジョナ・ハウアー=キング、アシュレイ・ジャッド、アレクサンドラ・シップ、
     ブライス・ダラス・ハワード(声の出演)、他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    ベラの面倒を見るお母さん猫
  名前:ママ猫
  色柄:キジ白
  その他の猫:ママ猫の子どもたちほか、廃屋の床下に住みついた猫たち


◆美しい犬

 人間と犬の絆を描く映画の一類型としての、犬の冒険もの。原作と脚本のW・ブルース・キャメロンは、映画『僕のワンダフル・ライフ』(2017年/監督:ラッセ・ハルストレム)と、その続編『僕のワンダフル・ジャーニー』(2019年/監督:ゲイル・マンキューソ)でも原作と脚本を担った、犬の物語のベストセラー作家。ある犬の魂が別の犬に転生する前2作に対し、この『ベラのワンダフル・ホーム』は1匹の犬の物語。原題は『A Dog's Way Home』。3つの映画の原題すべて『A Dog's』で始まるので、3つは姉妹編と言えるでしょう。なのに『ベラのワンダフル・ホーム』が邦題で『僕の…』とならなかったのは、主人公のベラがメスだから。「ベラ」とは「美しい」という意味です。

◆あらすじ

 コロラド州デンバーの廃屋の床下に野良猫や野良犬がたくさん住み着いていた。動物管理局の職員が捕獲にやって来たが、何匹かの犬や猫が残された。猫のエサやりに来た青年ルーカス(ジョナ・ハウアー=キング)とガールフレンドのオリヴィア(アレクサンドラ・シップ)の前に1匹の子犬が飛び出し、ルーカスはその犬を家に連れ帰ってベラと名付ける。母(アシュレイ・ジャッド)もベラを気に入り、ベラも母子を気に入った。ルーカスは働いている退役軍人病院にベラを無断で連れて行ってバレてしまうが、ベラはセラピー犬の役目を担うようになる。
 そんなある日、動物管理局から、ベラはピットブルという危険な犬種とみなされたので、自宅外で見つけたら捕獲して安楽死させると言われる。ルーカスと母はベラのためにデンバーから引っ越すことにし、その間600キロ離れたニューメキシコ州のオリヴィアのおじさんのところにベラを預けたが、ベラはルーカスのもとに戻ろうと逃げ出してしまう。
 ベラはコロラドの山中でハンターに母親を撃たれたピューマの子どもと出会い、ビッグ・キトゥン(大きい子猫)と呼んで母代わりに面倒を見るが、生き方の違う2頭はやがて別れることになる。ベラは山に住む男性たちに拾われたり、街へ降りてホームレスの男性と共に過ごしたりした。
 再び山道を旅して狼たちに囲まれたベラは、一人前に成長したビッグ・キトゥンに助けられる。やがて遠くにデンバーの町が見え、ベラは2年半の月日を経て懐かしいルーカスの家にたどり着くが…。

◆猫の愛

 映画が始まるといきなりたくさんの猫が画面に登場します。ここはルーカスの家の前の廃屋。ルーカスは動物愛護団体を通じて、猫たちが住み着いているので廃屋を取り壊さないようにと頼んでいます。その床下で生まれたベラは、猫たちを追い出して廃屋を処分しようとした持ち主が動物管理局に捕獲を依頼したために母やきょうだいを失いますが、そこに残った猫のうちの1匹・子育て中だったママ猫に育てられます。まん丸いくりくりした目のまだ若いママ猫は、おなかと足先が白い三毛っぽいキジ白猫。
 ママ猫は、この導入部のほかに、ベラがデンバーに戻ってきたとき再登場します。再会を喜んだのも束の間、ベラがそこを去るときママ猫はその後姿を見送っていますが、ベラが振り返るともうそこにはいません。ベラは「これが猫流のお別れ」とつぶやきます。コロラドの山中からデンバーの街並みを見つけ、そこに向かおうとするベラをビッグ・キトゥンがママ猫と同じように後ろから見送り、振り向いたときには音もなく姿を消していたのを思い出したのです。
 犬とほかの動物という垣根を越えて親子のように仲睦まじくしていたはずなのに、2匹とも素っ気ないお別れ。ベラにはネコ科の気持ちが不思議に思えたようです。
 なお、ピットブルは闘犬をやったりする犬種で、この映画のように飼育に規制のある地域があるそうです。ベラはピットブルと似た特徴があったために「みなしピットブル」とされてしまったのです。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

      

◆ゴー・ホーム

 人間の目から見ての犬として犬を描くストーリーと違い、『ベラのワンダフル・ホーム』を含む3つの姉妹編は、すべて主人公の犬の主観のナレーションで犬の気持ちが語られます。動物映画では動物同士が人間語を話し、動物の社会が人間社会のアナロジーになっているものもありますが、この3本とも人間語の語り手は主役の犬のみ。ベラの独白は、お利口そうでちょっぴりピントのはずれた犬々しい解釈でいっぱい。それなのに人間はつい、犬が人間と同質の存在と勘違いしてしまいます。
 犬は犬の流儀で生きているのです。動物管理局から今度外に出したら捕まえると言われ、万一に備え「ゴー・ホーム」と命令すればベラがひとりで家に帰れるよう訓練したのに、いざというときベラは「ゴー・ホーム」と言われてもルーカスを守ろうとして動こうとしません。

 この映画で特筆すべきなのはコロラドの美しい自然景観。飼い主のもとを目指して犬猫がはるばる旅をする物語として、1963年のディズニー映画『三匹荒野を行く』(監督/フレッチャ―・マークル)を思い出す方もいらっしゃるでしょう。この映画でも美しいカナダの映像を見ることができましたが、当時とは比較にならないほどの撮影技術の向上によって、山岳地帯のダイナミックな自然がくっきりと広がり、目も心も奪われます。木々が色づく秋、凍てつく冬の雪の白さ、映像の情報量が豊富になった分、その場の温度や物音までが臨場感たっぷりに伝わってくる気がします。
 そして『ベラのワンダフル・ホーム』には犬・猫のほかにもたくさんの動物が登場します。リス、キツネ、ウサギ、ヘラジカ、オオカミ…もちろんピューマのビッグ・キトゥンはCG。動物同士の絡みも一部CGが見られます。空を飛ぶ鳥は映画ではかなり昔からアニメーションを合成して描かれてきましたが、この映画でもそんな風情の鳥の群れが見られ、懐かしさを覚えました。

◆アニマルウェルフェア

 映像以外にも『三匹荒野を行く』の時代から大きく進歩しているのは、アニマルウェルフェア(動物福祉)と多様性の視点です。
 アニマルウェルフェアとは、人間が動物を利用するにあたって、その動物の本来の性質に合った生育環境を用意したり、苦痛や恐怖をなるべく与えないよう配慮したりすることです。かつて茶トラの子猫が主人公の日本映画で、急流を箱に乗って流されるシーンがあり、その撮影のために子猫が何匹も死んだといううわさが流れたことがありましたが、アニマルウェルフェアの観点からは実際に死んだかどうか以前に、子猫を箱に入れて川に流すということ自体が猫に恐怖と苦痛を与えるとして、問題となる行為です。
 また、その映画でも『三匹荒野を行く』でも、主役の動物の最大のピンチとしてクマとの遭遇というシーンがありました。訓練されたクマだとは思いますが、相手の動物にとっては恐怖でしかありませんし、クマの気が変わって襲わないとも限りません。ベラの映画を見ているときも、いつクマが出るかとヒヤヒヤしていたのですが、最大のピンチはオオカミの群れで、CGの上、目をそむけたくなるほどの闘いにはなりませんでした。
 ルーカスが、床下に猫が住み着いているので廃屋を撤去させないよう動物愛護団体と見守っているというのも、今日的です。
 アメリカではアニマルウェルフェアを推進する非営利団体American Humaneが、映像作品における動物の取り扱いの監視を行っています。エンドクレジットの「この映画では動物に危害は加えられていません」という、この団体による文言やマークを目にしたことがあるのでは。ベラの映画にも表示されています。

◆多様性

 さて、犬の冒険映画と聞いたとき、主人公の犬がオスだと思わなかったでしょうか。冒険や戦いというと伝統的に男性のものでしたが、現在は女性が戦いに挑む映画が数多く作られています。けれどもまだまだ私たちは無意識の刷り込みから自由になっていません。メス犬を主人公としたばかりでなく、この映画は女性性についての肯定的な見方や、多様なキャラクターをちりばめています。
 親をなくしたベラを育てるママ猫、同じように一人ぼっちのビッグ・キトゥンに自分がママ猫にならなければと接するベラ、そして、ベラと別れたビッグ・キトゥンもまた子どもを連れた母になります(ビッグ・キトゥンのような猛獣もオスだと思いませんでしたか?)。ルーカスの母親のテリーが退役軍人というのもこちらの予測を超えていました。
 退役軍人病院では戦闘によって心身に障がいを負った人たちが登場。ベラを山中で保護した白人と黒人の二人の男性は、はっきりとは描かれませんが同性のカップルのようです。ベラがゴミをあさった町ではホームレスの男性がベラを唯一の友とし、死んでしまった彼と鎖でつながれていたベラを見つけたのは白人と東洋系の男の子でした。そして、白人のルーカスと黒人系のオリヴィアとのカップル。
 ハリウッド映画は、障がい者、ホームレス、LGBTQ、人種や民族など、マイノリティを積極的に取り上げる方向に広がりを見せています。ベラの映画には、ジェンダーや人間・動物の多様性のほか、自然を愛する視点を観客に訴えようとする姿勢が感じられます。

◆終わり良ければ

 あちこちの掲示板に迷い犬のベラの貼り紙がしてあるところをベラが通り過ぎたり、ルーカスに連絡が付きそうになりながら邪魔が入ったりと、すれ違いはこうしたドラマではお決まりの展開。ベラが600キロの道のりをさまよっていた2年半の間、デンバーの人間側がどうしていたのかは全く描かれません。そんな中でルーカスとオリヴィアは結婚した様子。これもしかとは語られませんが、室内の映像をよ~く見るとベッドサイドテーブルに二人の結婚式の写真が。
 ラスト直前、ベラをめぐる動物管理局とのいざこざは、国の大義のために戦った退役軍人勢が、ちっちゃい役人根性の係官を論理で一蹴。アメリカ映画らしい決着のつき方です。
 説明不足だのなんだのとあんまり細かいところにこだわるのは野暮。この映画、少年少女に向けて描かれた冒険物語なのです。ベラになったつもりでハッピーエンドを噛みしめようではありませんか。
 ベラを演じた名犬は、シェルビーという名前。監督のチャールズ・マーティン・スミスは1973年の『アメリカン・グラフィティ』(監督:ジョージ・ルーカス)で、登場するなりスクーターをぶつけてしまうドジなメガネの男の子の役を演じた人です。最近では2020年に『ボブという名の猫2 幸せのギフト』を監督しています。

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