2017年度アカデミー賞4部門(作品賞、監督賞、作曲賞、美術賞)を受賞した話題作。不思議な生き物と女性のファンタジックなラブストーリーです。
製作:2017年
製作国:アメリカ
日本公開:2018年
監督:ギレルモ・デル・トロ
出演:サリー・ホーキンス、マイケル・シャノン、
リチャード・ジェンキンス、ダグ・ジョーンズ 他
レイティング:R15+(15歳以上の方がご覧いただけます)
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆☆(脇役級)
主人公の隣人ジャイルズの飼い猫
名前:なし
色柄:白地に茶色のブチや長毛の三毛など4、5匹?
◆レイティングについて
この作品のDVD、ブルーレイではオリジナル無修正版として、R18+(18歳以上対象)のものが売られていますが、この記事はネット配信や放送で見られるR15+(15歳以上対象)版のものです(内容的にほとんど違いはありません)。
このブログは高校生以上の方を主な読者と想定して、今後ともレイティング(年齢による鑑賞制限)については、高校生の方も見ることができるR15+以下の作品を取り上げていくことにしています。
◆あらすじ
耳は聞こえるが口がきけないイライザ・エスポジート(サリー・ホーキンス)は、アメリカの航空宇宙研究センターで清掃員として働いている。時は1962年。冷戦下、アメリカとソ連の宇宙開発競争が激しかった頃だ。ある日、そこに不思議な生き物(ダグ・ジョーンズ)が極秘裏に運び込まれる。水を満たしたカプセルに閉じ込められたその生き物は、半魚人と呼ぶべき姿。その生き物にひきつけられたイライザは、手話によって彼とコミュニケーションをとることができるようになる。宇宙開発競争で一歩リードしたソ連を出し抜こうと、水陸で呼吸のできるその生き物を研究材料にするため、生体解剖の命令が下ったことを知り、イライザはアパートの隣人のジャイルズ(リチャード・ジェンキンス)や同僚の黒人女性・ゼルダ(オクタヴィア・スペンサー)、生物研究者として赴任してきた、正体はソ連のスパイのホフステトラー博士(マイケル・スタールバーグ)の協力で彼を脱出させ、自分のアパートに連れ帰る。イライザの生き物への気持ちは恋というほどに高まっていた。ついに二人は肉体的にも結ばれる。
研究センターでその生き物の警備を仕切っていたストリックランド(マイケル・シャノン)は、生き物が組織的なプロ集団によって奪われたとにらんでその行方を追っていたが、ゼルダの夫の話でイライザが関わっていたことを知る。アパートのバスタブで弱っていく生き物を、イライザは海に逃がすことを決意した。彼を車に乗せて水門に向かったイライザとジャイルズにストリックランドが迫る・・・。
◆猫にまっしぐら
イライザの隣人のジャイルズは、猫好きらしく、自室に何匹も猫を飼っています。全部で何匹いるのか、少し暗めの画面のためちょっと区別がつきにくく、自信はありませんが、4匹は確かなようです。最近の映画は生き物の姿をCGで作り出したりするので、この猫たちは作り物かもと目を凝らしたのですが、本物のようでした。猫の出番は序盤から終盤までほどよくばらけて、思い思いに過ごす自然な姿がかわいいです。
イライザのアパートに連れてこられた不思議な生き物は、ジャイルズが居眠りをしている間に一匹の猫に目を止め、襲って食べてしまいます。「本能だから仕方がない」とジャイルズはあきらめていましたが、そのあとでこの生き物がほかの猫とたわむれていると、子猫と遊ぶなとビクビクしながら注意します。
もしお手元にこの映画のソフトや録画をお持ちでしたら、食べられてしまった猫が襲われるときの表情をスローで再生してみてください。鼻や目の上のひげがバーッと花火のように放射状に広がり、カッと開いた口から鋭い牙がむき出しになって、みなぎる野性に圧倒されます。もし猫がもっと大きい生き物だったら、人間なんかとても太刀打ちできないだろうという迫力です。
食べられてしまった猫さんに、心から哀悼の意を捧げます。
◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆
◆ファンタジーの幕開け
映画が始まり、水中の藻に覆われた物体の中にカメラが進むと、建物の廊下と照明が姿を見せます。廊下のドアがゆっくりと開くと、椅子やテーブルが水中を漂い、アイマスクを付けた女性が横たわっている様子が浮かび上がります。と、目覚まし時計のベルで、主人公イライザの夢が終わり、現実が始まります。画面外から聞こえるナレーションと、子守歌のような音楽と、水のたゆたいによって、夢幻的な陶酔感に満たされていた観客も、我に返ってその出勤風景を忙しく観察し出します。
声が出せないイライザは、30代くらいで、地味な外見で、性的な魅力に乏しいタイプです。好きなものは一昔前のミュージカルのダンス。隣室に住む友人のジャイルズは、頭の禿げかかった初老のイラストレーター。彼のイラストは時代遅れで、仕事にあぶれています。二人とも独身で助け合って生活していますが、ジャイルズは同性愛者で、二人の間に恋愛や結婚の可能性はなさそうです。そんな二人の住む古ぼけたアパートの1階は、テレビの普及のおかげでガラガラな映画館。
自分を含め身の回りのすべてが時代から取り残された感のあるイライザがバスで向かった勤め先が、最先端の航空宇宙研究センター。一瞬エッと思いますが、彼女は汚れたトイレやごみと格闘する清掃員。いつも二人組で掃除をする黒人女性のゼルダが気の合う友だちです。
◆マイノリティとよくいる男
宇宙へ、高みへ、世界の覇者へと、上昇しようとするアメリカ社会の床を這いつくばって掃除するイライザ。その床よりさらに低い、アマゾンの汚れた川の中に棲んでいた生き物が運び込まれます。生き物の警備をするためにやってきたのがストリックランドという中年男性。
彼がイライザとゼルダと観客の度肝を抜くのが「手を使わないでオシッコをすること」。それって珍芸(?)ではあるけれど、男としての優秀さを証明することになるのか、と思いますが、ストリックランド君、自分が普通の男と違うすごい男なんだと、ドン引きしているイライザとゼルダを尻目に猛アピール。自分より弱い者に向かって自分は出来ると威張って見せる奴ほど劣等感を隠しているものですが、案の定、囚われの生き物を電気ショックの警棒で虐待したり、自分の姿が神に似ているとか、高級車のキャデラックに乗るとか、肥大した自己イメージに酔いしれています。イライザを抱こうと口説くのも、障がい者である彼女をおもちゃにすることにサディスティックな欲望をかきたてられたのでしょう。
ストリックランドの志向していたものは、競争に勝ち、富と名誉と権力を手にするという、男性的成功モデルそのもの。共産圏の国々と対立し、世界のリーダーたらんとしていたこの時代のアメリカの価値観と同一化した姿、と言っていいと思います。
この映画では、それと対立するグループとして、マイノリティの群像が描かれます。イライザは声が出せない、同僚のゼルダは黒人。女性であるということは今でもそれだけでマイノリティに属します。隣人のジャイルズは同性愛者。ソ連のスパイであるホフステトラーならずとも、共産主義者はこの時代のアメリカ社会の敵でした。
そして一番のマイノリティは文明の彼方から来た不思議な生き物。彼が生体解剖されそうになったとき、イライザは「彼を助けなければ私たちも人間じゃない」と、必死にジャイルズに訴えます。マイノリティグループに属する登場人物たちは、この生き物を対等の存在と認め、協力して助け出します。
ストリックランドは尊大にふるまっていますが、軍の中で重要なポジションにはありません。この生き物の警備を任されたのが千載一遇のチャンス。功績を上げて認められようと血眼なのです。はた目には哀れですが、自分ではそれに気が付いていません。どこの会社の中間管理職にもこんなのがいそうです・・・。
◆大アマゾンの半魚人
ギレルモ・デル・トロ監督の映画のモンスター役と言えばダグ・ジョーンズ。今回の不思議な生き物は、少し不気味だけれど、丸い目でちょっと愛嬌があり、セクシーな体つき。思ったよりこわくない、というのが私の感想です。彼によって、この映画が子供向けファンタジーになったり、イライザとの恋が嫌悪感をもよおすものになったりするので、キャラクターデザインは重要です。姿は、やはり半魚人と言うのがぴったりくるでしょう。彼がアマゾンから連れてこられたと何度か繰り返されるのは、1954年のアメリカ映画『大アマゾンの半魚人』(監督:ジャック・アーノルド)を土台にしていると思われます。
こちらは、文明対非文明、人間対怪物という、怪物ホラーものの典型ではあるものの、半魚人の基本的なデザインは『シェイプ・オブ・ウォーター』の生き物に敬意をもって取り入れられていることがわかります。
『シェイプ・オブ・ウォーター』の生き物がなぜ航空宇宙研究センターに運ばれてきたのか、疑問に思いませんでしたか? 「宇宙で人類は過酷な環境にさらされる」「この生物(の研究)でソ連にリードを」というなんとも漠然とした説明でしたが、本来なら水中の生物の研究所に送られるのが妥当なはずです。実は『大アマゾンの半魚人』の中で、海洋生物の研究者が、将来人類は他の惑星に渡り、地球とは異なる環境でいかに生き延びるか、これらの生物を研究すればそれに順応するすべを学べる、と語っているのです。『シェイプ・オブ・ウォーター』は、この点でも『大アマゾンの半魚人』を隠しテーマのように取り込んでいると思われます。
『大アマゾンの半魚人』はモノクロ映画ですが、実写による水中撮影がとても美しく、画面に吸い込まれてしまいます。水中の半魚人と水面の水着の美女の、アーティスティックスイミングのような官能的な泳ぎ、水に射す太陽光線、水底に揺れる波の影、湧き上がる泡の美しさは、ギレルモ・デル・トロ監督に多くのヒントを与えたのではないでしょうか。
驚いたことにこの映画は、当時の技術での3D映画として製作されたということです。コンピュータでなんでも作り出せる今と違って、リアルでこれらの表現に挑んだ当時の映画人たちのアイデアと努力には、尊敬の念を禁じ得ません。
◆言葉を超えて語るもの
全体がグリーン系の色調に統一されているこの映画で、イライザは不思議な生き物と肉体的に結ばれたあと、赤い服を身に着け、赤い靴を履きます。彼女の心から愛があふれ出ているしるしです。
彼を海に逃がす日、別れを前に、私がどれだけあなたを愛しているかあなたにはわからないだろう、と声の出ないはずのイライザがつぶやき、まるで舞台のように彼女にピンスポットが当たって、ミュージカルのようなダンスシーンが突如展開します。
登場人物の感情を歌とダンスで表現するのがミュージカル。イライザと不思議な生き物は愛の言葉をささやき交わすことはできません。この場面はイライザの彼への感情の高まりを、ミュージカルの形式にのっとって、言葉の代わりに表現したラブシーンです。これは彼女のイマジネーションですが、このシーンも1930年代のミュージカル映画を彷彿とさせる、美しきオマージュとなっています。
アパートの1階のクラシックな映画館、そこにかかる映画、テレビに映る往年のスター・・・。『シェイプ・オブ・ウォーター』には、過去の映画とそれを支えた人たちへの愛がちりばめられています。
神と崇められたこの生き物が、最後に起こす奇跡のしるしを、画面にじっと目を凝らして見つけてみてください。