この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

姉妹(きょうだい)

性格の違う姉妹が、人々との出会いを通して社会を見つめ成長して行くのだが・・・。


  製作:1955年
  製作国:日本
  日本公開:1955年
  監督:家城巳代治(いえきみよじ)
  出演:中原ひとみ野添ひとみ望月優子河野秋武、川崎弘子、内藤武敏、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    妹の友だちのお屋敷の猫
  名前:不明
  色柄:キジ白(モノクロのため推定)

能登地方ほか地震の被害に遭われた皆さまに心からお見舞い申し上げます。


◆きょうだい

 『宗方姉妹』(むねかたきょうだい)(1950年/監督:小津安二郎)についての記事で書いたように、これも「姉妹」と書いて「きょうだい」と読ませる映画の一つです。『宗方姉妹』同様、この映画も映画専門サイトやネット配信などで「しまい」とされているのを見かけます。いまは「姉妹」と書いて「きょうだい」と読む人はほとんどいないのではないかと思いますが、これら昭和30年代頃までの映画では「姉妹」を「きょうだい」と読ませて特別ルビも振られていませんので、普通の読み方だったのだと思います。
 この作品についてはDVDの特典映像(注1)の中原ひとみへのインタビューで主役の彼女が「きょうだい」と言っていますので、「きょうだい」と読むことは間違いありません。

 「きょうだい」は性別や年齢の上下に関係なく同じ親の子どもを包括して指す言葉。「兄弟」「姉妹」だけでなく「兄妹」「姉弟」などもあるわけですが、これらの中からなぜ「姉妹」を「しまい」と読むのが一般的になったのか、どなたかご存知ではありませんか。

◆あらすじ

 近藤圭子野添ひとみ)と俊子(中原ひとみ)の姉妹は、山の水力発電所で働く父(河野秋武)と母(川崎弘子)、3人の幼い弟の暮らす家を離れ、町の伯母(望月優子)夫婦の家に下宿して高校と中学に通っていた。妹の俊子は天真爛漫で思ったことをすぐ口に出す性格。しっかり者の姉の圭子はそんな妹を叱りながら母親のように接していた。
 姉妹は冬休みに家に帰り、正月を過ごす。姉の圭子は発電所で働く岡という青年(内藤武敏)にほのかな想いを抱いていた。
 姉妹は、町では、同級生の裕福でも冷たい家庭を見たり、同じ年頃の娘の生活苦を知ったり、伯父が賭博で捕まったり、山の村では、女性の浮気騒ぎがあったり、娘の身売りの相談を受けたり、発電所で事故が起きたりなど、社会のさまざまな側面を目にする。
 圭子が高校を卒業して父母の家に戻り、俊子は寄宿舎に入る。東京への修学旅行が近づいたとき、父は発電所で首を切られた仲間をおもんぱかって、俊子が修学旅行に行くのをやめさせる。俊子はみんなが修学旅行に向かう汽車を途中で一人降り、山の家で父の思いを聞く。
 やがて、圭子に縁談が持ち上がる。岡に対する姉の気持ちに気づいていた俊子は、私がお父さんに岡さんのことを話そうか、と言うのだが・・・。

◆冷たい屋敷

 俊子はある日、同級生のとしみの家に遊びに行きます。としみの家は大きな酒蔵で、広い屋敷の中を俊子は使用人に先導されてとしみの部屋にたどり着きます。
 お茶を運んできたとしみのお母さんはとりすました女性。下宿先の伯父の職業を聞かれ「大工の棟梁です」と俊子が答えると「建築技師ではないんですか」といやみな感じ。お屋敷の中は冷たく、俊子ととしみが庭に出ると脚の悪い姉と出会い、姉は俊子の目を避けるように去ってしまいます。姉は誰とも付き合わない、と言うとしみ。そして、11歳の弟がいるが5歳くらいにしか見えない、ともう一つの秘密を打ち明けます。そんな家庭の事情を知って、あくまで映画製作当時の認識で現在と意識の差があるところですが、俊子はお金持ちでも幸せとは限らないと思うのです。
 俊子がとしみをかわいそうと思う、と包み隠さず言ったことにとしみは感激し、「あたしにキスして」と言い出します。俊子は驚いてひっくり返ってしまいますが、としみと唇を合わせます。「冷ゃっこいね、蛇みたいだね」と俊子は大きな目をますます大きく見開きます。
 おっと、猫の話を忘れるところでした。猫は俊子がとしみの部屋に案内されるとき、俊子の背後の畳の部屋をニャ~と斜めに突っ切っていくだけで、登場する必然性も意味もまったくありません。せっかくの映画出演なのですからもう少し花を持たせてやりたかったですね。
 昔の映画ではどちらかと言うと猫は庶民のペットで、お金持ちの家では大きな犬が飼われていることが多いのですが、犬は犬で立派なのが脚の悪いお姉さんと一緒に出てきます。猫の登場は12分20秒を過ぎたあたりです。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆討論しよう

 この映画を見たことがある人は、女学生の日記風の映画だなと感じたと思います。原作は畔柳二美(くろやなぎふみ)の同名の自伝的小説。プロレタリア文学佐多稲子と親しくしていた作家だそうです。原作者自身は二女の俊子に相当し、家族構成も父の職業も同じです。作者の大正末期から昭和初期にかけての女学生時代を描いているそうで、映画ではそれを戦後に置き換えていますが、少々古めかしい感じがするのはそのためかもしれません。
 この映画では俊子が身体障碍者に対するひどい差別語を使ったりします。俊子はおおらかなのはいいけれどまだ幼稚で無思慮なところがあるのです。

 俊子を中心に、その身辺で起きる出来事や姉との絆を時間の流れを追って描いて行くこの映画、まだ見ていない人はできれば誰かと一緒に見てほしいと思っています。と言うのは、いい映画だと言う人と、あまり好きじゃないと言う人の真っ二つに分かれるのではないかと思うからで、見終わったら感想を話し合ってみると面白いと思うのです。
 どこか道徳の教科の副読本のようなこの映画の気になるエピソードを、いくつか取り上げていきたいと思います。

◆はっちゃんのこと

 姉の圭子はクリスチャンで、世の中には不幸や悲惨なことや汚いことがいっぱいあって寂しくなる、と言うような人。圭子は伯母のところに出入りしている小間物の行商のはっちゃんという同年代の女性が、お父さん(加藤嘉)は盲目、お母さん(北林谷栄)は足腰が立たず、家の掃除もできないというのを聞いて俊子と黙ってはっちゃんの家に行き、きれいに掃除してあげて両親に感謝されます。
 そこに帰ってきたはっちゃんは顔を曇らせ、もう来ないでくれと言います。家族三人とも結核性の病気だからうつると言うのですが、はっちゃんは圭子と俊子を目にすることで自分が惨めに感じられ、辛かったのだと思います。悲しくなったお母さんは泣き崩れてしまいます。
 時として善意は思いがけず人を傷つけることもありますが、あなたが圭子だったら、また、はっちゃんだったら、どうしたでしょう。
 帰り道で俊子は「わたし、お医者様か政治家になりたくなったよ」と姉に話します。

◆DVを受けているおばさんのこと

 姉妹が冬休みに山の村に帰ると、夫(殿山泰司)から叩かれているおばさん(倉田マユミ)がいます。おばさんは人目を引くタイプですが身なりも家も粗末で赤ちゃんをおぶっていて、二人に気づくと声をかけて町の話を所望します。今度ダンスホールに行ったらその話をしてくれ、とおばさんは言いますが、俊子が「わたしも行ってみたい」と言うと姉の圭子は神に許しを請うように十字を切ります。
 そのおばさんが、夫が留守の間に男を引っ張りこんだというので夫が追いかけ回して殴りつけ、村中大騒ぎになります。姉妹が冬休みを終えて町に戻るとき、その相手の若い男と同じ汽車に乗り合わせることになって、圭子は汚らわしいと言い出します。けれども俊子は、おばさんは旦那さんからいじめられていたんだからほかの人を好きになっても仕方ない、とさらっと言います。圭子はそんな俊子にあきれて「もう口をきかない」とぷりぷりします。
 あなたは俊子の言うことをもっともだと思いますか。それとも圭子に味方しますか。

 おばさんとの間には後日談があって、圭子が卒業して親元に戻ったとき、おばさんが圭子に気づくと声をかけます。
 おばさんは成り行きで夫と一緒になったことを悔いていて、圭子には「結婚するときは見合いした方がいい」とアドバイスします。
 谷川におばさんの歌声が響く中、圭子は物思いに沈みながら吊橋を歩いて行きます。

◆父のこと

 山の発電所に勤める姉妹のお父さん、真面目な性格で、姉の圭子は素直に従い、妹は父の誰にでも公平なところを慕っています。圭子は高校を卒業したら進学も就職もせず家に戻ることにしています。家では女は高校までという約束になっていて、圭子はそれに疑問や反発を抱く様子はありません。
 ある日、父のところに山奥に住む母娘が訪ねてきて、北海道に働きに行くから娘を買ってくれ、と言い出します。さもないと旅費がないと言います。父は俊子を呼んで、新学期に靴を新調してやる約束だったけれど母娘の旅費のためにそのお金をあげたい、と言い出します。俊子は仕方なく承知します。
 そのことがあったあとで、父は「発電所で3人も首を切られた。旅行どころか子どもに学校をやめさせた人もいる」と、俊子が修学旅行に行くのを止めます。
 映画では、俊子が父のそんな性分を理解して、薪でお風呂を焚いてあげ、父の背中を流しながら「お父さんやせてるね。5人も子どもがすねかじるんだもの、太れないね」と語りかけるといういい場面になります。けれども、俊子は本当にそれでよかったのかが気になります。
 靴を我慢させるのと、一生に一度の修学旅行を親の考えでやめさせるのとは次元の違う話。お父さんは労働組合の仲間として連帯を示そうとしたのだと思いますが、首を切られた親もその子もこの話を聞いて嬉しいとは思わないでしょう。
 あなたがお父さんだったら、俊子だったら、どうしますか。

姉の結婚のこと

 この映画のクライマックスは、野添ひとみの演じる圭子の花嫁姿。かつての日本映画の、自宅で支度を済ませた娘が親に挨拶をする名場面が目に浮かびますね。
 けれども、圭子は岡青年のことは胸に秘めたまま、父と母が勧める見合い相手と結婚するのです。
 納得できない俊子は姉のことをどう思っているのか岡に問いただすと、岡は、自分は一生この山で終わる男、圭子さんにはこういう生活は無理なんだと、以前から達観していた様子。そんな岡の働く発電所に視線を投げ、花嫁姿の圭子はバスに乗って嫁いでいきます。
 あなたが岡だったら、また圭子だったらどうしますか。
 DVを受けていたおばさんが「幸福になってくださ~い」と圭子の乗るバスに手を振っています。・・・おばさんのアドバイスがききすぎちゃったのかな。

◆人のため

 と、今回は本当に道徳の授業のようになってしまいましたが、日本人が手を取り合って未来を築こうとしていた反面、世のため人のためと自分を抑えるこの映画は、SNSで人目を引いたり、「好き」にこだわり自分を大事にする現在の風潮の中で、どのように皆様の目に映るでしょう。
 発電所があと数日停電なしで運転できたら千円のボーナスが出る、と職員の家族たちが楽しみにしていると電気が消えてしまって千円が夢と消えたり、岡青年が故郷から送ってもらったスルメを電熱器でじかにあぶって圭子に食べさせたり、この時代を象徴する労働組合のコーラスやロシア歌謡、山の吊橋や峠道、木造の学校など、ほのぼのとしたエピソードや美しい風景もこの映画には収められています。町は松本市発電所山梨県の早川発電所にロケしたそうです(注2)。

 徹底した清純派の役で演技する野添ひとみ。少し前の記事の『巨人と玩具』(1958年/監督:増村保造)での虫歯娘とは正反対の役ですが、あなたはどちらが好きですか(しつこい)。
 妹役の中原ひとみと、両ひとみの輝くようなキュートさでこの映画は社会派の独立プロの映画としては人気が高いようです。中原ひとみは俊子のような女優になってほしいというファンレターをたくさんもらったそうです(注3)。
 家城巳代治は左翼系の映画監督。特攻隊を描いた『雲ながるる果てに』(1953年)や、三國連太郎が人権を無視したエゴイストの軍人を演じ田中絹代と斬り合うような演技を見せた『異母兄弟』(1957年)もぜひ見ていただきたいと思います。

(注1)DVD『姉妹』(発売:新日本映画社/販売:紀伊國屋書店)特典映像「中原ひとみさんインタビュー」
(注2,3)同 付録パンフレット

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