60年以上を経てもなおみずみずしい、ヌーヴェル・ヴァーグの代表的名作。
製作:1959年
製作国:フランス
日本公開:1960年
監督:フランソワ・トリュフォー
出演:ジャン=ピエール・レオ、アルベール・レミー、クレール・モーリエ 他
レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆☆(脇役級)
親友の家の飼い猫6匹くらい?
名前:なし
色柄:長毛の黒、グレーなど(モノクロのため推定)
◆大人は信じられない
『大人は判ってくれない』というタイトルを目にすると必ずと言っていいほど思い出すのは、中学1年か2年のときの出来事です。学校で、何かのアンケートだったか、生徒の性格傾向を知るためのものだったか、それほど考えこまずに回答できる質問が書かれた紙が配られて、友だちと読み上げながら記入していました。「大人は信じられないと思うか」という質問を読み上げたとき、友だちがガバッと顔を上げて「当り前じゃない~!」と眉根にしわを寄せたのです。前の日に親と何かあったか、わずか13、4年の人生ですべての大人を否定したくなるほどの経験をしたのか、それについては何も聞きませんでしたが、気楽に記入していた空気を一変させたその反応の速さ、揺るぎない確信に、ただただ私は圧倒されたのでした。
◆あらすじ
パリに住むアントワーヌ・ドワネル(ジャン=ピエール・レオ)は13歳、学校では先生に目を付けられていて、今日も授業中に立たされた。両親は共働きで、父(アルベール・レミー)はぱっとしない勤め人。家族仲はあまりよくなく、両親はよく喧嘩をする。母(クレール・モーリエ)から家の用事を言いつけられることも多く、狭いアパートで息の詰まるような毎日だ。
ある朝、登校途中に友だちのルネ(パトリック・オーフェー)に声をかけられ、二人で学校をさぼって遊びまわる。街角でアントワーヌは、母が知らない男と抱き合ってキスしているところを目撃する。母は深夜まで帰らなかった。
翌日、学校に前日の欠席理由を「母が死んだ」と届け出るが、アントワーヌが欠席したことを知った両親が学校に来て嘘がばれ、叱責を受けたアントワーヌは家出してしまう。ルネの叔父の工場に隠れて一晩過ごし、そのまま登校すると母がやって来てアントワーヌを連れて帰る。母は意外に優しく今度作文で5番以内に入ったらお小遣いをやる、と言う。
アントワーヌは感銘を受けたバルザックの文章そっくりの作文を提出して、丸写しにしたと叱られ、かばったルネと停学になる。二人はルネの家から金を持ち出して遊び歩くが、金が尽きるとアントワーヌが父の会社からタイプライターを盗んで金に換えようとする。うまくいかず、タイプライターを戻しに再びオフィスに忍び込んだところを捕えられ、父に引き渡される。
父はアントワーヌを警察に連れて行き、手に負えないと訴える。両親に見放されたアントワーヌは少年鑑別所に送られてしまう。面会日にやって来た母から冷たい言葉を浴びせられたアントワーヌは・・・。
◆リッチな猫
フサフサな毛の動物を「モフモフ」と形容するようになったのは、いつ頃から何がきっかけだったのかは知りませんが、この映画に出てくる猫は全員見事なモフモフです。猫が登場するのは中盤あたり。
作文丸写し疑惑で停学を言い渡されたアントワーヌは、クラス委員を殴って逃げ、家に帰るに帰れずルネの部屋に転がり込みます。ルネの家は大金持ち。ルネの部屋には実物大の馬の美術品が無造作に置かれていて、アントワーヌは部屋に入ると真っ先にそれに目を奪われます。その高額な馬の背中に1匹、脚の下に1匹、傍らのルネのベッドに2匹、ペルシャだと思いますが、黒やグラデーションがかったような暗い色の猫がいます。さらに母親の部屋にも同じような猫が2匹。1匹は金庫の隣に番猫のように居座っています。その後の食堂のシーンにいる猫はそのうちの1匹か? いかにもお金持ちの家にふさわしいゴージャスな猫たち。
アントワーヌのアパートは狭く、彼にはちゃんとした部屋やベッドがない様子。台所の脇の通路に置いた長椅子らしき物の上で寝袋にくるまって寝ています。知らない男とキスしていた母が深夜に帰ってきたとき、母はそこで寝ているアントワーヌをまたぐようにして部屋に入ってきます。父母の喧嘩が始まれば内容はすべて筒抜け。その環境に比べるとルネの家は夢のようなお屋敷ですが、ルネの親もまた子どもには無関心なようです。夕食に母は不在、父は食後会合に出かけてしまいます。まったく違う家庭環境に暮らすアントワーヌとルネは、お互いの中に共通する孤独を嗅ぎ当て、心を許す仲になっていったのでしょう。
◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆
◆やりたい放題
『大人は判ってくれない』―この邦題は必ずしも映画の内容をぴったり表しているとは言えないかもしれませんが、傑作だと私は思います。インパクトがあり、言葉がストレートに入ってきます。この題名とこの映画の公開を、当時自分がリアルタイムに体験出来ていたら、どんな風に感じただろうか、と思います。原題の『Les Quatre Cents Coups』は、直訳すれば「400回の打撃」だそうですが、フランスでは女の子の素行の悪さを指す表現で「悪ふざけ」「やりたい放題」くらいの意味だそうです。ところがアメリカでは原題を直訳、『The 400 Blows』として公開。さらにすごいのはドイツで『少年はキスされた、また鞭打たれた』という題になったそう(注1)。いかにこの邦題がよいセンスだったかがわかるかと思います。
1959年5月のカンヌ国際映画祭にて上映され、当時の模様を撮影したフィルムに、着飾った客席の人々から万雷の拍手を贈られるジャン=ピエール・レオが嬉しそうに映っています。それまでのフランス映画を舌鋒鋭く斬り捨てる批評家として知られたフランソワ・トリュフォーが、初めて手掛けた長編映画。その当時の衝撃と興奮を想像することは、どんなに調べても映画を見ても、かないません。
◆涙
主人公のアントワーヌは13歳。反抗期・思春期の入り口、と思いますが、映画を見る限り、アントワーヌは自分から大人に攻撃性をあらわにすることはありません。性への関心も、娼婦とかかわろうとしたことは話の中では出てきますが、まだ準備段階といった様子です。
反抗期と言えば、親に口をきかない、母親から小言を言われたり何か頼まれたりすると「うるせえ、ババア」と悪態をつく、といったところが相場ですが、アントワーヌにはそういう言動は見られません。それどころか、家出して母に迎えに来られ、家でお風呂に入れてもらい、体を拭いてもらったり、ママのベッドで寝なさいと言われたりして、素直にうれしそうにしています(さすがに、作文の成績がよかったらお小遣いをあげると言われたときは、この間知らない男とキスしているところを見られたのでご機嫌を取ろうとしているのだな、と思ったのか、無表情になりますが)。
バルザックの文章に感銘を受け、彼を崇拝するかのようにロウソクの灯をかかげ火事になりかけたとき、いつものように両親からひどく怒られず、みんなで映画に行ったときも心からの笑顔を見せます。子どもとしてかまってもらえたことがうれしくてたまらないといった表情です。
母親が死んだなどとすぐばれる噓をついたり、刹那的に家出したり、タイプライターのような大きくて重い物を盗んでもてあまし、返しに行ったり、やることなすこと善悪と言うより結果を推測して行動できない幼さが目立ちます。もう自分は子どもじゃないという反抗期・思春期の自己主張ではなく、甘えさせてもらえ、悪いことをしても大目に見られる子ども時代に自分はまだいると思い込んでいるようです。
留置場から護送車に乗せられたとき、鉄格子のはまった窓から夜のパリの街を見つめ、アントワーヌは初めて涙を流します。それは悔恨の涙とか、親や友だちと引き離される寂しさ、と言うより、法によって罰せられるという現実社会に初めて直面したショックが流させた涙ではないかと思うのです。
◆自伝と分身
とは言っても、子どもの問題には周囲の大人の影響があることは言うまでもありません。この映画はほとんどトリュフォー監督の自伝と言っていい内容で、すべて現実にあったことだとトリュフォー自身が言及しています。両親との関係、教師との関係、信頼できる大人がそばにいなかったのは不運です。が、トリュフォーは感情に流すことなく、アントワーヌを客観的に描きます。
父がアントワーヌを警察に突き出してからラストまでの流れには、現実に体験した者でなければ描けないリアリティが感じられます。警察の部屋の中に動物用のケージのような留置場がしつらえてあり、先に一人の青年がいる、寝ていると売春婦たちが連れてこられ、アントワーヌだけが別の一人用の狭い檻に移される、鑑別所では少年たちが外で運動する間、近所の子どもたちが動物園の檻のような囲いに入れられるなど、一種、ドキュメンタリーの様相を呈しています。鑑別所での精神科の女医との面談は、トリュフォー自身の話なのか、アントワーヌの役の上での話なのか、ジャン=ピエール・レオの話なのか、区別がつきません。
ラスト前の演出を排した長回し、説明なく現れる「FIN」の文字。トリュフォーはカンヌ国際映画祭監督賞を受賞。ちなみにこの年のカンヌの最高賞パルム・ドールはマルセル・カミュ監督の、リオのカーニバルを舞台としたフランス映画『黒いオルフェ』(1959年)。『大人は判ってくれない』と対照的な、とても物語性の強い幻想的な映画です。
『大人は判ってくれない』のタイトルバックには、移動撮影で、エッフェル塔が角度を変え、パリの街のあちこちに姿を見せるところが映し出されますが、本編の中にはエッフェル塔は姿を見せません。アントワーヌと同じような少年時代を送ったトリュフォーの、子どもの頃お金がなくてエッフェル塔を目印に歩いて帰るとき、袋小路に迷い込んだり、エッフェル塔が大きく見えたと思ったら消えてしまったり、という記憶を反映しているようです(注2)。華やかなパリのシンボルであるエッフェル塔が、寒々と寂しそうに見えます。
アントワーヌ・ドワネルは、以後、トリュフォーの映画に成長しながら再三登場し、いずれもジャン=ピエール・レオが演じています。アントワーヌはトリュフォーの分身であり、それを演じ続けたジャン=ピエール・レオは、トリュフォーにとって宿命的な存在だったのでしょう。当たり役のある俳優の常として、レオはアントワーヌ役のくびきに苦しんだそうですが、1978年の『逃げ去る恋』を最後にアントワーヌを卒業します。
◆ポスターとサイン
トリュフォー監督は、日本の中平康監督の『狂った果実』(1956年)を高く評価し、ゴダールは溝口健二を絶賛し、大島渚監督は日本のヌーヴェル・ヴァーグの旗手として『青春残酷物語』(1960年)を発表するなど、新しい波は国を越えた影響と刺激のうねりも生みました。トリュフォーは1984年に52歳で亡くなります。
わが白井佳夫師匠は、フランス・ヌーヴェル・ヴァーグの監督の中で、トリュフォーがいちばん好きだそうで、来日したトリュフォーと2度会っているそうです。アントワーヌが護送される前、留置場でセーターを口まで引っ張り上げ、横眼遣いをするところを描いた野口久光氏デザインの日本版のポスターを目にしたことがある人も多いかと思います。そのポスターをトリュフォーがお気に入りで、終生自分の部屋に飾っていたということですが、師匠も同じポスターを持っていて、書斎に飾っているということです。師匠にはもう一つ、トリュフォーとの対談のとき「一人の映画馬鹿からもう一人の映画馬鹿へ」という献辞と共に、師匠の名前を入れて署名してもらったトリュフォーの著書、という自慢の品があるそうです(注3)。いつか実物を見せてもらえたら、と思っています。
(注1) 『トリュフォー最後のインタビュー』(山田宏一・蓮實重彦/2014年/平凡社)
(注2) 「映画と人生が出合うとき」(山田宏一/『大人は判ってくれない』フランソワ・
トリュフォー、マルセル・ムーシー著 /2020年/土曜社 所収)
(注3) 「こころの玉手箱(3)」(白井佳夫/日本経済新聞2021年7月14日夕刊)
◆参考
映画『ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー』
(2011年/フランス/監督:エマニュエル・ローラン)
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