この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

アタラント号

詩情あふれる夫婦喧嘩。夭折の天才ジャン・ヴィゴ監督、29歳の遺作。

 

  製作:1934年
  製作国:フランス
  日本公開:1991年
  監督:ジャン・ヴィゴ
  出演:ディタ・パルロ、ジャン・ダステ、ミシェル・シモン 他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    船員「親爺さん」のペット。子猫・おとな、7、8匹くらい?
  名前:なし
  色柄:黒白、キジトラ、キジシロなど(モノクロのため推定)

◆みなと

 「そらもみなとも よははれて」で始まる唱歌「みなと」(作詞:旗野十一郎)に「はしけのかよい にぎやかに」という歌詞がありますね。はしけとは、沖の船から降ろした荷を、港や、河川を経由して内陸に運ぶ船のことですが、今のようにコンテナをクレーンで岸壁におろし、トラックで運ぶという輸送手段が当たり前になってからは、あまり見られなくなっているのではないかと思います。アタラント号は、フランス西岸のル・アーブルの港からセーヌ河や運河を経由して、パリなどの町に荷を届けていたはしけ船です。
 アタラント号の老水夫の「親爺さん」は、若い頃は世界中を巡る船乗りだったのでしょう。「ヨコハマ」に行った、と話しています。

◆あらすじ

 村の教会で、ジュリエット(ディタ・パルロ)とジャン(ジャン・ダステ)が結婚式を挙げた。ジャンは、はしけ船「アタラント号」の船長。二人は花嫁・花婿衣装のまま船に乗り込み、新婚生活をスタートする。乗組員は猫好きなむさくるしいジュール親爺さん(ミシェル・シモン)と間抜けな小僧(ルイ・ルフェーブル)。
 ジャンは仕事に忙しくて、あまりジュリエットをかまっていられない。退屈したジュリエットが親爺さんの部屋で遊んでいると、ジャンが怒って親爺さんの部屋の物をめちゃくちゃに壊してしまう。ジュリエットが楽しみにしていたパリ見物も、親爺さんと小僧が先に船を下りてしまい、船で留守番する羽目に。パリ見物の代わりにコルベイユの手前の町のダンスホールに行くが、行商人にちやほやされて舞い上がったジュリエットにジャンはまたも腹を立て、船に戻ったあと彼女を置いて外に出て行ってしまう。パリまで行って1時間で帰れると行商人から聞いていたジュリエットは、すぐ戻ってくるつもりで船を降り、パリ見物に出かけるが、戻ってみると船がない。ジュリエットがいなくなったことを知ったジャンが、怒って船を出してしまったのだ…。

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◆変人と猫

 ミシェル・シモン(外見はフランス版伊藤雄之助)の演じる親爺さんというあだ名の老水夫の趣味は、博物収集…と言うより、ガラクタ集め。世界中の港に寄って手に入れた品物を 部屋の中狭しと飾っています。一番の珍品は、3年前に死んだ友だちの手首のホルマリン漬け。もう一つの趣味は音楽。自分でアコーディオンを弾いてジュリエットに「船乗りの歌」を歌って聴かせます。
 身なりにかまわず、体中にヘンテコな入れ墨を入れていて、ジュリエットになれなれしくくっついたり、親爺さんからは変わり者っぽいにおいがプンプンしています。彼の周りには常に猫がウロチョロ。全部で何匹いるのかよくわからないほどの猫を飼っているのです。猫のことだから親爺さんの部屋と言わず船じゅう神出鬼没。クロゼットを開けると転がり出てきたり、新婚の二人のベッドで子猫を産んでしまったり。ミシェル・シモン自身、猫を溺愛していたそうです。また、監督のジャン・ヴィゴの父も大変な猫好きで、この映画のように家じゅう猫だらけだったといいます。
 この親爺さんのように、はたの人から敬遠されている人が動物をとてもかわいがっていることがありますね。人間には心を開かない人が、動物を優しくかわいがる。動物はその人が人間社会ではどうあれ、その人になつく。そのいじらしさにこちらもほろりとする。が、逆に、多頭飼育による動物の鳴き声や糞尿が原因で周囲から迷惑がられている人も。親爺さんもジャン船長からだいぶ叱られているので、そろそろこれ以上増やさないようにしないといけないと思いますが…。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

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◆水の中

 前回に続き、今回も夫婦の危機を描いた映画をお届けします。今回は第一次大戦から第二次大戦の間の、フランスの新婚ホヤホヤのカップルの喧嘩です。この時期の喧嘩は、今まで別々のバックグラウンドで暮らしていた男女が生活を共にするようになったことで起きる食い違いが主な原因ですから、次第にお互いが歩み寄り、夫婦らしくなっていくものですよね。
 村の教会で結婚式を挙げた二人が、アタラント号に向かって参列者を従えて歩いて行くところは、まるでシャガールの絵を見るようです。ジュリエットは、以前から船乗りと結婚したいと言っていたそうで、集まった親戚らしき人たちが昔から変わった娘だったと話しています。田舎の村育ちのジュリエットが、アタラント号に乗ればパリや色々な街に行くことができる、と都会へのあこがれからジャンを結婚相手に選んだような気がしますが、それだけではないようです。
 ジュリエットは、結婚式の翌朝、バケツで顔を洗うジャンに「水の中で目を開けると好きな人が見える」と言います。昔からそう言われていて、ジャンが初めてジュリエットの家に来た日、ジュリエットにはジャンが見えたと言うのです。試しに川に頭を突っ込んで「見えた」とふざけるジャン。ジュリエットはジャンが運命の人だと、そのときから確信していたのでしょう。

◆求め合う二人

 甘~い新婚生活と行きたいところですが、ジャンにとってはアタラント号が職場。期日通りに荷をさばくため夜中と言わず働きどおしで、常にイライラしています。こんなはずではなかったと思うジュリエット。親爺さんも働きづめでへそを曲げています。パリに着いて親爺さんが小僧と船を先に降りてしまったのも、ジュリエットと親爺さんが一緒にいるのをジャンが怒って暴れたときに、親爺さんのお守りの首飾りがこわれたので、吉凶を占ってもらいに行ったのです。皆それぞれストレスが飽和状態。在宅ワークは難しい。
 ジュリエットにとって、行商人はイブを誘惑した蛇のごとく。見るもの聞くものすべて、田舎娘で免疫のないジュリエットは、そそのかされてパリに出かけ、都会の光と影を見ます。きらびやかなショーウィンドウ、ひったくり、工場の門に並ぶ失業者の列、ジュリエットに声をかける男。
 怒りにまかせて船を出してしまったジャンも、ジュリエットがいなくなり、仕事が手に着かず腑抜けのようになってしまいます。川に飛び込んで、ジュリエットが見えるか水中で目を開けてみると、花嫁衣装をまとったジュリエットの姿がオンディーヌのように浮かび上がります。
 アタラント号に追いつこうと小さなホテルに泊まって朝を待つジュリエット。ジャンも不安な夜を迎えます。二人は夢の中でお互いを求め合います。
 水中のジュリエット、相手を腕に抱きたいと二人がそれぞれ熱く身もだえする姿は、私が今までに見たあらゆる映画の中でも最も美しく、官能的な映像です。

◆年の功

 抜け殻のようなジャンは、きちんと職責を果たしているのか船会社から目を付けられますが、親爺さんがジャンをかばい、ジュリエットを探しに町に出かけます。ジュリエットは「歌の殿堂」と書かれた店に入っていきます。これはどういう店か、よくわからないのですが、ジュークボックスの原形でしょうか、機械がずらりと並び、番号で曲を選んで、イヤホンを耳にあててレコードの音楽を聴く仕掛けになっているようです。映画の黎明期に、エジソンが発明したキネトスコープという、個人が画面をのぞき込む形の短い映画を見せる機械があったそうですが、それの音楽版でしょうか。店内の配置はパチンコ屋さんに一番近いかもしれません。入り口の「最新流行 船乗りの歌」の貼り紙を見て、ジュリエットがそれを選んで聴くと、親爺さんが歌っていたあの歌が流れます。その歌が店の外まで流れてくるのを聞いた親爺さんはジュリエットを探し当て・・・。
 親爺さん、一風変わったように見えても、年齢のいっている分いざというとき頼りになります。

 親爺さんがジュリエットを探しに出た町の美しいアーチ状の橋は、パリのサンマルタン運河にかかるもの。マルセル・カルネ監督の『北ホテル』(1938年)にも出てきます。『北ホテル』にははしけも登場しますし、音楽は『アタラント号』と同じモーリス・ジョベールで、行商人とジュリエットがダンスホールで踊った曲もダンスの場面に出てきます。「北ホテル」は、今はホテルとしては営業していずレストランになっていると聞きました。パリ旅行ではセーヌ川と運河をめぐる観光船が人気だということですが、アタラント号の航路も遊覧コースに入っているのでしょうか。

◆4本の映画

 他愛もない新婚夫婦の喧嘩を描いた『アタラント号』、単純と言っていいくらいの物語です。けれども、どうしてこんなに心にしみ込んでくるのでしょう。
 ジュリエットを演じたディタ・パルロの、1930年代のフランス人女性らしい可愛さ、男たちの体を張った労働の頼もしさ。『アタラント号』の魅力は、フランスの労働者たちの汗臭い生活がベースにどっしりと横たわっていて、その上に、キラキラと小さな愛のエピソードがまたたく、そんな日常の平和な光景にあるのではないでしょうか。世の中が変わっても、このようなささやかな喜怒哀楽はどこにでもあるでしょう。その中で、ジュリエットとジャンの若さゆえの愛がストレートに描かれます。やきもちを焼いたり、肉体を燃え上がらせたり、下手をすると通俗的になりかねないこれらのエピソードが、説明の少ない動く絵画のような美しい映像に織り上げられています。そして、はしけ船がめぐる水の風景も。
 『アタラント号』を見たら、監督のジャン・ヴィゴ(1905~1934年)のほかの作品も見たくなると思います。彼が生涯に残した映画はたった4本しかなく、全部合わせても上映時間は3時間ほど。そのうち劇映画は『アタラント号』と1933年の『新学期 操行ゼロ』の2本です。『新学期 操行ゼロ』は、厳しい管理と腐敗した教職者に反発した寄宿学校の少年たちが決起して、羽根枕の中身をまき散らして大暴れする場面が有名です。ジャン船長を演じたジャン・ダステが、少年たちの唯一の味方の先生役で出演しています。小僧を演じたルイ・ルフェーブルも暴れています。

◆悲劇の天才

 ジャン・ヴィゴの父は、ドイツとの平和を唱える無政府主義者として、ヴィゴが12歳のときに獄死、ヴィゴは名前を隠して祖父のもとで生活していたそうです。
 彼の映画はフランス国内で「売国奴の息子」の映画と罵られ、ヴィゴの体験を反映したと言われる『新学期 操行ゼロ』は、アナーキーな内容とみなされて上映禁止となり、続いて『アタラント号』の撮影にかかったヴィゴは、無理がたたって持病の結核を悪化させ、29歳で亡くなってしまいます。『アタラント号』が公開されたとき、製作会社によってフィルムは勝手に編集され、題名も変えられてしまったそうですが、今日見られる形に修復されたのは1990年だったということです。
 ヴィゴの映画は、役者の動作やドキュメンタリー的な映像など、非言語的なものが時にセリフ以上に何かを訴えてきます。1930年代、トーキー化によりセリフを多用した文学的・演劇的な映画が生まれますが、その流れの中でヴィゴは、映画の「画」へのこだわりを見せつけているかのように思えます。撮影は、ジャン・ヴィゴの映画すべて、ボリス・カウフマン

 フランスのヌーヴェルバーグの監督・フランソワ・トリュフォージャン・ヴィゴを絶賛しているそうです。そう言えばトリュフォーの『大人は判ってくれない』(1959年)で、主人公の少年の学校で、校外を先生が先頭に立ってランニングしていると、生徒たちが一人抜け、二人抜けしていくシーンがありますが、『新学期 操行ゼロ』にも、ジャン・ダステが演じる先生が生徒たちを引率して街の中を歩き、バラバラになっていく場面があります。もっとも、このとき隊列から最初に抜けたのは先生でしたが。


◆参考 『ジャン・ヴィゴ コンプリート・ブルーレイセット』解説ブックレット
     2017年/(株)アイ・ヴィー・シー

 

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