この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

巨人と玩具

菓子メーカーの宣伝部の新人・西は、激しい企業間の競争の中で人間のエゴ、病む人々を目の当たりにする。
増村保造監督の切れ味鋭い演出が光る1本。


  製作:1958年
  製作国:日本
  日本公開:1958年
  監督:増村保造
  出演:川口浩野添ひとみ高松英郎山茶花究、信欣三(しんきんぞう)、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    合田家の飼い猫
  名前:フウ
  色柄:黒


◆企業間戦争

 前回の『腰辨頑張れ』(1931年/監督:成瀬巳喜男)に引き続き今回も働く男の日本映画です。『巨人と玩具』は『腰辨頑張れ』から約27年後の作品。その間、日中戦争、太平洋戦争という暗い時代があったわけですが、世界恐慌に端を発し、不況から侵略戦争へと突き進む前夜の『腰辨頑張れ』のナンセンスな明るさに対し、戦後、豊かになってきた時代の『巨人と玩具』には、豊かさを追求するがゆえの社会の病理が見て取れます。川口浩野添ひとみののちに結婚したカップルが、弱肉強食のレースに巻き込まれる戦後世代の若者像を演じています。
 あまりメジャーな作品ではありませんが、私の好きな昭和の映画の一つです。女好きのカメラマンを演じる伊藤雄之助、この映画唯一の良心的人物、胃病に苦しむ部長の信欣三の、脇の二人も持ち味を出していて好きです。

◆あらすじ

 菓子メーカー、ワールド、アポロ、ジャイアンツの3社は互いにしのぎを削るライバル同士。大学卒業後ワールドの宣伝部に就職してまだ間もない西(川口浩)は、上司の凄腕課長・合田(高松英郎)を尊敬していた。近く各社で予定されている特売の懸賞賞品に何を提供するか、西は他社の情報を探っていた。
 ある日、西と合田課長は町で前歯の虫歯が目立つ風変わりな娘に目をつけ、声をかける。娘は18歳の島京子(野添ひとみ)。合田は京子をワールド専属のトレードキャラクターに起用するつもりで、先に彼女を売り出そうと写真家の春川(伊藤雄之助)のモデルに推薦する。京子はカメラ雑誌でデビュー、新鮮なキャラクターでたちまち人気者になる。
 ワールドの賞品は合田の提案の宇宙服に決定し、宇宙服を着た京子のポスターが作成される。西はワールドと専属契約をした京子の担当になって彼女に張りつき、その傍らでジャイアンツの宣伝部に就職した学生時代の友人を通じてアポロの宣伝部の倉橋(小野道子)という女性に接近する。倉橋は、アポロの賞品は特等が乳母車から婚礼までの生活資金だと明かす。
 3社三つ巴のキャンペーンで目立っていたのは京子だが、実質はアポロが他2社を引き離していた。そんな折、アポロの工場が火災になり、生産がストップする。ライバルの窮地に乗じようと合田は会議で増産を主張する。宣伝部長の矢代(信欣三)は止めようとするが、売上げ倍増を条件に合田の提案が受け入れられる。過酷な宣伝活動で合田は体調を崩していく。
 売れっ子になった京子は何でも手に入る高収入を得るようになったが、好きになった西だけは得ることができなかった。西から拒絶された京子がワールドの宣伝活動には協力しないと裏切りに出ると、合田は西に京子を抱けと命令する・・・。

◆妻と猫

 「あらすじ」では触れませんでしたが、合田課長の妻は合田の上司・宣伝部長の矢代の娘。昔は上司がこれと見込んだ部下と自分の娘を結婚させ、婿になった部下は上司の覚えめでたくトントン拍子に出世する、などという武士階級のような結婚が会社でもよくあった・・・という話、令和の若い方には信じてもらえますでしょうか。
 その矢代部長は、かつては合田並みに鬼と言われた人物。熾烈な競争で胃を痛め、今では強引ともいえる合田のやり方に異を唱えるようになっています。矢代部長は娘、つまり合田の妻から近頃ずっと合田の帰りが遅いと愚痴をこぼされ、合田をいさめるのですが、合田は聞く耳を持ちません。
 この映画に登場するのはその合田家の猫。初めは川口浩の西が合田の家に行った46分過ぎあたりで声が聞こえます。合田が仕事に行っている間、家にいるのは妻と猫だけです。
 猫の姿が出て来るのはラスト近くの88分過ぎ。合田が無理な宣伝活動を重ね、吐血したのを心配して西が合田の家を訪ねるのですが、応対に出た奥さんはちょっと様子が変。猫を抱きながら玄関に出てきて、合田がまだ帰っていないと言うと「フウと申しますのよ、この猫」と大きな黒猫を西の方に差し出します。家庭が空洞化し、孤独な奥さんは精神のバランスを失ってしまったのです。奥さんの寂しさを埋めることができなかったフウ。猫は人間と違って無理な仕事はしませんからね。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆イタリア仕込み

 映画のオープニング、大映の会社ロゴが消えると、青空をバックに手を後頭部で組んだ若い女性の後ろ姿のアップがバン、と映ります。振り返った彼女、い、イモ・・・! 眉毛は太く、真っ赤な口紅を塗った口元には虫歯がのぞき、「フ、ア~ン」と伸びを・・・。と次の瞬間、画像がモノクロの静止画に変わり、またたく間に2分割、8分割・・・と無限に画面いっぱいに広がって、断末魔のような男の叫び声のあと、タイトル、スタッフ、キャストのクレジット。バックには「ドコドン、ドコドン・・・」というプリミティブな響きの歌が流れます。女性は京子を演じる野添ひとみ。歌は映画の後半で京子が歌う劇中歌です。
 京子の写真プリントが風に吹き飛ばされると、歌が続いたまま画面はサラリーマンの通勤風景に切り替わり、一方向に歩く大勢の背広姿の人々の中に主人公の西を演じる川口浩が混じっています。ワールドのオフィスでは専務(山茶花究)と宣伝部長の矢代が売り上げについて話し合っているところに合田課長が割り込みます。
 ここまでのリズム、パンチの利いたタイトルバック、登場人物たちはガンガンセリフをまくしたて、持って回ったような状況説明を吹っ飛ばしたスピード感が心地よいです。
 企業間の競争をテーマとした小説や映画としては王道と言っていいストーリーですが、終始このスピード感が衰えず、宣伝会議に持ち込まれた玩具類、写真スタジオ、京子の貧しい家、TVやラジオの撮影・録音現場、デパートでのファッションショーや野球場での宣伝活動など、当時の日本をドキュメンタリー的に伝える映像が目まぐるしく繰り広げられ、飽きません。驚いたことに合田が疲労回復のため覚醒剤を使い、西もそれを当たり前のように受けとめるという、当時の世相をしのばせる場面もあります。
 増村保造監督は、映画界きってのインテリ。東大法学部を1947年に卒業後、アルバイトのつもりで大映の助監督になり、並行して東大の哲学科に学士入学、1952年にローマの映画実験センターに2年間留学(注)、白井佳夫師匠によれば彼がイタリア語で書いた日本映画に関する論文は今でも優秀論文として保管されているという話です。
 『巨人と玩具』の、昭和中期の日本映画を一歩突き抜けたようなドライで疾走感あふれる展開、豊富なロケシーンは、増村監督がイタリアで培ったセンスの賜物であることは間違いないでしょう。

◆撃ちてし止まむ

 この映画では、企業の利潤追求のために次々と人が病んでいきます。開高健(かいこうたけし)の原作小説が発表されたのは1957年ですから、終戦後12年で日本は経済的利益優先で人間性を否定した社会を創り出していたということがうかがえます。ただ、ここで主に描かれるのは、企業としてのブラックな体質より、一個人としての社員の滅私奉公と出世欲です。
 高松英郎演じる宣伝部の合田課長は、菓子メーカー社員としての製品への誇りや愛ではなく、売上に対する貢献が評価され、出世することにしか関心がありません。上司で義父の矢代部長がブレーキをかけても、彼の意見を聞き入れていては他社との競争に負けてしまうと耳を傾けないどころか、彼を蹴落として自分が部長の座におさまろうとすら考えます。
 矢代部長を半ば負け犬と軽蔑しているかのように見える合田は、どこかで自分も同じことになるということはわかっていたのではないでしょうか。けれども周囲から次期部長にとおだてられ、売上げ倍増を条件に増産を承諾されたとき、前に進むことだけしかできなくなってしまいます。
 合田のような人間が中心となって動かしていた社会には、己の命を国のために投げ出すという玉砕精神が、戦後も反省されることなく生き残っていたことを示すのではないかと思います。増村保造監督の映画には、人間性を無視した日本の戦時体制への批判が匂うものが少なくありません。

◆戦後の女性

 一方、京子という女は戦後を象徴するキャラクターです。男性に対し法的に不平等で、家のために尽くすことが求められていた戦前の女性。京子は自分の幼い時にそんな世の中が存在していたなどと知らぬかのような、自分第一主義の娘です。
 父母と幼い弟妹達と狭いあばら家に住んで、小さなタクシー会社で働いていますが、京子が写真モデルとして人気が出たとき、合田は「インタビューでは『父が病気なのでお給料は全部家に入れています』と答えろ」と言います。孝行娘の姿を示せばより大衆から支持されると、アドバイスしたのでしょう。けれども京子は給料を全部自分一人で使うために働いていた、そんな古くからの美徳とは正反対の娘です。
 出世という権力欲・名誉欲に走る合田に対し、京子はスターとして注目を浴びるきらびやかな生活と消費社会の欲望という、表面上の豊かさに溺れていきます。タクシー会社で京子が飼っていたオタマジャクシたちは、京子の人気が上昇するにつれほったらかされて死んでいきます。京子はワールドの専属トレードキャラクターの仕事は二の次に、歌って踊るタレントとして舞台に活躍の場を広げるのです。
 SKDの養成所・松竹音楽舞踊学校を出た野添ひとみの見せ場。このとき舞台で歌う歌が、タイトルバックに流れていた歌です。差別的な歌詞が含まれ、誰が歌っていたのか、なんという題か、クレジットされていないのでわからないのですが、男の声は川口浩、女の声は野添ひとみではないでしょうか。
 昭和中期頃までの映画ではよくダンスの場面が挿入され、古めかしくてちょっと引いてしまうことも多いのですが、これは古いことは古いものの撮り方に変化があって、ショーダンスとして面白く見られます。京子のヤマドリの羽根を使った頭飾りと衣装がワイルドです。

◆戦争への軽蔑

 合田と京子に比べやや影が薄い西ですが、まだ社会の毒に染まっていない彼は坊ちゃんタイプの川口浩には適役。彼が情を通じてスパイしようと接近したアポロ製菓のやり手女性・倉橋は一枚上手で、くちばしの黄色い西との関係には溺れず、手のひらで転がすようにあしらいます。ジャイアンツに就職した学生時代の友人は、京子のワールドへの裏切りの黒幕として働きます。そんな競争に嫌気がさし、尊敬していた合田がボロボロになっていく様を見て、一時は会社を見限ろうとする西ですが、最後は彼も企業戦士として己を空っぽにして街を歩きます。西もまた、戦争中に訓練も未熟なまま特攻に駆り出された学徒兵の姿に重なって見えなくもありません。
 
 増村保造監督の作品でポピュラーなものと言えば『兵隊やくざ』(シリーズ第1作/1965年)『陸軍中野学校』(同第1作/1966年)『清作の妻』(1965年)『赤い天使』(1966年)・・・これらは戦争を舞台とした映画です。いずれも大衆的な娯楽作、きわどい性、と、表層的な部分に目が奪われがちですが、その奥に描かれているのは戦争のばかばかしさ、人間性を奪う戦争と当時の日本への軽蔑ではないでしょうか。『巨人と玩具』にも終戦から経済的に立ち直った日本の街角に忘れられたような傷痍軍人の姿が映り、合田と西の姿には戦時中と全く変わらない日本人のメンタリティへの遠回しな嫌悪が隠されています。
 増村監督は、性を主題としたエロチックな映画や、若尾文子とのコンビ、原田美枝子を飛躍させた『大地の子守歌』(1976年)、1980年代のテレビドラマ『スチュワーデス物語』の脚本を手掛けるなど、大衆性に軸足を置いていた人。男に媚びずへつらわず、自分をビシッと持った潔い女性が増村監督の映画には登場します。
 クレジットされていませんが『巨人と玩具』には学生服姿で田宮二郎が出演しています。

(注)「日本映画のルネッサンスを告げる青春映画『口づけ』」『黒白映像 日本映画礼讃』(白井佳夫著/1996年/文藝春秋)より

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