この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

タワーリング・インフェルノ

炎に包まれる超高層ビル! そびえ立つ地獄に閉じ込められたパーティーの客たちは・・・

 

  製作:1974年
  製作国:アメリ
  日本公開:1975年
  監督:ジョン・ギラーミン
  出演:スティーヴ・マックイーンポール・ニューマンウィリアム・ホールデン
     ジェニファー・ジョーンズ 他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    居住者ミュラーの飼い猫
  名前:エルキー
  色柄:キジトラ


◆超高層のあけぼの

 この見出しと同じタイトルの映画があったことをご存じですか。1968年に竣工した日本初の超高層ビル・東京の霞が関ビル(高さ地上147m)完成までの過程を映画化したものです(1969年/監督:関川秀雄)。現在の日本では大阪のあべのハルカスが高さ300mで第一位(注)。634mと世界一高い電波塔の東京スカイツリーはビルではないので、この背比べのランク外となっています。
 現在、世界ランキング上位の多くは中東や中国のビルで、映画の舞台となったアメリカでは、同時多発テロで崩壊したワールドトレードセンターの跡地に2014年に建ったワン・ワールド・トレード・センターが541mで第一位だということ。この映画の「グラス・タワー」とほぼ同じ高さです。

◆あらすじ

 サンフランシスコに地上138階建て・550mの高さを誇る「グラス・タワー」ビルが完成した。1階から80階まではオフィス、81階から120階までは居住専用フロア。今夜は最上階で落成記念パーティが予定され、上院議員や市長夫妻、居住者などが招待されている。その華やいだ空気の中で、設計者のダグ(ポール・ニューマン)は地下の発電設備で電線がショートしたと知らせを受け、電気系統が自分の設計仕様と異なっているのに気づく。経費を削減するためビル施工会社の社長(ウィリアム・ホールデン)の娘婿のロジャー(リチャード・チェンバレン)が無断で変更していたのだ。これを引き金に81階の倉庫で火が出る。だが、防災設備は未完成だった。防災センターの職員が手動で火災報知機を操作し、消防隊が出動する。そんな中でパーティーは予定通り行われる。
 火勢は強くなり、消防隊長のオハラハン(スティーヴ・マックイーン)は、設計者のダグからビルの構造を聞き出して消火活動にかかるとともに、社長にパーティーの客を避難させるよう促す。順番にエレベーターで避難する途中、火災の起きた階でエレベーターが炎にまかれ、非常扉も廃棄されたセメントで固まっていたため、パーティーに出席していた約300人の客は会場に閉じ込められてしまう。非常扉を爆破しても、階段は途中で崩れ、救出に向かったヘリコプターも爆発炎上に巻き込まれて墜落、ビル外壁の展望エレベーターで脱出した女性たちからも犠牲者が出た。隣接するビルからワイヤーを渡して椅子のようなカゴで一人ずつ運ぶのも、多人数を前に無力に近かった。
 パーティー会場に火が燃え移るのも時間の問題となったとき、屋上の給水タンクを爆破すれば消火できるというアイデアが出る。激しい水流で犠牲者が出ることも考えられる中、ダグとオハラハンは爆薬を携えて給水タンクへ向かう・・・。

◆形見の猫

 前回の『ジェニーの肖像』(1948年/監督:ウィリアム・ディターレ)のヒロイン・ジェニファー・ジョーンズが、この映画では中年のお金持ちのミュラー役で出演しています。このとき55歳。これが最後の映画です。あの特徴的な眉毛の描き方ではなかったので、初めはジェニファー・ジョーンズとは気づきませんでした。角度を付けたくっきりとしたハリウッド流美人眉メイクも、70年代にはすたれていたのでしょう。
 ミュラーは夫に先立たれ、この出来立てのグラス・タワーに愛猫のエルキーと共に入居しました。同じ入居者の子どもたちに絵を教えたり、ゆとりのある生活ですが、そこを詐欺師のハーリー(フレッド・アステア)に目を付けられ、親しくなって偽の投資話をもちかけられています。
 ミュラーは絵を教えている子どもたちに火事を知らせ、一緒に逃げる途中で部屋にエルキーを置いてきたことを思い出します。子どもたちに大丈夫だよとなだめられ、一旦パーティー会場に戻ったあと、展望エレベーターで逃げる途中、墜落して亡くなってしまいます。
 地上でミュラーを捜していたハーリーに、消防士がミュラーの死を告げます。そして警備員のジャーニガンが近づき、ハーリーにエルキーを渡します。ジャーニガンは取り残されている人がいないか見回っているときに、ミュラーの部屋にエルキーがいるのに気づいたのです。
 ハーリーは、ミュラーがエレベーターに乗りこむ前に「あなたのことは詐欺師だとわかっていたけれど、これからもずっと一緒にいて」と言われ、自分の詐欺人生を恥じ、光を見出していました。ハーリーはかけがえのない人を失った悲しみとともに、形見となったエルキーを胸に抱き締めるのです。

  ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

      

◆予防にまさる対策なし

 職場で防火管理者・防災管理者として消防署の講習に参加したことがある方も多いと思います。私もその一人でしたが、東京都の場合(現在は変わっているかもしれませんが)、過去に多くの犠牲者を出した3件の火災のケースレポートをビデオで見せられます。スプリンクラーなどの設備の不備、非常階段に荷物が積まれて避難できなかった、飲み逃げ防止のためお客に隠していた裏口に従業員がお客を誘導せず、自分たちだけ逃げていた・・・など。悲惨なのは、ビル火災で炎や煙で窓際に追いつめられた人が地面を実際より近く感じてしまい、窓から飛び降りて亡くなってしまうことが多い、という話です。人災の面と心理的な面が被害を大きくします。
 この映画の初めに「人命を救うために自分たちの命を犠牲にする全世界の消防士にこの映画を捧げる」という献辞が出ます。消防士の使命感にはただただ感謝を捧げるのみですが、それにもまして重要なのは一人一人が防げるはずの火災を絶対に出さないことであるのは言うまでもありません。

◆パニック映画

 1970年代はパニック映画が流行しました。パニック映画という呼び方はどうやら日本だけで、ディザスタームービーと言う方が一般的なようです。ブームのきっかけは1972年の『ポセイドン・アドベンチャー』(監督:ロナルド・ニーム)。航海中の大型客船が転覆する映画で、大がかりなセットや特撮を組み合わせ、ハリウッドでなければ不可能と思わせる実写の大作でした。続いてこの『タワーリング・インフェルノ』、日本では『日本沈没』(1973年/監督:森谷司郎)も大ヒット。
 その後、CGを用いたより高度な映像技術が可能になって、動物、細菌やウィルス、異星人など、パニックの原因も多様化したように思いますが、その分、現実感が乏しくなったとも言えます。現実離れした理由には、ひとつには2001年のアメリカでの同時多発テロの影響があると思います。人の行為によって引き起こされた空前の災害のトラウマが人々の心に影を落とし、リアルなものを受け入れがたくしているのではないでしょうか。それがパニックの原因を人間以外のものに求め、架空性を高める理由になっているように思います。
 そして、若い頃はそういう映画にスリルを感じていても、年齢とともに現実に災害で多くの人が苦しんだことを見聞きする経験が蓄積されていくと、作り話でもそうしたものを娯楽と思えなくなってきます。いまの日本人は平成の二度の大震災を始めとする多くの災害の記憶を引きずっています。70年代のパニック映画ブームは、戦争の記憶も薄れ、世界が比較的平和で安定していた時代を象徴するものだったのではないかと思います。

◆スターの競演

 あらためて約半世紀前のこの映画を見てみると、オーソドックスで教科書的なパニック映画だと気が付きます。手抜き工事で経費を浮かせた悪者のために起きた人災、人々を救おうと奮闘するヒーロー、巻き込まれた人々の人間模様を描き出すグランド・ホテル形式。内容的には、観客がパカッと口を開けていればコース料理のように次から次へとおいしいものが飛び込んでくる、おまかせ映画です。
 さらに豪華な俳優陣もこの映画の呼び物。この記事の冒頭で主な出演者を書くときも「この人を出さなくていいのだろうか」と思うような大物が続々。ポール・ニューマンの恋人役にはフェイ・ダナウェイ、パーカー上院議員にはロバート・ヴォーン、踊らないけれどフレッド・アステアなど。ウィリアム・ホールデンは、ジェニファー・ジョーンズと恋愛映画の名作(つまらないけれど)『慕情』(1955年/監督:ヘンリー・キング)以来の共演。
 20世紀フォックスワーナー・ブラザースが初の共同製作で、それぞれのスターを出し『ポセイドン・アドベンチャー』を上回るヒットにしようとこの映画にかけた意気込みがわかるというものです。
 アメリカ映画らしさが匂うのは、マッチョな男性ヒーローの活躍。アクション畑のスティーヴ・マックイーンのオハラハン隊長の活躍はもっともですが、ポール・ニューマンのダグは、設計士にもかかわらず、火災現場でまるでオハラハンの片腕のように働きます。男は強く、雄々しく、というアメリカ映画の神話。実際は素人を現場に出入りさせるはずはないと思いますが、やはり、両映画会社を代表するスター、期待されるヒーロー像を仲良く分け合った感じです。最後にオハラハンがダグに「安全な建物の作り方を教えてやる」と言うのは、現場を知る者でなければわからないことがあるという以上に、頭でっかちな奴より汗水をたらし人のために命すら投げ出す者こそ男の中の男、というメッセージと受けとることができると思います。

◆究極の選択

 さて、もし自分がパーティー会場に残された客だったとしたら、この映画のどの生還方法を選びたいでしょうか。あるいは、絶対にこの方法は嫌だ、というものは?
 私は、椅子のようなカゴに乗ってワイヤーで隣のビルに引っ張ってもらうのはムリ、と思います。地上500メートルを超える高さで、強風にさらされ身を切る寒さの中、ひとりでカゴに乗せられたら失神する人も出ると思います。それに、家のベランダに干した洗濯物を見ていると、強風の日は物干し竿を軸にぐるっと回転して物干し竿に巻きついています。あのカゴに乗ったままワイヤーの周りを大車輪のように回転したら・・・。
 やはり、こんな目に遭わないよう、日ごろから防災意識を高めましょう!

 

(注)2023年11月24日に開業した麻布台ヒルズが地上330mと、日本一が交代しました。(2023.11.24追記)

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ジェニーの肖像

売れない画家が出会った美しい少女は短い間に会うたびに何歳か成長している・・・。幻想的な恋の物語。


  製作:1948年
  製作国:アメリ
  日本公開:1951年
  監督:ウィリアム・ディターレ
  出演:ジェニファー・ジョーンズジョゼフ・コットン、エセル・バリモア、
     リリアン・ギッシュ 他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    主人公のアパートの家主の飼い猫
  名前:不明
  色柄:茶白のハチワレのタビー


◆幻想スペクタクル

 恋愛映画は、どちらかと言えば男性はあまり見ないのではないかと思いますが、『ジェニーの肖像』は男性(特にオールドファン)から支持されているという印象が私にはあります。この映画は、モノクロながら、一部、緑、赤、フルカラー、と画面に色が着く部分があり、異変が起きる瞬間にパッと切り替わるのですが、説明のつかない超常現象の襲来を告げる不気味なインパクトは絶大です。女性的な柔らかい空気が、この瞬間にディザスタームービーのように一変します。そんな部分が男性に支持されるのかもしれません。
 そうした特殊効果とともに、シーンの切り替えのときに風景がキャンバスに描かれた絵のように表現されていたり、ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』などの夢幻的な曲がアレンジされて使われていたり、この映画は終始夢のような空気に包まれています。

◆あらすじ

 1934年の冬のニューヨーク。貧しい画家のエブン・アダムス(ジョゼフ・コットン)は、画廊でやっと1枚の絵が売れたあと、セントラルパークで一人の女の子(ジェニファー・ジョーンズ)に声をかけられる。少女は、ジェニー・アプルトンと名乗り、両親は綱渡りをする芸人だと言った。ジェニーは帰ろうとしてスカーフを置き忘れるが、エブンが渡そうとすると、かき消すようにいなくなる。エブンは、ジェニーを思い出しながら木炭で彼女の顔の素描を描く。
 数日後、先日の画廊を訪れると、その絵は高く評価され、よい値段で買い取ってもらえた。エブンが機嫌よくセントラルパークでスケートをしているとジェニーが現れ、この前会ったときより背が伸び、何歳か大人びて見えた。エブンはジェニーに肖像画を描いてほしいと頼まれ、ジェニーの両親の了解を得ようとしたが、調べてみると両親はとっくの昔に亡くなっていたことがわかる。混乱するエブンのもとにジェニーが泣きながら現れ、両親が今夜亡くなったと言って姿を消す。
 春になってジェニーは美しい大人の女性として現れた。ジェニーの肖像画を完成させたエブンは、彼女のいない人生は考えられなくなっていた。
 夏の間はニューイングランドで叔母と過ごすと言っていたジェニーは、秋になっても姿を見せなかった。不安になったエブンが、以前ジェニーが学んだ修道院に行って彼女の消息を尋ねると、ジェニーと親しかった修道女(リリアン・ギッシュ)は、ジェニーは数年前にコッド岬で津波にのまれて亡くなった、と話す。信じることができないエブンは、彼女が消息不明になったという10月5日にコッド岬を訪れる・・・。

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◆猫係

 この映画での猫はほんの添え物。始まって11分ほどたった頃、ジェニーと不思議な出会いをしたエブンがアパートに帰ると、家主のおばさんがエブンから家賃を払ってもらおうと待ち構えています。一部しか払ってもらえなかった家主が部屋に戻ると、友だちが遊びに来ていて、二人でエブンの噂話を始めます。素敵な人ね、とか、画家って裸の女の人を描くの、だとか、今も昔も変わらぬガールズトーク。その周りを家主の飼い猫がチョロチョロしています。なかなかかわいい猫ですが、出番はここだけ。
 こういう猫の使い方を見ると、私にはうれしいけれど、ストーリーには関係ないし、わざわざ登場させる手間ひまは・・・。思い通りに動いてくれない猫、スタッフ同士でくじを引いて、当たった人が泣く泣く猫係になったのでは? 猫係さん、猫さん、ありがとう。七十数年後の日本で、私がこのシーンを大喜びで見ていますよ。

  ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

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◆時を超えて

 ロバート・ネイサンの小説『ジェニーの肖像』(映画も含め『ジェニイの肖像』と表記されることもあります)をもとにしたこの物語と私との出会いは漫画です。藤子不二雄など昭和中後期を代表する漫画家を輩出したアパート・トキワ荘の、唯一の女性の住人だった水野英子の漫画『セシリア』。少女漫画誌に短期連載されたのだと思います。漫画では少女はセシリアという名前になっていて、残念ながら私が読んだのは途中まで。それ以降の号は買わなかったのでしょう(私はおさがりを読んでいました)。断片的ではありましたがその不思議なストーリーが忘れられず、それから何十年かしてこの映画を知ったときにあの漫画だ! とすぐに結びつきました。この頃の少女漫画には、映画を漫画化したものがよくあったのです。

 初めてエブンがジェニーに会ったときは、まだほんの子ども。ジェニファー・ジョーンズが大きなつばの帽子をあみだにかぶったようなスタイルで現れますが、1903年を舞台にした『若草の頃』(1943年/監督:ヴィンセント・ミネリ)の冬のシーンで、子どもたちがこんな帽子をかぶっていますので、相当時代遅れのファッションだということがわかります。けれども、子役を使わず小学生くらいに見せるにはやはり無理が・・・。俳優が実年齢より相当老けたメーキャップをしてもあまり不自然には見えませんが、悲しいかな若返った役ではコスプレのよう。さすがにこのシーンでは美貌のジェニファー・ジョーンズもアップはありませんが、ロングはロングで足元が映りません。大人の男と子どもとの背丈の差、ということでジョゼフ・コットンが一段高い台に乗っていたのだろうと思います。

◆私はどこから

 今ここにいない、とうの昔に死んでしまったはずの女性との恋。幻想的な物語の解釈には、その人の世界観が反映され、正解はありません。タイムトラベルもの、ととらえる人もいるでしょうし、霊的な神秘ととらえる人もいるでしょう。
 タイムトラベルを扱った恋愛映画で印象深いのは『ある日どこかで』(1980年/監督:ジュノー・シュウォーク)。新進劇作家(クリストファー・リーブ)のもとへある日見知らぬ老婦人が訪ねて来る。その後、彼は偶然見かけた美しい女性(ジェーン・シーモア)の肖像に魅せられ、彼女を求めて時間をさかのぼって恋に落ちるが、彼のミスで現在に戻ってしまう。訪ねてきた老婦人は、その肖像の女性だった、というものです。
 過去に存在していた人や未来の人間が現在に来る、現在の人間が過去や未来に行くには『ある日どこかで』の男性のように、何か強い必然性や、タイムスリップというアクシデントが必要なように思いますし、もしタイムスリップした少女がエブンに心をとらえられたのなら、段階的に大人になっていく必要はない気もします。私には、ジェニーは、過去に存在していた女性の霊魂と考える方がしっくりきます。

◆愛との出会い

 ジェニーは、凡庸な画家だったエブンに霊感を与え、未知の才能を開花させます。彼が画廊のスピニー女史(エセル・バリモア)に描きためた絵を見せたとき、スピニー女史は彼の絵に愛を感じない、と指摘します。それでも1枚の花の絵を買ってもらえて、ヨタヨタとエブンがセントラルパークを通りかかったとき、ジェニーと出会います。スピニー女史の指摘した「愛」との出会いです。彼の出会った「愛」は、まだほんの子ども。けれども「すぐ大人になるから待っていて」と姿を消し、次に出会ったときは時間よりも早く成長しているのです。その不可思議な成長は会うたびに繰り返されます。
 彼の心の中の愛の萌芽が、彼の無意識の中の永遠の女性像と結びついて彼の芸術的霊感を呼び覚ました、ジェニーは彼の中の「愛」の成長段階を女性の姿で表したヴィジョンだ、と言うことができるかもしれません。けれどもそうした精神分析的解釈はこの物語のせっかくの神秘性を色あせたものにしてしまうように思います。

◆スピニー女史

 私には、スピニー女史の霊的な波動があの世のジェニーの霊魂を呼び寄せ、エブンの前に出現させたように思えるのです。
 スピニー女史はずっと独身を通してきた70代くらいの女性です。エブンと初めて会ったとき、エブンに異性として魅力を感じたようなことを口にします。もし、エブンと釣り合いの取れる年齢でエブンと出会えていれば・・・意識せずともそんな思いが彼女の中にふと膨らんだように思います。
 高齢のスピニー女史にとって、優れた画家を発掘し世に送り出すことは、ビジネス上の利益以上に、長年待ち望んでいた真の芸術に巡り合う喜びと、それを生み出す芸術家を育てる生き甲斐をもたらすものでしょう。エブンがジェニーに出会ったように、スピニー女史もエブンに出会った。その高揚感と、エブンに感じた女性としての「愛」がジェニーの霊を引き寄せ、彼の絵に欠けている「愛」の経験へとエブンをいざなった、と私は思うのです。『ある日どこかで』のように、若い頃のスピニー女史が時間を超えてエブンと恋に落ちたのではとも思いましたが、ジェニーの生きていた年代と彼女の年齢は合いません。
 そして、物語はジェニーの死の謎に向かって進んでいきます。
 見る人によってさまざまな解釈を生む物語、長く語り継がれてきた神話や伝説のように、不思議は不思議だから美しいと思います。

◆ふられ癖

 ジェニファー・ジョーンズは、女優として売り出し中に『風と共に去りぬ』(1939年/監督:ビクター・フレミング)やヒッチコック作品で有名な大物映画プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニック(『ジェニーの肖像』でも製作を担当)の目に留まり、夫と別れて彼と結婚、ハリウッドで目覚ましい活躍をします。
 ジョゼフ・コットンは脂ぎった男くささを感じさせない人で、『第三の男』(1949年/監督:キャロル・リード/これもセルズニック製作)など「いい人なのにねえ」と、ふられ役で同情票を集めるタイプ。「片思いの似合う男」です。
 修道院の教師役の、このとき50代半ばのリリアン・ギッシュの衰えぬかわいらしさも見どころ。1910年代の映画草創期から主にサイレント時代に活躍した、可憐な中にいつも毅然としたものを感じさせる、映画史を語るうえで欠かせない名花です。
 この三人は、『ジェニーの肖像』より前に、やはりセルズニックプロデュースの西部劇『白昼の決闘』(1946年/監督:キング・ヴィダー)でも共演しています。こちらのジェニファー・ジョーンズはジェニーとは似ても似つかぬワイルドな女性の役ですが、ジョゼフ・コットンは、ここでもやっぱりふられ役です。

 

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陽のあたる坂道(1958年)

 

何不自由ない家庭に育った若者の出生の秘密。彼と彼を取り巻く人間模様を鮮やかに描く青春文芸大作。


  製作:1958年
  製作国:日本
  日本公開:1958年
  監督:田坂具隆(たさか ともたか)
  出演:石原裕次郎北原三枝川地民夫芦川いづみ、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    高木家の飼い猫、田代家の飼い猫
  名前:高木たま、田代クロ
  色柄:白にわずかな茶のブチ=たま 黒=クロ
     (モノクロのため推定)

◆3度の映画化

 『陽のあたる坂道』は、今回の1958年のもの以外に、1967年と1975年にも映画化され、テレビドラマとしても2度放映されています。1967年の映画は西河克己監督、主役カップルは渡哲也と十朱幸代で、同じ日活映画。1975年は東宝で、吉松安弘監督、三浦友和檀ふみという顔ぶれです。新しい2作は上映時間2時間を切りますが、この田坂具隆監督版は3時間29分! 石坂洋次郎の原作小説をかなり忠実に映画化したものではないでしょうか。
 けれども、噛んで含めるような描写、特別な技巧を凝らさずよく整理された運びと、この映画でデビューした川地民夫など若いスターたちの魅力で、長さを感じさせない、題名通りの爽やかな青春ものとなっています。日本映画を語るうえで一度は見ておきたい作品です。

◆あらすじ

 アルバイトで社長令嬢・田代くみ子(芦川いづみ)の家庭教師になった女子大生の倉本たか子(北原三枝)は、初めてその豪邸を訪れたとき、玄関先で二男の信次(石原裕次郎)の無礼なふるまいに気を悪くする。明るく率直な高校生のくみ子は、幼い頃の怪我がもとで少し足を引きずっている。長男の雄吉(小高雄二)はどこかブルジョア気取りの美男子で、医者の卵。母のみどり(轟夕起子)の自慢とのことで、信次とは対照的だ。たか子は家族のように迎え入れられ、雄吉とお互いに好意を持つが、信次にはいつもからかわれてしまう。
 ある日、たか子はくみ子に誘われて、ジャズ喫茶にくみ子がファンだというジミー・池田の歌を聴きに行く。登場したジミーは、たか子と同じアパートに母と二人で住んでいて、たか子と親子ぐるみで親しくしている18歳の高木民夫(川地民夫)だった。ステージ後、三人は一緒に食事をし、くみ子と民夫は意気投合する。
 信次が偽悪的にふるまうのは、田代家の母は自分の生みの母ではないと気づいてのものだった。信次は父親から、実の母は芸者をしていた染六という女性だと聞き出し、それを信次から聞いたたか子は、染六は民夫の母のトミ子(山根寿子)だと気づいて「あなたのお母さんらしき人を知っている」と信次に告げる。
 正月、信次はアパートにトミ子を訪ねるが、部屋には民夫だけで、いきなり兄だと名乗って追い払われる。トミ子が帰ってから再び信次が訪ねたとき、民夫は留守で、民夫の友だちと思いこまれるままトミ子と近所の人と新年会を楽しんでいたが、帰った民夫にまたも追い出されてしまう。
 田代家の母は信次と二人きりのとき、くみ子が子供の頃に足を怪我したときのいきさつを問いただす。表向きは信次がその原因を作ったことになっていたが、本当は雄吉のしわざだと母は見抜いていた。
 その頃雄吉は、くみ子と一緒にたか子の故郷でスキーを楽しんでいたが、足を捻挫して入院。見舞いに来たたか子にプロポーズする。たか子は喜びつつも雄吉の口づけを避けてしまう。
 ある日、信次がチンピラ風の男たちに、ファッションモデルの女を妊娠させて捨てたとゆすられる。雄吉と人違いされたのだが、雄吉は信次がやったことにして母から手切れ金を出させようとする。雄吉のしたことと見抜いた母に詰問されても、自分がやったと言い張る信次。
 信次は、またもトミ子と民夫の部屋を訪ね、自分がトミ子の子であり民夫の兄であると名乗りを上げたが、民夫から兄とは認めないと激しく拒絶されてしまう。くみ子は二人を和解させようと、たか子と一緒にある計画を実行する。その日、たか子は自分が愛しているのは信次だと気づく・・・。

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◆猫の縁結び

 戦後の混乱もようやく収まった昭和20年代終わり頃から30年代になると、映画の中にしばしば非常に裕福な家庭が登場するようになります。大方の場合、主人は社長で、家は洋館、広い庭があり、犬を飼っています。庭に泥棒などが侵入したとき、それを家人に吠えて知らせる番犬が必要だったのです。大雑把に言うと、この頃の映画で犬は金持ちのシンボル。この田代家でも四畳半くらいの広さの金網の小屋を庭に建てて、グレートデンのバロンを飼っています。さらに、家の中には真っ黒でフサフサのペルシャ猫のクロもいます。
 一方、田代家の主人との間に信次を成した、元芸者の染六こと高木トミ子と、その後別の男性との間に生まれた民夫は、木造アパートの1Kの部屋で、たまという雑種の日本猫を飼っています。田代家と高木家の格差は猫によっても表されているわけですが、くみ子と民夫が仲良くなったのは飼い猫談議がきっかけ。クロがバロンのエサを横取りした話、たまがお酒を飲んで酔っぱらった話で、二人は大盛り上がり。
 このたま、まだ幼さの残る若猫で、こたつから出てきたり、新年会で歌い踊る人間たちを棚の上から見おろしていたり、ところどころで素朴な愛らしい姿を見せてくれます。ある晩、風呂屋から帰ってきたトミ子が布団にもぐりこんだときに、先に寝ていた民夫が「おかあちゃん、やろうか」と言うと「ああ、もらうよ」とトミ子が答えます。すると民夫が自分の布団からたまを出して母に渡すのです。寒い冬の夜、湯たんぽ代わりのたまをいつもこうしてやりとりしているのでしょう。寄り添って生きてきた母子の情愛が、こんな描写から伝わってきます。

  ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

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◆太陽の二人

 人もうらやむ裕福な家庭にも欠けているものがある。家族のモラルであったり、不和であったり、病であったり、金銭では満たされない精神的な幸福の欠乏である、と、貧しい人のルサンチマンをベースにしたようなドラマや小説や映画が、昭和中期には多かったように思います。その少し前には、貧しい母が子どものために自己犠牲を捧げる、という母もの映画の流行があったわけですが、『青い山脈』などの青春群像劇を得意とした作家の石坂洋次郎は、そうしたブルジョアの不全感と母ものの要素を小説『陽のあたる坂道』にまとめ上げ、それが映画としてビジュアル化されたのです。
 注目したいのは、主役カップルを演じたのが石原裕次郎北原三枝という点です。この二人は1960年に結婚し、1987年に石原裕次郎が亡くなるまで添い遂げたのですが、二人は1956年の映画『狂った果実』(監督:中原康)で出会いました。先日亡くなった裕次郎の兄の石原慎太郎原作の『太陽の季節』(1956年/監督:古川卓巳)で端役デビューした裕次郎は、2作目の『狂った果実』で主役を演じます。北原三枝の恵梨という女性を高校生の弟(津川雅彦)と奪い合い、恵梨は二人をもてあそぶという内容で、これらの映画の風俗を真似した若者たちが「太陽族」と呼ばれ、性的に逸脱した行動を取ったりして社会問題になったのですが、その主役を演じた二人が『陽のあたる坂道』で、正反対の清潔でまっとうな若者を演じたわけです。

◆イメージチェンジ

 批判に応じて太陽族映画の製作はとりやめになった一方、石原裕次郎の人気はうなぎ上りだったとか。『陽のあたる坂道』までの間に『嵐を呼ぶ男』(1957年/監督:井上梅次)など18本の映画に出演して日活の看板スターとなるのですが、彼が『狂った果実』の直後に出演したのが、同じ石坂洋次郎原作・田坂具隆監督の『乳母車』(1956年)。『陽のあたる坂道』の信次以上に真面目な役で大人に説教までするのですが、彼の太陽族イメージを払拭するためだったことは間違いないでしょう。これを受けて『狂った果実』の悪女・北原三枝とともに、より清新にイメージアップを狙ったのが『陽のあたる坂道』だったのではないかと思います。
 それにしても、1956年7月の『狂った果実』から、1958年4月の『陽のあたる坂道』まで、2年足らずの間に20本もの裕次郎出演映画が公開されていたとは、当時の映画の人気産業ぶりを物語る数字です。

瞼の母

 自分はこの家の母の子ではない、本当の母に会いたい、と願う信次が悪ぶっているのは、自分が何をしても家族は自分を見放さないだろうかという、家族たちを試す眼差しゆえです。けれどもひねくれて見える信次は正直なだけで、根性の腐っているのは一見完璧な兄の方、というのはよくある図式ですが、この映画は兄弟の歪んだ関係をじめじめと描かないことで古めかしさを免れています。
 田代家の母・みどりは、自分の生んだ雄吉がエゴイストで、失策はなんでも信次になすりつけるということを知っていながら雄吉を表立って責めないでいます。それは、田代という家がバラバラにならないように、この家に存在する欺瞞を欺瞞と知りつつ維持しようと覚悟しているからです。夫の不貞や、雄吉の不始末を苦に泣き崩れてもよかろうという立場ですが、この家の鎹(かすがい)たる自分の役割を果たそうとするプライドには、あっぱれと感服させられます。
 信次を産んだトミ子の方は、ほかに頼る親戚もないのだから、信次のような兄がいてくれるとどんなにお前が助かるかと民夫に諭す、母ものの母。女一人で辛酸をなめてきたトミ子の経験が生むアドバイスです。
 一方、信次はトミ子たちと一緒に暮らすつもりはなく、今まで通り田代家に身を置くことにしています。そんな信次がいきなりトミ子たちの前に現れて、あなたの子です、兄です、と名乗るのは軽はずみすぎると思いますが、そんな無茶を裕次郎の陽性のキャラクターが吹き飛ばしてしまっている感じがします。
 そして、往時の日活お得意の劇中歌、川地民夫の歌は決してうまくありませんが、この長尺の映画の実に軽快なアクセントとなっています。

ヒューマニスト田坂具隆

 田坂具隆監督は1930年代から、置かれた場所で懸命に生きる善良な人間を描いた映画を多く残しています。2022年4月で生誕120年。戦争中は戦意高揚映画も作りましたが、日中戦争時に撮影した『五人の斥候兵』(1938年)や『土と兵隊』(1939年)は、戦争賛美と言うよりは、兵隊たちの人間性をあぶりだそうとする視線が感じられ、どちらもヴェネツィア国際映画祭で受賞しています。
 その田坂監督は、広島で被爆しています。闘病後、1949年の『どぶろくの辰』で復帰、その後、『雪割草』(1951年)、自らが被爆者であることを背景に『長崎の歌は忘れじ』(1952年)を撮って再び闘病生活に入ります。1955年に感動作『女中ッ子』で返り咲き、『乳母車』『陽のあたる坂道』へと続きます。
 誠実で地味な作風は、人目を引くものではありませんが、普遍的な人間のあり方を描くことで、万人の心を打ち、時代を超えて伝えられるべき映画を残した監督と言えると思います。



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