わずか数十分にサラリーマン家庭の悲哀を凝縮させた、モノクロ・サイレントのコメディ。
小津安二郎監督のサラリーマンものとの違いは?
製作:1931年
製作国:日本
日本公開:1931年
監督:成瀬巳喜男
出演:山口勇、浪花友子、加藤清一、菅原秀雄、他
レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆(ほんのチョイ役)
食卓を歩いている猫
名前:不明
色柄:黒
◆小市民
年末も近づきあわただしくなってきましたが、今月はそんな気分が身に沁みる、働くおじさん・お兄さんの映画を取り上げようと思います。
タイトルの「腰辨」とは、腰に辨當(「弁当」の旧字体)をぶら下げて・・・と、弁当を持って通勤し、人に雇われて仕事をするサラリーマンなどの勤め人をからかい気味に表した言葉です。高度成長期までの日本は家族経営の自営業に従事する人が多く、昼食の弁当持参で朝から晩まで安月給で人に使われる勤め人は、彼らの目から見ると気の毒に思えたのですね。しかも戦前はまだ労働者を保護する法律や制度が整っていなかった時代で、特に世界恐慌後、勤め人はいつクビにされるかわからない不安を抱えていたようです。
したがって、上司や経営陣の顔色をうかがってビクビクしたり、ご機嫌を取ったりする風潮もあったようで、そうした事情を背景に小津安二郎監督の『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』(1932年/以下『生れてはみたけれど』に略)や『東京の合唱(コーラス)』(1931年)などのサラリーマンを描いた名作が生まれました。ちなみに『東京の合唱』には『腰辨頑張れ』の主役の山口勇が、主人公の同僚役で出演しています。
こうした当時の庶民の生活の苦労を描いた映画は「小市民映画」と呼ばれています。
短編ながら『腰辨頑張れ』も、サラリーマンの主人公と彼を取り巻く家族の悲哀をユーモラスに描いた佳作。女性映画の名手と言われる成瀬巳喜男監督には珍しく男性が主人公の、現存する最古の監督作品です。
完全版は38分とのことですが、この記事でもとにしたのはCS放送で放映されたり、アメリカのクライテリオン社から出ている成瀬監督のサイレント作品を5本集めたDVD(『腰辨頑張れ』の英題は『Flunky, Work Hard』)で見られる28分尺。終わり方が尻切れトンボな気がするので、そこが欠落しているのかもしれません。完全版は国立映画アーカイブが所蔵しているそうです。
◆あらすじ
岡部(山口勇)は生命保険の外交員。進という息子(加藤清一)とまだ乳飲み子の赤ちゃんを抱え、妻(浪花友子)からは「こんな貧乏暮しはもうあきあきした」と言われる苦しい生活である。
今日も、いま勧誘中の5人も子どもがいる裕福な戸田家から契約を取れれば少し楽ができる、と出かけるが、到着するとライバルの保険会社の外交員の中村(関時男)がすでに奥さんに取り入ってセールスを始めていた。二人は小競り合いになって、奥さんから帰れと言われるが、岡部は庭で遊んでいた子どもたちのご機嫌を取ろうと馬跳びの馬になる。中村も負けじと一緒になって遊ぶが、二人とも再び奥さんに叱られて空振りで帰る。
腕白息子の進は、一緒に遊んでいた子ども(菅原秀雄)が屋根の上に落としたおもちゃの飛行機を、取ってきたら飛ばさせてやると言われて取ってきたが遊ばせてもらえなかったので、その子をぶって泣かせてしまう。そこに通りかかった岡部が、進が泣かせた子どもが戸田家の子どもだったことに気づいて、謝って来いと進に手を上げきつく叱る。
戸田家の子どもを肩車して岡部が戸田家に行くと、踏切で子どもが電車にひかれたと奥さんとお手伝いさんが話している。岡部は子どもには何があるかわからないから、と言って契約を取ることに成功する。
岡部がホクホクして家に帰ると、誰もいない。乱れたままの室内を見て何かあったのかと思っていると、近所の人が「進ちゃんが電車にひかれて奥さんは病院に行った」と知らせに来る・・・。
◆猫の意味
この映画の猫は、始まってから22分ほど過ぎた頃にほんのちらっと登場するだけの瞬猫。
岡部が契約を取ることに成功し、家に帰って誰もいないのか、と障子を開けると、ちゃぶ台か何かに食器が並んでいる間を黒の子猫がするりとすり抜け、姿を消します。人の気配がないのをいいことに、何かを失敬しようとして忍び込んだ泥棒猫なのでしょうか。たったこれだけのショットですが、これが大きな効果を上げています。
帰宅して、あれ、誰もいない、と岡部が思ったとき、まだ彼の気持ちはニュートラルです。けれど、障子を開けて猫を見たとき、理由なくネガティブな方向に気持ちがシフトチェンジするのです。部屋に引き返して灯りを点けると、赤ちゃんのおもちゃや縫物が放り出してある。岡部の表情がこわばったとき玄関の戸が開いて、妻が帰って来たかと一瞬表情がゆるむと、進が電車にひかれたという知らせ・・・。
ご機嫌な気分からそれが暗転するまで、岡部の気持ちが段階的に移り変わっていきます。観客は岡部と同じ心の動きを経験します。そのきっかけを与えるのがこの猫。猫の姿にはっとした瞬間、観客はそれまで笑って見ていた岡部と一体になってしまうのです。
人間の指示で猫が歩いてくれるわけもなく、別に撮りためた映像をここに挿入したはずですが、これはモンタージュの技法。それ自体は意味のない猫のショットが別のショットとつながることで人の想像力を刺激し、意味を生み出します。猫が何をしているのかはっきりわからないところ、すぐに消えてしまうところも人を落ち着かなくさせ、ここから物語はガラッと転換します。
◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆
◆貧乏ネタ
先ほど話した小津安二郎監督のサラリーマンの映画が職場の人間関係や処遇を描いているのに対し、『腰辨頑張れ』では主人公の職場は一切描かれず、お客とライバルをめぐるビジネスを軸に話が動きます。
サイレント映画とあってギャグはナンセンスなドタバタが中心となりますが、成瀬監督得意の貧乏ネタがこの頃からすでに満開。
ボロ靴は成瀬監督愛用のアイテムですが『腰辨頑張れ』は、赤ちゃんを背中におぶって、底に穴が開いた靴を岡部が磨いているシーンから始まります。間に合わせに新聞紙を底に詰めて戸田家に勧誘に出かけますが、馬跳びの馬になったとき戸田家のお坊ちゃまに底の穴を見られ、笑いものになってしまいます。
さらに、子どもたちにお小遣いをあげて気に入られようと小銭を出すと、子どもたちがそれぞれポケットから出したのは岡部の出したものより高額の貨幣。
貧乏暮らしに嫌気がさした妻は、掃除中に二人の婚礼写真が転げ落ちて来たとき、ほうきで掃いてしまいます。
やんちゃ坊主の進におもちゃを買ってやるゆとりはなく、喧嘩しておもちゃをこわした子の親に「たまにはおもちゃくらい買ってあげるといいですわ」と嫌味を言われてしまう始末。その子のおもちゃもやはり紙製のプロペラ飛行機でした。
◆飛行機
筆者の兄も、ゴムの弾性を利用してプロペラを回す紙製の飛行機を作って遊んでいたのですが、ネットで見るといまも同じような物が売られているんですね。今はライトプレーンと呼ぶようですが、この映画に出て来たものとほとんど変わっていないようです。
飛行機には、高みへの上昇、鳥のような自由、解放感といったイメージがありますが、その一方で、墜落した場合乗っていた人の生存の確率は極めて低いという死に直結するイメージも持っています。
子どもたちの憧れだった飛行機。おもちゃでさえどの子でも持っていたわけではなく、持っている子の飛行機をさわらせてほしい、とみんなが群れています。岡部の息子の進は、屋根に落ちた飛行機を取って来てやったとき、戸田家の子どもが飛行機を触らせてくれなかったので、転ばせたり、ぶったりしてやっつけてしまいます。そこに通りかかった岡部に、約束を破った子をやっつけた、と報告したら、一旦は進を肯定した岡部が、相手が戸田家の子だと知ると「お前が悪い」「お父さんが困るんだ」と進を叩いて謝らせようとします。昔は親がこれくらい子どもを叩くのは珍しくはありませんでしたが、いま見るとかなり暴力的に見えます。しかも進は悪くないのに! 進は岡部の理不尽な豹変に泣きながら駆け出して行ってしまいますが、事故に遭ったのはその後です。
進が電車にひかれたと映画では言っていますが、はねられたのだと思います。そのことも知らずに、戸田家から契約を取った岡部は進のために飛行機のおもちゃを買って帰ります。そこに降ってわいたような事故の知らせ。契約を取りつけた高揚感から奈落の底までの落差。飛行機はそれを予言的に象徴していたかのようです。岡部のまぶたに、飛行機の像が浮かび上がります。飛行機は憧れから死のイメージに変わります。
◆笑えない展開
小津監督の『生れてはみたけれど』では、上役にこびる父親に幻滅した子どもたちがハンストをしたり、『東京の合唱』ではクビになった父親がのぼりをかついで街頭宣伝しているカッコ悪いところを妻や子に見られてしまう、という半分笑えて半分泣ける展開になりますが、『腰辨頑張れ』は、仕事のために子どもの気持ちを考えなかった親が子どもの命にかかわる事故を招いてしまうという容赦のないシリアスドラマに変貌します。そして成瀬監督にしては珍しい実験的な映像が、事故のあとに連続します。
進とのやり取りを回想したフラッシュバック、ネガポジ反転、飛行機や電車が一つの画面に複数現れるイメージなど、すべて岡部が「ああ、俺はたかが契約を取るために進にとんでもないことをしてしまった!」という後悔と苦悩の表現です。
進の病室では、水道の蛇口から水滴が落ち、たまった水の中にハエが浮いてもがいています。
こうした前衛的な描写や人物のクローズアップの多用、光と影のコントラスト、ストーリーの情け容赦ない展開などは、セルゲイ・エイゼンシュテイン監督の『戦艦ポチョムキン』(1925年)やヨーロッパのサイレント期の映画を思わせます(撮影は三浦光男(注))。
意識のない進の胸に買ってきたおもちゃの飛行機を乗せ、岡部と妻は必死に呼びかけます・・・。
◆二人の小津?
岡部を演じた山口勇は人懐こそうな笑顔。大柄でがっしりして、ライバル保険会社の中村と並ぶと大人と子どものようです。営業マンにしたらすぐ覚えてもらえて好かれそうなタイプ。多くの映画に脇役として出演しています(稲垣浩監督の『無法松の一生』(1943年)の、車引きの松五郎を寝込ませた撃剣の先生役だったとは!)。『東京の合唱』でも靴を磨いていますが、しゃれた白靴で、もちろん底に穴など開いていません。
子役たちの多くは、松竹の名子役と言われた子どもたち。進を演じた加藤清一(精一とも)は、小津監督の『母を恋はずや』(1934年)で子ども時代の兄を演じ、父の死にも動じないきりりとした表情がけなげでした。『生れてはみたけれど』では会社の専務の生意気な息子役で出演。その専務にペコペコする父親の長男を演じたのは、進に泣かされた戸田家のお坊ちゃまの菅原秀雄。『腰辨頑張れ』の1年あとですが、ずいぶん成長していて驚きます。『東京の合唱』ではクビを切られた父親の長男役として、大人顔負けの名演を見せています。
松竹の十八番(おはこ)、家庭劇の映画は、こうした子役たちなくしては成り立たなかったわけですね。
成瀬監督は1934年まで松竹に在籍したあと、のちの東宝に移ります。小津監督と題材が似ていたため「小津は二人いらない」と言われて松竹を去ったと聞いていますが『腰辨頑張れ』を見ると、映像表現や180度変わるストーリー展開(脚本は成瀬監督自身)、テンポなど、小津監督とはかなり異なることがわかります。意識して違いを出そうとしたのかもしれません。その後成瀬監督は女性の人生のドラマを描き続け、小津監督は家族の日常を描いて行きます。
『腰辨頑張れ』の公開1週間後に『東京の合唱』が公開されたということですから、当時の観客は見比べてどちらが好きか議論したことでしょう。映画的にはなんと贅沢な、うらやましい時代だったことか!
(注)のち光雄。豊田四郎監督の『夫婦善哉』(1955年)も手掛けています。
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