この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

ゲッタウェイ(1972)

刑務所からの出所と引き換えに銀行強盗を請け負った男が、妻と共に追跡される身に。スティーブ・マックイーン主演の傑作アクション。

 

  製作:1972年
  製作国:アメリ
  日本公開:1973年
  監督:サム・ペキンパー
  出演:スティーブ・マックイーンアリ・マッグローベン・ジョンソン
     アル・レッティエリ、他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    獣医の妻のペット
  名前:ハロルド?
  色柄:黒


◆夫婦犯罪

 大ヒットしたアクション映画。1994年にロジャー・ドナルドソン監督によってリメイクされています。
 サム・ペキンパー監督と言えば暴力的な描写で有名で、「ペキンパー」と聞くとちょっと身構える、という空気がありました。ペキンパーが映画監督になった1960年代には暴力や性的な描写などに対するアメリカ映画業界の自主規制があった頃で、60年代後半には有名無実化していくのですが、長らくそうした環境下で暴力シーンを見慣れていない観客には、人が死ぬさまをスローモーションで描いたりするペキンパー作品は刺激が強かったのでしょう。今の映画に比べればなんでもないように感じます。『ゲッタウェイ』はペキンパー作品では一段穏やかな方だと思います。
 主演のスティーブ・マックイーンアリ・マッグローは、この映画での共演が縁で翌年に結婚。それもまた大きな話題になりました(のち離婚)。そう思って見るせいか、マックイーンとアリ・マッグローの間に優しさが見えるような気がします。惚れていたのはマックイーンの方かな。
 アリ・マッグローは1970年の『ある愛の詩』(監督:アーサー・ヒラー)で、愛する男性を残し白血病で亡くなるヒロインを演じて大ブレイク。その次の映画がこの『ゲッタウェイ』ですから、イメージチェンジを狙ったのかもしれません。彼女のセンター分けのロングヘア、トレンチコートとパンタロン、ミニスカートといったファッションは、70年代初めの流行そのものです。

◆あらすじ

 テキサスの刑務所に銀行強盗で服役中でのドク(スティーブ・マックイーン)は、刑期がまだ6年もあり、面会に来た妻のキャロル(アリ・マッグロー)にベイノン(ベン・ジョンソン)という有力者に出所を取り計らってもらうよう指示する。
 ドクは刑務所を出た。出所と引き換えに、ベイノンの手下と共に銀行強盗を行い、ベイノンと金を山分けするという約束だった。キャロルが逃亡用の車を運転し、ドクとルディ(アル・レッティエリ)とジャクソンという男の3人で銀行を襲うが、ルディは金を独り占めしようとしてジャクソンを殺したあと、ドクを襲おうとして撃たれる。ドクは金の入った鞄を持ってキャロルと二人で車でベイノンのもとへ向かう。
 ベイノンは、銀行頭取の兄の横領をごまかすため、ドクを利用して強盗を計画したのだった。その計画のもと、ベイノンに自分を抱かせてドクを出所させたキャロルをベイノンは自分の女にしたいとドクにもちかける。そのとき、ベイノンとのことをドクに知られたくなかったキャロルがドクの背後からベイノンを撃ち殺す。ドクはキャロルのしたことに怒り、彼女を叩くが、今はベイノンの追手から逃げる方が先だった。
 列車でエルパソへの逃亡を企てたドクとキャロルは、駅のロッカーに金の入った鞄を預けたとき、手伝ってくれた男にだまされて鞄を持ち逃げされる。ドクは列車の中で持ち逃げした男を半殺しにして鞄を取り戻したが、男が鞄から取り出して持っていた札束の一部とドクの人相から、件の銀行強盗犯として指名手配されてしまう。
 一方、ドクに撃たれたルディは致命傷を負わず、たまたま見つけた獣医に治療を頼み、医師夫婦を脅して車を運転させ、ドクを追う。
 ドクとキャロルは、警察による指名手配のほか、ベイノンの弟や手下のグループ、そしてルディからも追われる身となり、車を乗り継ぎ、日ごろから犯罪に利用しているらしい国境近くのホテルに向かう。だが、ドクの手配写真は新聞やテレビなどによって広まっており、目撃の通報が相次いだ。そしてホテルには既にルディとベイノンの手下が待ち受けていた・・・。

動物のお医者さん

 悪者だらけのこの映画、中でもルディという奴は特に性悪の不良中年。銀行に押し入ったとき、打合せでは死人を出さないことにしていたのにジャクソンが警備員を撃ったことに腹を立て、彼を撃ち殺して走っている車から突き落としてしまいます。そのあとドクに撃たれたのですが、ドクの勧めで着ていた防弾チョッキが彼を救います。
 ルディはドクへの殺意を煮えたぎらせ、負傷していない方の手で車を運転して追いかけ、たまたま獣医の看板を見かけて獣医夫婦に撃たれた傷の手当をしてもらいます。その獣医のところにいたのが、黒の子猫。獣医の妻がかわいがっています。ほかにもケージの中に何匹か猫らしき動物がいる様子ですが、よく見えません。
 治療のため横たわるルディは子猫を胸に乗せ、見かけによらず優しくなでながら獣医の妻に体を拭いてくれと頼みます。ちょっと肉感的で頭の軽そうな彼女、堅物の獣医の夫とはそっちの方で不満があるらしく、ルディの裸の胸をものほしそうに見ていましたが、たちまちそういう仲に。
 獣医に車を運転させ、ドクを追いかけている間も、ルディと獣医の妻はイチャイチャしっぱなし。食べ物を投げ合ってふざけているうちにルディがキレて、前の座席の妻に皿ごと食べ物を投げつけ、粗暴な性格をあらわにします。無表情で耐える獣医。この映画の中では珍しく良い人です。
 猫は箱に入れられてホテルまで連れて来てもらっていますが、ホテルのマネジャーに猫の名前を聞かれると、妻は「ハロルドよ」と。ハロルドは獣医の名前なのですが・・・。目の前で妻とルディの情事を見せつけられ、獣医はとうとう精神に限界が来てしまい、首をくくってしまいます。
 中性的なキャロルのアリ・マッグローとは対照的に、軽率さとグラマーなボディで存在感を発揮した獣医の妻役は、サリー・ストラザース。追跡中に着ていた、赤いギンガムチェックに花柄がちりばめられた、リゾートウェアっぽいフリフリのブラウス。地味な獣医の妻の日常をはみ出る冒険にウキウキで繰り出した彼女の気持ちがにじみ出ています。
 黒猫の姿が登場するのは54分頃、104分40秒頃、107分過ぎ頃ですが、61分頃箱に入ってホテルに到着したときのように、声だけニャーニャー聞こえる場面がいくつかあります。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆あぶない女

 ストーリーはほぼ一直線でシンプルです。
 スタントを使わずにアクションをこなし、ニヤけたところのないスティーブ・マックイーンのカッコよさが光りますが、実は妻のキャロルという役が重要。
 見ていて思い出すのは、映画『俺たちに明日はない』(1968年/監督:アーサー・ペン)の実在の銀行強盗・ボニーとクライドです。刑務所を出所したばかりのクライドとたまたま知り合ったウェイトレスのボニーが意気投合、車で行く町々で銀行強盗を繰り返しながら警察の追跡をかわし逃避行を続けます。
 けれども、自分の意志で積極的に犯罪に突き進んだボニーと違い、キャロルは少々天然っぽい女性です。
 キャロルがどのようにしてドクと出会い、結婚したのかはわかりませんが、面会に行って、言われるままに動いてしまうとはなんともドクにとって都合のいい存在です。「待っているから反省して罪を償って」くらい言ってもよさそうなものですが、よほど惚れているのか、精神的に支配されているのか、自己の判断能力に乏しいのか。
 ところがベイノンのところにドクの出所を頼みに行ったキャロルは、体で取引をしてしまいます。これもベイノンに言われるままに抱きこまれた様子。人から強く言われると断れない、自分を守るべきラインがはっきりしないタイプかもしれません。
 ドクとの逃避行で、車の発進に手間取ったり、ナンパされかかったり、金の入った鞄を取られたり、オドオドしていたり、子どものように目が離せないキャロル。それでいて、「ドクがまた捕まったら(ベイノンのときと同じように)テキサス中の役人と寝てもまたあなたを出所させてあげる」と平然と言うキャロル。それほどまでにドクを愛していると言いたかったと言うより、自分の行為がドクを傷つけたことに気づいていないから。
 さすがのドクも鼻白んで別れを切り出しますが、「私はイヤ」と言われると元のさやに納まってしまいます。

◆善良な市民

 あまり悪人らしく見えないドク、欲望の塊で見るからに悪人のルディ、伴う女性も対照的な二人。けれども悪と悪の対決より面白いのは、ドクたちと市民社会との接触です。
 鞄を持ち逃げした男を追っていったドクが列車の中で出会った子どもが指名手配のきっかけを作ったり、その手配写真によって買い物や食事など行く先々で通報され、ゴミの山に隠れればゴミ収集車で集積所まで運ばれてしまったり(さすがに生ゴミではなくボロ布などの中に埋もれているようですが)。平穏な社会をかき回して逃げるドクとキャロルにとって一番手ごわい相手となったのは、日常社会の秩序。ドクたちの隠れる場所はありません。
 ところがラスト、それまでとは違う一般市民が登場。警察嫌いの老人がドクとキャロルを車に乗せて事情はよくわからないまま警察の追跡をかわします。彼は二人が夫婦であると聞いて、近ごろの平気で同棲する若者と違ってきちんとしていると二人をほめます。思いがけず初めての味方に出会い、二人からようやく安堵の笑みがこぼれます。

◆ザ・ペキンパー

 暴力的、と言われますが、ペキンパー監督自身は人間の残虐さをサディスティックな興味から描こうとしているのではなく、死へのプロセスを視覚化しているのだと思います。『ワイルド・バンチ』(1969年)や『砂漠の流れ者』(1970年)などに見る人間臭さ、滅び行く者の意地は、胸を痛くします。輝きから取り残された男たちの内面のもがきが、目に見える形で爆発しています。
 そんな男の挽歌が聞こえてくるような作品のひとつが『ガルシアの首』(1974年)。賞金首を奪った男がやはり車で追手から逃げるストーリーです。しがない男が一攫千金を夢見たばかりに、命を狙われ、愛する女性まで失ってしまう救いのなさ。後戻りできない苦しみ。彼のよこしまな企てをとがめるように腐り始めるガルシアの首
 ペキンパー監督には、プロデューサーなどから口出しをされ、自分が作りたいように作れなかった作品が多いのだとか。『ゲッタウェイ』も、スティーブ・マックイーンと撮影中からゴタゴタがあり、マックイーンが最終編集権を得て色々手出しをしたそうで、道理で彼がピカピカにカッコよく描かれています(注)。ペキンパー作品にしては穏やかできれいに終わるのもこのためでしょう。
 『ゲッタウェイ』がペキンパーの代表作とか最大のヒット作とか言われるのは本人としては不本意のはず。『ゲッタウェイ』しか見たことがないという方は、どうぞほかの作品も見てあげてくださいね。

(注)IMDbより
『映画監督ベスト101』(川本三郎編/新書館/1995年)で、サム・ペキンパーの項を担当した映画評論家の川本三郎氏は、その中で一言も『ゲッタウェイ』について触れていません。この映画をサム・ペキンパー作品と認めないという姿勢を示したのか?

 

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