この映画、猫が出てます

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勇気ある追跡

父を殺された娘が荒くれ保安官を雇い、テキサスレンジャーの男とともに仇を追う。
ジョン・ウェインの雄姿がまぶしい西部劇。

 

  製作:1969年
  製作国:アメリ
  日本公開:1969年
  監督:ヘンリー・ハサウェイ
  出演:ジョン・ウェイン、キム・ダービー、グレン・キャンベル、ジェフ・コーリー、他
  レイティング:一般

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    中国人リーの飼い猫
  名前:プライス将軍
  色柄:茶トラ


◆黒眼帯の男

 西部劇(ウエスタン)は、イタリアなどで作られたりもしましたが、これぞアメリカを感じさせるアメリカならではのジャンル。馬や銃を使ったアクション、広大な景観、タフな男に酒場の女など、映画向けの素材がそろっています。
 この映画の主人公、西部劇の代表的スター、ジョン・ウェインは公開時62歳。以前に紹介した『駅馬車』(1939年/監督:ジョン・フォード)で一躍脚光を浴びたそうですが、この映画はそれから30年、倍近く年を取っています。
 原題は『True Grit』。2010年にコーエン兄弟が監督した『トゥルー・グリット』は、この映画のリメイクです。グリットとは肝っ玉、というような意味とのことなので「真の勇者」といった感じの題でしょうか。ジョン・ウェインが演じた連邦保安官ルースター・コグバーンを、リメイクではジェフ・ブリッジスが演じています。
 コグバーンは片目を黒眼帯で覆っているのですが、ジョン・ウェインは左目、ジェフ・ブリッジスは右目を覆っています。左目を黒眼帯で覆っていると言えば、西部劇の神様と呼ばれたジョン・フォード監督。『駅馬車』はじめジョン・ウェインを多くの作品で起用し、スターに仕立て上げました。ジョン・ウェインが左目に眼帯を付けているのはジョン・フォード監督への尊敬と親愛の表明ではないでしょうか。

◆あらすじ

 1880年アーカンソー州で馬牧場を営むロス一家の娘マティ(キム・ダービー)はまだ思春期の少女だが、牧場の帳簿係を担当するしっかり者。流れ者のトム・チェイニー(ジェフ・コーリー)を雇った父が彼と二人でテキサスまで馬を買い付けに行くのを見送った。
 酒場の賭けで頭に血が上ったトムは、なだめた父を撃って金と馬を奪って逃走する。遺体を引き取りに行った町で、マティは父の形見の拳銃を手に復讐を誓う。
 トムはネッド・ペッパー(ロバート・デュヴァル)のグループに加わって強盗を働いていると聞き、マティは腕の立つ男を雇ってトムを捕え、縛り首にさせようと考える。マティは大酒飲みの初老の保安官・ルースター・コグバーン(ジョン・ウェイン)を知り、彼にかたき討ちを依頼する。ネッド・ペッパーとコグバーンはかねてからの宿敵で、ネッドが一緒ではと、コグバーンはマティの提示した報酬の倍額をつきつける。
 マティの泊まった宿にはテキサス・レンジャーのラビーフグレン・キャンベル)がいて、彼も州議員を殺した罪でトムを4ヶ月も追っていた。マティがなんとか金を工面し、コグバーンはラビーフと組んでトム捜しに出発する。マティは足手まといだと追い払われながらも、一緒にトムを追跡しようと二人について行く。
 強盗グループのメンバーを撃ってもトムはなかなか姿を見せなかった。そんなとき、マティが一人で水を汲みに行った沢で偶然トムと出会う。マティは父の銃でトムに傷を負わせるが、銃声でやって来たネッドたちに人質にされてしまう。
 コグバーンとラビーフは一旦ネッドの言う通りマティを置いて遠ざかるが、ラビーフはマティを助けに回り、コグバーンはネッドら4人を相手にたった一人で立ち向かう。ラビーフはトムに石で頭を殴られ、トムと一対一で対峙したマティはガラガラヘビのいる穴に落ちてしまう。助けに来たコグバーンはトムを撃ち、マティと自分をロープに結びつけてラビーフの馬に引かせ、穴から脱出するが、ラビーフは息絶える。
 穴から脱出する直前、マティはガラガラヘビに噛まれ、危険な状態になった。コグバーンは医者のもとへと全速力で馬を走らせるが・・・。

◆将軍

 コグバーンは、悪人とみれば正義の信念のもと片っ端から撃ち殺す、強引で荒っぽいやり方で知られる保安官。60歳くらいの巨漢です。町で開かれた裁判をマティが傍聴すると、この4年間で23人も射殺していたことがわかります。情け容赦ない彼をマティは気に入ります。
 妻子はとうの昔にそんな彼のもとから去り、コグバーンはこの町の身寄りのところへマティを連れて行きます。そこは中国人の老人リーが営む雑貨店。コグバーンは「親父のリー、甥のプライス将軍」と冗談を言って、カウンターの上でくつろぐ茶トラ猫を将軍だと紹介します。がっしりした体つきのプライス将軍は人見知りせず、マティを見ても鷹揚に構えたまま。さすがは将軍です。
 ネズミが現れたとき、仕留めたのは将軍ではなく酔っぱらったコグバーン。いつも通りの悪を決して許さぬ銃殺処分です。マティが死骸のしっぽをつまみ上げ、表に放り出そうとしたとき、やっとプライス将軍は腰を上げて後始末を。
 そんなプライス将軍を、マティは「怠け者の猫」と言いますが、コグバーンは「プライス将軍は誰のものでもない。リーと同居しているが、プライス将軍の方が偉い」と語ります。どこの家でも人間は猫のしもべなんですね。
 終盤近く、弁護士がマティからコグバーンへの報酬と助けてもらった謝礼のお金を預かって、リーの店にいるコグバーンを訪れます。弁護士がマティは重症で故郷に帰れるかどうか、と言うと、コグバーンは、あんたは賭けをやるかと聞いて、いま受け取ったお金にプライス将軍を付けて、マティが帰れる方に賭ける、と言い出します。弁護士はちらりと将軍を見て、賭けを辞退。
 プライス将軍が登場するのは、開始から26分20秒頃、30分になる少し前頃、41分30秒頃、122分になる少し前の4回です。
 『トゥルー・グリット』には猫は出てきません。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆原風景

 映画の始まり、テーマ曲の美しいイントロを聞くと、ある年齢以上の人は懐かしさに心震えるのではないでしょうか(いまどきの「アーティスト」の「楽曲」にはイントロがないものが多いそうです)。1950~60年代のポップスでよく聴かれたゆったりと澄み切ったメロディーに、男性のボーカルが滑り込みます。歌っているのはラビーフを演じたグレン・キャンベル。もともとカントリー・ミュージックの歌手で、60年代半ばから映画にも出演、このテーマ曲でアカデミー賞にノミネートされたとか。
 タイトルバックに映る「ケンタッキーの我が家」の歌を絵にしたようなマティの家と牧場、遠くにそびえる山々。アメリカの原風景と言ってもいいのかもしれません。
 この映画は古き良きアメリカを彷彿とさせる郷愁の中に我々を誘い込みます。製作された1960年代の終わりごろと言えば、西部劇映画も終焉に近づいた時期。来し方を振り返って、あの頃はよかったなあ、としみじみ思う、そんな懐メロ的な映画と言えるのではないでしょうか。
 日本のチャンバラ映画と同様、西部劇も基本的に勧善懲悪で、いい人は保安官や騎兵隊、悪いのは先住民や、この映画のトムのように金目当ての無法者、というのが初期の定番。次第に先住民の側に立って白人の加害を描く映画も生まれ、ガンアクションが主流となり、単純明快な勧善懲悪が下火になった頃に、この映画は登場しています。

◆元祖ヒーロー

 『勇気ある追跡』は、西部劇全盛期にその花形だったジョン・ウェインが、60代になってアクションも厳しくなり、花道としてジョン・ウェインのために作られた、いえ、企画段階ではそうではなかったとしても、結果的にそうなった映画ではないかと思えます。
 4年で23人も射殺するという無茶なやり方でやってきた、大酒飲みの妻子に逃げられた保安官、まあ型破りな嫌われ者なんですけれど、自分が俳優だったらぜひやってみたい魅力的な役ですよね。若いラビーフとは衝突しながらも、経験をかさに威張れるのも気持ちいい。辛いアクションはグレン・キャンベルがやってくれるし、落馬して馬の下敷きになり、身動きできないときに宿敵ネッド・ペッパーが近づいて来て絶体絶命、などという年齢相応のピンチも悪くない。銃を片手でクルクルッと回して持ち替える得意のテクニックや、ネッド・ペッパー一味を相手に馬に乗ったまま手綱を口にくわえて両手に持った銃で撃ちまくる、マティの目の前で4段の柵を愛馬で飛び越える、などの見せ場は、老いたりといえどもジョン・ウェイン、とファンを唸らせること請け合い。
 その愛馬で柵を飛び越えた瞬間のストップモーションの上に「THE END」の文字が重なるとくれば、これはジョン・ウェインのための記念碑的映画だということは間違いないでしょう。
 アメリカのヒーローの原型である、西部開拓時代に祖国の礎を築いたタフな男たち、その投影であるジョン・ウェイン。コグバーンが裁判に出廷し立ち上がったとき、一瞬、次期大統領トランプ氏に見えました。この記事のアップのすぐ後に就任式を迎えるはずですが、かつてのアメリカのヒーロー的俳優と、男らしさ・愛国心に重きを置くトランプ氏が重なって見えたのは、あながち錯覚とは言えないかもしれません。
 ジョン・ウェインはこの映画で初めてアカデミー主演男優賞を受賞。意外なことに、賞にはあまり縁のない人です。テーマ曲のアカデミー賞ノミネートも合わせ、この映画はアメリカ人の心の琴線を確かに震わせたに違いありません。

◆少女の戦い

 一方、マティという少女が男たちをアゴで使うという展開が、懐メロにはない新機軸です。マティは、父の牧場の帳簿係として培った金銭感覚と法的知識をもとに、コグバーンと契約を結び、雇い主となります。父が馬を買い付けた業者との、父が亡くなったので馬を買い戻してくれという交渉も大人を牛耳り有利に進めます。弱者の頼りは理論武装。マティはアメリカで公民権運動や女性解放運動など、マイノリティが声を上げる時代を反映したキャラクターでしょう。マティ役のキム・ダービーは、この映画の撮影時は実は20歳。学生運動に取材した『いちご白書』(1970年/監督:スチュアート・ハグマン)では、女性解放委員を演じています。
 生意気で大人を敬おうとしないマティを、彼女に雇われていないラビーフはお尻ペンペンでお仕置きしたりするのですが、コグバーンは彼女を尊重しています。彼の標的はネッド・ペッパー。トムはついでだったと思いますが、父をトムに殺されたマティの悔しさ、悪を野放しにさせないという強い気持ちが正義漢の彼を揺さぶったのでしょう。若いラビーフへのマティの反発は、思春期の女の子特有の、若い男性への関心を無意識に抑えようとするモヤモヤから来るのかもしれません。父親以上に年の離れているコグバーンに、マティはなつきます。

 黒澤明の映画を見るような、あるいは黒澤映画が取り込んだ西部劇を見るようなコグバーンとネッド・ペッパー一味との1対4の対決、トムを捜す旅の途中の雄大な景色、強い男が女性を助ける図式。ラストのマティのコグバーンへの申し出にほろり。それを振り切るコグバーン。これぞアメリカ、これぞ西部劇!

 

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