この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

アスファルト・ジャングル

50万ドルの宝石に群がった男たちが次々命を落とす。マリリン・モンローが花を添えるフィルム・ノワールの名画。

 

  製作:1950年
  製作国:アメリ
  日本公開:1954年
  監督:ジョン・ヒューストン
  出演:スターリング・ヘイドン、サム・ジャッフェ、ルイス・カルハーン
     ジーン・ヘイゲンマリリン・モンロー、他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    食堂の男がかわいがっている猫
  名前:不明
  色柄:黒っぽいトラ(モノクロのため推定)

◆黒い映画

 前回はニトログリセリンの運搬をめぐるサスペンス『恐怖の報酬』の、ウィリアム・フリードキン監督のオリジナル完全版(1977年)とアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の1953年版をご紹介しましたが、今回の映画にもニトログリセリンが登場します。主人公を含む4人組の男たちが宝石を盗み出すため、金庫のドアをニトログリセリンで爆破するのです。
 1940~50年代、アメリカでフィルム・ノワールと呼ばれる特徴的なスタイルの映画が出現します。『アスファルト・ジャングル』もその代表的な作品のひとつ。フランス語で黒を意味するノワールと言うからにはフランスの映画を指すような気がしますが、従来のアメリカ映画と傾向の違う、この時期のこうした作品群をフランスの批評家がそう呼んだため、ノワールという呼び名が定着したそうです。黒っぽい画面、舞台は大都市、犯罪、運命の女、陰鬱な展開などのいくつかの特徴を備える映画を指してそう呼ぶようですが、何がフィルム・ノワールの決定的因子かという定義は明確ではないとのことです。重要なのはその空気感と言ったところでしょうか。
 このブログの中で取り上げた映画の中では、アラン・ラッドとヴェロニカ・レイクが共演した『拳銃貸します』(1942年/監督:フランク・タトル)や、ラナ・ターナーが主演した1946年の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(監督:テイ・ガーネット)もフィルム・ノワールに入ると言ってよいと思います。
 この映画のもう一つの注目はマリリン・モンロー。まだブレイク前の脇役なのですが、一目で人を惹きつけるまぶしいほどの輝きを放っています。彼女だけがノワールではないような・・・。

◆あらすじ

 アメリカ北部のとある都市。
 主人公のディックス(スターリング・ヘイドン)は強盗で小金を稼いでは競馬につぎ込んでいる。彼が出入りしている競馬のノミ屋の男のところに、ある日刑務所から出たばかりの知能犯ドック(サム・ジャッフェ)という男が訪ねてくる。彼は刑務所に入る前に計画していた50万ドルの宝石の窃盗を実行したいと考えていた。金庫破り役と、運転手と、用心棒が必要で、軍資金を提供してくれるスポンサーとして金持ちの弁護士エマリック(ルイス・カルハーン)をノミ屋に紹介してもらう。エマリックは実は破産していて、ドックたちが宝石を盗み出したら宝石を預かったふりをして外国に高飛びしようと考えていた。
 盗みの当日、ディックスも用心棒として参加する。金庫を爆破すると警報システムが作動し、警察がまたたく間に駆け付ける。ドックとディックスは宝石の金を受け取ろうとエマリックの家に盗み出した宝石を持ち込むが、エマリックが金を用意していなかったので怪しんでいると、エマリックとぐるの私立探偵が宝石の横取りを狙ってディックスをピストルで脅す。ディックスは咄嗟に探偵を撃ち殺すが、自分も脇腹を撃たれて傷を負う。ドックとディックスは宝石を持って逃げる。
 エマリックは窃盗団との関係を警察に察知されるのを恐れて探偵の死体を川に投げ捨てる。愛人のアンジェラ(マリリン・モンロー)にその夜は彼女の家にいたとアリバイの口裏合わせを頼んだが、警察にばれ、エマリックは自殺する。
 ドックとディックスは別々に逃げる。ディックスは彼を愛する女性・ドール(ジーン・ヘイゲン)と共に故郷のケンタッキーを目指し、負傷を押して車を走らせるが・・・。

◆カウンターで食事

 30代半ばくらいと見えるディックスは街角で小さい食堂を経営する同年代のガス(ジェームズ・ホイットモア)と親しくしています。強盗の後にこの店に寄り、いつものように拳銃を渡してレジスターの引き出しに隠してもらうという間柄。ガスも宝石盗みのときに運転手に選ばれ、裏社会では名の知れた存在なのでしょう。そのガスは猫好きです。
 ある夜、ディックスがガスの店に入ると、ガスがかわいがっている猫がカウンターの上で背中を撫でられながらお皿に盛られたごはんを食べています。ガスがディックスに、猫が夜になると活発になるなどと話しかけると、雑誌を眺めて休憩していたトラック運転手が「あんまり猫に食わせるな」「頭に来てひき殺したくなる」「飢えてるガキもいるのに」と、ガスを非難します。途端にガスは烈火のごとく怒り出し「猫を殺したら張り倒すぞ」と運転手をねじり上げて店の外につまみ出します。
 猫好きでない人間は、大事にされている猫を見るとねたみの気持ちが燃え上がるのでしょうか。ガスの怒りはごもっともとしても、このやり取りから見えてくるのは彼の短気で粗暴な性格。そんなガスを演じたジェームズ・ホイットモアは『ショーシャンクの空に』(1994年/監督:フランク・ダラボン)で、刑務所から仮出所後、変わり果てた世の中に適応できず自ら死を選ぶ老人の役を演じています。
 黒っぽいトラのアメリカンショートヘアと見える猫が登場するのは始まってから12分45秒頃から15分12秒くらいまでの2分半ほどです。ガスの店でのこのシーンは途中でカットをつないでいない長回し。猫は最後にガスを振り返ってニャ~ンと鳴くまで、黙々とごはんを食べ続けています。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆悲しい思い出

 主人公のディックスという男、この町で常習的に犯罪を重ねる前科者で、ガス以上に短気で粗暴。
 映画の開始早々、早朝の人っ子一人いない町を、警察無線の声を響かせながらホテル強盗の犯人をパトカーが追っています。ゆっくりとなめるように移動するパトカー、回廊のような柱の陰に隠れる長身の主人公。キリコの絵を思わせるシュールな映像。フィルム・ノワールの幕開けにふさわしい乾いた空気です。
 この映画の登場人物は根っからの犯罪性格というより、人生のどこかで良心がこわれてしまったような人たちばかりです。
 フィルム・ノワールをもじって韓国の犯罪映画群が「韓国ノワール」と呼ばれていますが、その殺伐とした描写、残虐性、犯罪者たちの悪そのものともいえる人格などに比べたら、この映画の人々は中高生のワル程度にしか見えないかもしれません。
 ディックスは、ケンタッキーで祖父や父たちが営む大きな牧場に生まれました。競走馬として有望な黒い子馬をとりわけかわいがっていたのですが、経営が行き詰まり、牧場は人手に渡ってしまいます。希望の星だった子馬も、手放さないでと親に必死に訴えましたが、売られてしまいました。絶対に牧場を買い戻してやる、と誓ったディックスがどのような歩みを経て強盗の常習犯になってしまったのかはわかりませんが、彼が有り金を競馬につぎ込んで一攫千金を夢見ているのにはそんな生い立ちが影響しています。
 ディックスは宝石泥棒には当日の用心棒としてスカウトされただけで関与は薄いのですが、宝石を横取りしようとした探偵を撃ち殺してしまったために負傷を押して逃げようとします。

◆脇が固める

 そのディックスを演じたスターリング・ヘイドン、196cmと大柄で大木のような体。この映画ではアクションと言えるほどのアクションも見せませんし、演技の点で記憶に残るものがありません。『拳銃貸します』で、やはり不幸な生い立ちの悪役のアラン・ラッドが小柄な体でキビキビと動き回り、時にはキメポーズも見せていたのとは好対照。
 スターリング・ヘイドンは、このブログで紹介した映画の中では『ゴッドファーザー』(1972年/監督:フランシス・フォード・コッポラ)と『ロング・グッドバイ』(1973年/監督:ロバート・アルトマン)に出演しています。『ゴッドファーザー』ではアル・パチーノ演じるドンの息子に撃たれ、顔面をしたたかテーブルにぶつけて倒れる悪徳警官の役。『ロング・グッドバイ』では小説家役で登場していますが、映画自体のせいでもあるのですけれど、ただヌーッと大きい人が出ていたという印象。
 『アスファルト・ジャングル』では他の俳優たちの強い個性が主役より目立っています。
 ドックを演じたサム・ジャッフェは、いかさま師っぽい顔つきで真ん丸の目玉、細い葉巻をくゆらし、怖そうには見えないけれど胡散臭いおっさんぶりで、主役を食ってしまった張本人。この映画で1950年度のヴェネツィア国際映画祭男優賞を受賞しています。
 このドック、ディックスと別れて逃げ、タクシーを拾って、途中、郊外の食堂で腹ごしらえをします。そこでジュークボックスの音楽で踊っていた十代の男女に目を留めます。お金をそれ以上持っていなかった彼らに、もっと音楽をかけなさいと小銭をあげ、女の子が選んだ曲で嬉々として踊るのを、タクシー運転手にせかされているのに1曲見入ってしまったドック。その曲の間に警官が店にいるドックを見つけ、待ち構えて逮捕します。7年も刑務所に入っていた中年男が、はやりのダンスを躍動的に踊る若い女の子を食い入るように見つめる・・・ドックを頭脳犯から一人の男に返した人間性が墓穴を掘ります。

◆適役

 悪事と悪事の間を泳いで富豪の地位を築いた大物弁護士役のルイス・カルハーンも好印象。裏の顔は全くにおわせない上流紳士ぶりに、娘ほど年の離れた若い愛人に「おじ様」と甘えさせる年相応の色気がなければならない役として、理想的なキャスティングではないでしょうか。けれど、法に明るい巨悪の主にしては、宝石を横取りして外国に逃げるなどとずさんな計画を口にするのは似合わないなあ・・・(注)。
 そして、彼の愛人アンジェラ役として登場したマリリン・モンロー。ソファの上でまどろむ肢体、肩の開いたドレス、旅行に行きたいとはしゃぐ無邪気さ、刑事に追及されてすぐ自白してしまう幼さ、のちのセックスシンボルとしての彼女の原型をここで見ることができます。彼女はこの映画の後、同じ年に公開された『イヴの総て』(1950年/監督:ジョセフ・L・マンキーウィッツ)にも新進女優役で出演しています。どちらの映画でも、初々しい中にも明日のスターを目指す貪欲な意志が垣間見えます。

◆故郷へ

 ディックスの故郷のケンタッキーを目指しての10時間の自動車での移動には、ジーン・ヘイゲンの演じるドールという女性が付き添います。ディックスが故郷の牧場への思いを語った唯一の相手は彼女。クラブで働いていた彼女は、職も住まいも失って転がり込むようにディックスのところにやって来ます。涙で黒々と流れ落ちるマスカラ、ディックスの目の前でつけまつげをはがし、体裁を気にするような間柄じゃなしとでも言いたげ。できればそのまま彼の懐に飛び込みたいという下心がありありですが、冷淡にあしらうディックス。けれども、わき腹に銃創を負った彼に代わり運転手を買って出る形で、彼女はディックスに尽くそうとするのです。ここでもスターリング・ヘイドンを補って余りあるジーン・ヘイゲンの熱演。悲劇的なラストが胸を詰まらせます。

 ラスト手前、ディックス以外の窃盗関係者を確保した警察のお偉方は、悪人たちをジャングルに逃げ込む猛獣にたとえ、市民のために彼らを野放しにしない決意を厳しい表情で語ります。ここは題名の由来と共に、犯罪や犯罪者を美化しないという当時の映画業界の自主規制のもと、悲しいラストでディックスに観客の同情が集中するのを抑えるために挿入したシーンでしょう。
 終盤に近づくにしたがい、始まりとは裏腹にウェットさが増し、どことなく松本清張原作の日本映画を見たときのような気持ちに・・・。この余韻はヒューマン・ノワールとでも呼ぶべきか。
 同じジョン・ヒューストン監督のフィルム・ノワールの代表作『マルタの鷹』(1941年)で、主役のハンフリー・ボガートが出づっぱりで長台詞を駆使、スター主導で気を吐いていたのとは趣を異にする、後を引く作品です。

 

(注)ルイス・カルハーンは『八月十五夜の茶屋』(1956年/監督:ダニエル・マン)という日米提携映画で来日中に、心筋梗塞で奈良で客死してしまったそうです(Wikipedia

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