廃校の危機にさらされる学校の命運を神に祈るシスター。
イングリッド・バーグマンがボクシングと野球を披露する!
製作:1945年
製作国:アメリカ
日本公開:1948年
監督:レオ・マッケリー
出演:ビング・クロスビー、イングリッド・バーグマン、ヘンリー・トラヴァース、
ジョン・キャロル、他
レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆☆(脇役級)
学校で飼われている子猫
名前:不明
色柄:茶トラ(モノクロのため推定)
◆シスターと修道女
働く女性の映画を連続して取り上げてきましたが、最後に登場するのはキリスト教のシスター。教会に付属する学校の院長先生を、イングリッド・バーグマンが演じます。
この映画で主人公はずっとシスターと呼ばれているのに、終わりの方で女生徒が「先生のような修道女になりたい」と、わざわざnun(ナン/修道女)という言葉を使っています。シスターと修道女は厳密には異なる存在だそうで、シスターはキリスト教の教えに基づいて教育や医療などの慈善活動を行い、修道女はより厳格な誓いを経て修道院で神に祈りを捧げる信仰生活を送るそうです。おそらくここでは、同じ修道女でも、先生を務めるときは役割上の呼び名としてシスターと、もともとの神に仕える仕事を果たすときは修道女と、区別して使っているのだと思います(私個人の解釈です)。
清らかなシスターを演じたイングリッド・バーグマンは、この映画ののち不倫スキャンダルを巻き起こしています。働く女性の映画の最後に、俳優という仕事を選んだ女性・バーグマンについても少々触れてみたいと思います。
◆あらすじ
神父のオマリー(ビング・クロスビー)は、聖メリー教会に赴任し、教区内の財政難の学校を訪問する。教師は全員シスター。院長はまだ若いシスター・ベネディクト(イングリッド・バーグマン)だった。
今にも崩壊しそうな校舎の隣の、運動場を売却した土地には資本家のボガーデス氏(ヘンリー・トラヴァース)のビルが完成目前。シスター・ベネディクトはボガーデス氏がビルを新しい校舎として寄贈してくれるようにと神に祈っていた。ボガーデス氏は、学校を廃校にして土地を売らなければ市議会で取り壊し命令を出すと主張する子ども嫌いの利己主義者。奇跡でも起きない限り寄付は望めなかった。
オマリー神父とシスター・ベネディクトは、生徒の教育方針をめぐって対立する。殴り合いに勝った男の子をほめたオマリーに、反対を示すベネディクト。パッツィ(ジョン・キャロル)という娘が卒業試験で落第点を取ったときも、ルール通り留年を主張するベネディクトと、パッツィの将来を考慮して卒業を認めさせようとするオマリーは口論になる。
ある日、生徒がビルのガラスを割ったお詫びに、オーナーのボガーデス氏のもとをシスター・ベネディクトが訪れる。ボガーデス氏はぼろ校舎をつぶして従業員の駐車場を作りたいと語り、ベネディクトはビルの部屋が教室になったところを想像する。ベネディクトは寛大と慈悲の心で寄付すればボガーデスの名はその身が塵になっても残る、と言い残して去る。
しばらくするとボガーデス氏は、何かあったのか、人が変わったようになった。ビルを学校に寄贈すると申し出たのだ。ベネディクトが大喜びをしたのも束の間、オマリー神父から彼女の転任が告げられる。オマリーとの対立が原因で左遷されるのだと、ベネディクトは心を乱してしまう・・・。
◆猫がいる学校
舞台となった学校は建て替えが必要なほど老朽化している、とされていますが、モノクロ画面で古さはあまり伝わりません。初めて訪ねたオマリーは、院長を待つ間ロッキングチェアに腰を下ろそうとしますが、そこには茶トラの子猫がいてお尻の下敷きになってギャーと逃げていきます。応対したシスターは「あちこちに猫がいますの」と説明。
まもなく十数人のシスターが集まり、オマリーが着任の挨拶をしていると、背後に置いたオマリーの帽子の中に子猫がちゃっかり潜り込んで、帽子が生き物のように動き出します。シスターたちはそれを見てクスクス。オマリーはなぜ笑われているのかがわからずオロオロ。やがて笑いの理由に気づき、いたずら子猫をオマリーは胸に抱えます。
ここでは帽子の中にバターか何を塗って、子猫を帽子の中にとどめる工夫をして撮影したようで、猫が帽子の中をせっせとなめています。NGを繰り返していると猫もおなか一杯になってなめなくなるし、こういう演出はスタッフ泣かせ。
レオ・マッケリー監督と言えば、以前にご紹介した『新婚道中記』(1937年)で、犬のミスター・スミスを活躍させましたが、この映画でも面白い犬を登場させています。オマリー神父が、心臓病の男が善行を積んで長生きした話をボガーデス氏の主治医にすると、それを伝え聞いたのか、心臓の悪いボガーデス氏は急に誰にも親切になり、車にひかれそうになった犬を助けるのです。そのあとボガーデス氏が何かに導かれるように教会に入ると、犬は命の恩人の後について来てあくび声を出し、祈っていたシスター・ベネディクトとボガーデス氏が目を合わせます。犬を礼拝堂から連れ出したボガーデス氏は挨拶に来たベネディクトにビルの寄付を申し出るのです。
『新婚道中記』でも猫はイタズラ役で、犬がいいところを持って行っていましたが、この映画でまたしても・・・。
猫が出て来るのは5分50秒過ぎの椅子の場面と、8分少し過ぎの帽子の場面の2回。2回目は2分近い長さで、子猫のお茶目さと監督の動物ギャグセンスが楽しめます。
◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆
◆無責任男
『聖メリーの鐘』はそのタイトルが示すような心洗われるヒューマンドラマ。
ビング・クロスビーが主役の神父を演じた『我が道を往く』(1944年/監督:レオ・マッケリー)の続編ですが、もともとは『我が道を往く』の方が続編として企画されていたそうです。
『我が道を往く』は、オマリーが教区の副神父として赴任し、教会や住民たちを健全な方向に導くという物語。オマリーの次なる活躍は、という形で『聖メリーの鐘』は始まりますが、のっけから前任の神父が学校のシスターたちと対立して追いやられたと聞かされ、前途多難な気配が。
さぞかし老獪な院長が、と構えていたら、若いシスター・ベネディクトが現れてオマリーは拍子抜けしたよう。気がゆるんだのか、院長の許可も得ず子どもたちの前で学校を休日にしてしまうというスタンドプレーを演じて、ベネディクトはご立腹。「子どもたちが悪さをしたらあなたの責任」と言い放ちます。ああ、やっちゃった。
◆ボクサー・ベネディクト
二人の二度目の衝突は男子生徒のケンカの処置。何もしていないエディにトミーが嫌がらせ、殴り合いでトミーがエディに勝つと、オマリー神父はトラブルを仕掛けたトミーの強さをほめます。エディはベネディクトに教えられた通り殴られた頬と反対の頬を出し、さらに殴られてしまいました。オマリーが、男の子は将来戦って道を切り開くために力が必要、と言うのに対し、ベネディクトが暴力の肯定だと批判すると、そんな女性の考え方が男の子の成長の芽を摘む、とオマリーは反論します。現在ではオマリーの考えは旧来のジェンダー意識だと言われるでしょうが、以前はよくこういう考え方を耳にしましたね。
ベネディクトはスポーツ用品店に出かけ、男の子の自己防衛に役立つ本を、とボクシングの解説書を買って来て自分で一通り習得、エディを呼んで内緒でコーチするのです。尼僧姿で「左ストレート、右クロス、左フック、右アッパーカット」と、バーグマンのフォームはきまっていてきれい。次第に服の裾をつまみ上げて軽やかなフットワークも見せ・・・。
バーグマンとスポーツやコメディは珍しい取り合わせですが、それを一度に実現させてしまったレオ・マッケリー監督、この時までに二度のアカデミー監督賞はやはり伊達ではありません。
エディは次のトミーの嫌がらせにはボクシングのテクニックで圧勝、トミーを寛大に許し、仲直りします。驚くオマリーに微笑むベネディクト。
さらにシスター・ベネディクトは野球をしていた女子生徒のバッティングフォームをお手本を示して修正、女の子の打球はボガーデス氏のビルの窓ガラスを割り、それがベネディクトとボガーデス氏が話をするきっかけとなるのです。
シスター・ベネディクトはお転婆だったという設定ですが、野球の構えも様になっているバーグマン、プールで素人ばなれした飛び込みをするプライベート映像を見たことがありますので(注)、運動は得意だったのでしょう。
◆教育と愛
卒業試験に落ちたパッツィには、彼女がおなかにいる間に父親が姿を消し、教育上問題のある家庭で生活していたという事情があり、母親から頼まれたオマリーがそんな背景を隠して学校に入学させ寄宿舎に入れました。いじけがちだったパッツィを留年させたら彼女がさらに傷つくと、オマリーは点が足りなくても卒業させるべきだと言い、ベネディクトは規則は規則と、留年を主張します。
パッツィのためにはどちらがよいかと迷うケースですが、やはりベネディクトの方が正論でしょう。社会にはルールがあることを教え、今後の彼女を注意深く指導するのが教育の本質です。けれども、パッツィは卒業するとあの家に戻らなければならないと、わざと落第点を取ったのです。ベネディクトのようになりたい、と泣くパッツィにベネディクトは、これから出会う楽しみを味わう前に放棄してはダメ、と修道女の生活の厳しさを悟らせるのです。
そんなときパッツィにも奇跡が訪れます。卒業式にはパッツィの姿が・・・。
◆悪役か天使か
このように神の見えざる手が働き、すべてが好転する展開は、イージーだ、ご都合主義だと思われるかもしれませんが、アメリカでの公開は1945年12月6日と、クリスマス映画だったわけですね。クリスマスの学校行事・年少の生徒たちの演じるキリストの生誕劇にもたっぷり時間がとられています。
クリスマスの映画と言えば1946年のフランク・キャプラ監督の『素晴らしき哉、人生!』が有名ですが、この映画で主人公を救う天使の役を演じたのが、ボガーデス氏を演じたヘンリー・トラヴァース。彼を見るとこの天使が思い浮かぶので、後から見た『聖メリーの鐘』ではどうしても憎らしい利己主義者には見えませんでした。そもそもこの人、悪役面ではありませんよね。
学校も生徒たちも危機を脱しますが、オマリーに転任を言い渡されたベネディクトだけは真っ暗。人間的な苦しみは修道女でも私たちと同じ。見かねたオマリーは転任の真の理由を明かします。
◆自分らしさを求めて
スウェーデンで俳優人生をスタートし、夫も子どももいて、1939年にハリウッドに招かれ人気俳優になったバーグマンは、アメリカに家族を呼んで暮らしていましたが、1945年に写真家のロバート・キャパと知り合って恋に落ち、まもなく別れています。また、イタリアのロベルト・ロッセリーニ監督のネオ・レアリズモ作品『無防備都市』(1945年)『戦火のかなた』(1946年)を見てロッセリーニ監督に手紙を書き、彼の映画への出演を願い出ます。念願かない、1949年の『ストロンボリ』(現在は『ストロンボリ 神の大地』)でイタリアに渡り、主演したバーグマンは、ロッセリーニ監督の子どもを宿してしまいます。
シスター・ベネディクトや、『ジャンヌ・ダーク』(1948年/監督:ヴィクター・フレミング)でのジャンヌ・ダルクなど、聖女のイメージを揺るがす不倫スキャンダルにアメリカ中からバッシング。
バーグマンは同じような役ばかりのハリウッド式の映画作りに飽き足らなくなっていたのです。彼女の人気を不動のものにした『カサブランカ』(1942年/監督:マイケル・カーティス)でもおなじみの、涙をたたえたバーグマンのきらめく瞳の美しさにフォーカスした映像は『聖メリーの鐘』でもここぞとばかりに登場します。修道女姿で出身地スウェーデンの歌を歌い、ボクシングや野球もしてみせるこの映画は、いわばファンサービス満載のアイドル映画。そのようなお仕着せの自己像を捨て、バーグマンはリアリズムに挑戦します。自分らしさを追求するそんなエネルギーが、新たな恋愛をも生み出したのだと思います。
バーグマンはロッセリーニ監督とも破局、ヨーロッパに住んで俳優業を続けます。60代で臨んだ映画、巨匠イングマール・ベルイマン監督の『秋のソナタ』(1978年)では、誰も口を出したことのない監督の演出に意見したというのも、彼女らしいエピソードではないでしょうか。
最後となったこの映画では、母親でありスターである自分自身と重なる役を演じています。
(注および参考)
映画『イングリッド・バーグマン 愛に生きた女優』
(2015年/監督:スティーグ・ビョークマン)
(参考)
「永遠のヒロイン その愛と素顔『わたしを演じる孤独~イングリッド・バーグマン~』」
NHK衛星ハイビジョン・BSプレミアム 2010年12月4日放送
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