この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

まあだだよ

随筆『ノラや』で愛猫の失踪を書いた内田百閒(ひゃっけん)をモデルに、監督自ら書き下ろした脚本によるほのぼのとしたドラマ。黒澤明監督最後の作品。


  製作:1993年
  製作国:日本
  日本公開:1993年
  監督:黒澤明
  出演:松村達雄香川京子、井川比佐志、所ジョージ、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    先生宅の飼い猫
  名前:ノラ
  色柄:茶白ブチ
  その他の猫:ノラの後釜クルツ(黒白ハチワレ)、ノラに似た近所の猫

◆ラスト黒澤

 最後の作品『まあだだよ』から5年以上経った1998年9月6日に、88歳でこの世を去った黒澤明監督。1986年に戦国時代を舞台にした大作『乱』を作ったあと、『夢』(1990年)『八月の狂詩曲』(1991年)など、老境に人生を振り返るような作品が続いていました。『まあだだよ』のあと、最後に温めていた企画『雨あがる』は脚本が未完成のまま小泉堯史監督に引き継がれ、2000年に公開されています。
 スケールの大きい男性的な活劇をスクリーンに展開して見せた巨匠黒澤明の最後の作品は、穏やかさの中に幾分の痛々しさを感じさせるものになっています。

◆あらすじ

 太平洋戦争中、大学でドイツ語を教えていた先生(松村達雄)は文筆業一本で生計を立てる目途が付き、大学を退いた。先生は独特のユーモアで教え子に慕われていて、先生の還暦のときには自宅に16人もが集まり、先生のふるまった馬と鹿の肉の馬鹿鍋をつついて愉快に過ごした。
 終戦後、焼け出された先生は妻(香川京子)と二人で小さな小屋に住んでいたが、見かねた教え子の高山(井川比佐志)と甘木(所ジョージ)が先生に家を贈りたいと相談した。
 高山と甘木らは先生の61歳の誕生日に摩阿陀会(まあだかい)という集いを催し、戦後の何もない中、何十人もの教え子たちが協力・参加して酒を酌み交わした。その後毎年先生の誕生日に集まるのが恒例となる。
 教え子たちのおかげで先生は池のある新居を構えることができた。そこに迷い込んできた茶白のブチ猫を「ノラ」と名付けて飼っていたが、ある日ノラがいなくなり、先生は食事ものどを通らないほど憔悴してしまう。教え子たちも協力してノラを探すがみつからない。何ヶ月かたち、今度は黒白の猫が先生の庭にやってくる。先生はその猫にクルツと名を付け、次第に元気を取り戻す。
 摩阿陀会も17回目を数え、先生は教え子やその家族たちに囲まれながら喜寿を祝う。その席で先生は体調を崩し、家に運ばれてしまう・・・。

ノラや

 昭和初期から中期に活躍した内田百閒は、愛猫のノラのことを書いた『ノラや』や、それに前後する猫に関する随筆を著しています。『まあだだよ』の中間部に挿入されるノラのエピソードは、その『ノラや』をもとにしたもの。猫が登場するのは、この部分のみです。
 ノラが失踪したのは昭和32年(1957年)3月27日。映画では先生が九州に出張中で、途中の駅のガラス窓にノラの姿が写ったのを見て嫌な予感を覚えたらノラがいなくなっていた、と描かれていますが、『ノラや』によれば、百閒がノラの幻を見たのは失踪の前年です。ノラがいなくなった日、百閒は朝方になってようやく寝付け、午後3時頃に目覚めたそうなのですが、昼頃奥さんがノラを抱いて庭に出ると、ノラがもがいて塀の陰から外に行ってしまい、それっきり帰らなくなったということ。
 『ノラや』では、その日から毎日、内田百閒が帰らぬノラを思って悲嘆にくれる日記になるのですが、ノラがいつもお風呂の蓋の上に置いた座布団で寝ていたので、ずっと風呂をたかずに座布団を置いたままにしていたり、何も手につかないため20日も顔を洗わずノラの座布団に顔を付けて涙を流したり(失踪後初めて入浴するのは1ヶ月以上過ぎた4月30日!)、ノラによくおすそ分けした玉子焼きを見るにしのびず鮨の出前を取らなくなったり…。心配した奥さんが教え子を呼んで百閒に付き合わせますが、そうでもしなければどうにかなってしまいそう。明らかに抑うつ状態に陥っています。有史以来、猫はどれだけの人間をこうして苦しめてきたのでしょう。
 それにつけても頭が下がるのは、付き合わされた教え子たち。新聞に迷い猫の折り込み広告を出したあと、似た猫がいるという知らせを受けると会社の仕事を中断して見に行ったりするのです。
 映画では、ノラの代わりにしっぽの短い黒白の猫が現れ、それを先生夫妻はクルツ(ドイツ語で「短い」の意)と名付けて飼うことにしますが、『ノラや』と続編『ノラやノラや』によると、現れたのはノラが帰ってきたかと見間違えるほどそっくりの茶白の猫。尻尾が短いところがノラと違うだけで、兄弟ではないかと百閒たちは思います。この猫の死までを看取る『クルやお前か』も胸をえぐる猫愛で、途中から読み進めるのが難しくなってしまいます。

  ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

      

◆世界のクロサワ

 昭和を半分ほど生きた人はリアルタイムの黒澤明の映画と、その人自身を見、聞き、体験することができたわけですが、黒澤監督の仕事の流儀は、令和の世では受け入れられそうもないワンマンなものとして音に聞こえていました。自分の作りたい映画を時間も予算も度外視して作り上げようとする姿勢と情熱、実際それを実現させてしまうだけの強引さ、誰も逆らえなかったため「黒澤天皇」というあだ名があったほどです。スタッフや俳優は徹底的にダメ出しをされ(先生を演じた松村達雄は、映画の最初の、教室に入って来るところで何度やってもOKが出なかった、という話を聞いたことがあります)、一日が終わった後も夜集まって歌を輪唱させられたりしたそうです。
 ベネツィア国際映画祭で日本映画初のグランプリを受賞した『羅生門』(1950年)では、巨大な半分崩れた羅生門をオープンセットに建ててしまったため、映画会社(大映)が予算が狂い青くなったと聞きます。
 まだ黒澤監督の映画を見たことがない人が『まあだだよ』を「マイ・ファースト・黒澤」に選んではいけません。2022年12月の英国映画協会の、世界の映画監督が選んだベスト100の映画に入っている『羅生門』、『生きる』(1952年)、『七人の侍』(1954年)、『蜘蛛巣城』(1957年)のいずれか、中でも『七人の侍』が、黒澤監督らしさが凝縮していてお勧めです。セリフを覚えてしまうくらい何度も見ても飽きません。ちなみに私の「マイ・ファースト・黒澤」は小学生のときの『どですかでん』(1970年)でした。『少年マガジン』に掲載されたメイキング特集を見て見に行きたいと思ったのです。

◆わが師の恩

 『まあだだよ』は、30年以上ドイツ語教師をしていた先生の最後の授業の場面から始まります。先生がやめることを知った学生たちは「先生はドイツ語のほかにもとても大切なことを教えてくれたように思います」と言って全員起立し、直立不動で先生への敬意を表します。
 そして、還暦の日に教え子たちを呼んだ馬鹿鍋の席で、談論風発のさなか、集まった全員が先生の方に向き直り、姿勢を正して「仰げば尊し」を歌います。
 麗しすぎる師弟関係にややムズムズするものを覚えますが、それが最高潮に達するのが第1回摩阿陀会の席上。
 摩阿陀会は、「先生、まだ死なないのか、まあだかい?」「まあだだよ」というかくれんぼの呼び声をもじった、きみまろ式のユーモアによる命名。先生への賛辞、祝辞、謝辞が続いたあと、先生にお酌をしようとまたもや全員(北海道から鹿児島までの駅名をソラで言っている一名を除いて)が一斉に集まります。「出た出た月が」と歌いながらの宴会芸や、続く「オイチニの薬屋さん」(注)の、汽車ごっこのようにみんなが連なって歌いながら行進する3分間。大半の観客が映画と自分の距離が遠くなるのを感じたと思われるところで、最後に先生の葬列を模したパフォーマンス。先生のご遺体役だった所ジョージの甘木がパッと立ち上がって紅白の扇を手に「まあだかい」と音頭を取り、先生が「まあだだよ」と答えるこのシーンは、先生と教え子たち以外入り込めない極私的ユートピア以外の何物でもありませんでした。

◆夢のまた夢

 ①先生の人となり ②教え子との交流と摩阿陀会 ③ノラの失踪 ④晩年の先生と摩阿陀会、という『まあだだよ』の構成で黒澤監督が一番描きたかったものは何でしょうか。それは、観客が一番置いてきぼり感を味わった第1回摩阿陀会と、喜寿の摩阿陀会で体調を崩した先生が家に帰って床の中で見る夢だったと思います。
 日米合作の『トラ・トラ・トラ!』(1970年/監督:リチャード・フライシャー舛田利雄深作欣二)で日本側の監督を任されるはずだった黒澤監督は1968年12月にアメリカ側から解任されてしまいます。ワンマンでコストを度外視した黒澤監督流のやり方がアメリカ側に受け入れられなかったようです。日本で映画の観客動員数が減少し、映画会社がかつてのように資金を出せなくなった中で、時間とお金に糸目をつけない黒澤監督は次第に敬遠されるようになっていき、初のカラー作品『どですかでん』の興行的失敗のあと、1971年12月に自殺を図り、未遂に終わります。そんな黒澤監督に手を差し伸べたのは海外の映画関係者でした。
 黒澤監督の映画作りを支えたのは「黒澤組」と言われるなじみのスタッフや俳優たち。イヤと言うほどダメ出しをされた俳優たちは、監督の「OK」の声を聞くとそれだけに嬉しかったそうです。時には黒澤監督自ら最上級のステーキを焼いてスタッフや俳優たちにふるまうこともあった――そんなエピソードから浮かび上がる黒澤監督は、『まあだだよ』の先生のように「愛されジジイ」として気の置けない人々に囲まれた晩年を送りたかったのだと思います。かくれんぼをして遊んだ子どもの日のように分け隔てなくワイワイと。寂しかったのかもしれません。『まあだだよ』のようなモラルと信頼という芯のあった時代は、セピア色の彼方に過ぎ去ってしまっていました。

 『まあだだよ』は、黒澤監督らしくない作品なのか、と言うと決してそうではありません。ノラを探してくれた人々や先生の隣の空地をめぐる人間の良心についての寓話的・教訓的なまとめ方、集団で歌ったり踊ったりする場面の挿入、音楽に意味を持たせるところ、先生のやつれ顔のメークなど、随所にその特徴が顔をのぞかせています。
 
 初めて見たとき、第1回摩阿陀会のシーンで「まあだ終わらないのかい」と苦しみましたが、次に見たときは心構えができていたため、そこまでは感じませんでした。が、ノラのエピソードがなければ、二度は見なかったかもしれません。映画を見て苦しみ、黒澤監督に申し訳なく思った気持ちを思い出したくないと。


(注)明治から昭和初期にかけて、手風琴の伴奏に合わせて歌いながら兵隊の装束で薬を売り、その合いの手から「オイチニの薬屋さん(薬売り)」と呼ばれていた行商人。このように集団でつながってやって来たりはせず単独行です。
私もいくつかの映画でしか見たことはありませんが、稲垣浩監督の1965年の『無法松の一生』で、大辻伺郎がこのいでたちをしたカラー映像が見られます。

 

参考 
ノラや』内田百閒集成9(内田百閒 ちくま文庫 2003年)
黒澤明映画はこう作られた~証言秘蔵資料からよみがえる制作現場」
(NHKBS1スペシャル 2020年11月8日放送)


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ベラのワンダフル・ホーム

600キロ離れた飼い主のもとを目指す犬のベラ。その道のりは多くの動物と人と苦難との出会いだった。


  製作:2019年
  製作国:アメリ
  日本公開:2019年
  監督:チャールズ・マーティン・スミス
  出演:ジョナ・ハウアー=キング、アシュレイ・ジャッド、アレクサンドラ・シップ、
     ブライス・ダラス・ハワード(声の出演)、他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    ベラの面倒を見るお母さん猫
  名前:ママ猫
  色柄:キジ白
  その他の猫:ママ猫の子どもたちほか、廃屋の床下に住みついた猫たち


◆美しい犬

 人間と犬の絆を描く映画の一類型としての、犬の冒険もの。原作と脚本のW・ブルース・キャメロンは、映画『僕のワンダフル・ライフ』(2017年/監督:ラッセ・ハルストレム)と、その続編『僕のワンダフル・ジャーニー』(2019年/監督:ゲイル・マンキューソ)でも原作と脚本を担った、犬の物語のベストセラー作家。ある犬の魂が別の犬に転生する前2作に対し、この『ベラのワンダフル・ホーム』は1匹の犬の物語。原題は『A Dog's Way Home』。3つの映画の原題すべて『A Dog's』で始まるので、3つは姉妹編と言えるでしょう。なのに『ベラのワンダフル・ホーム』が邦題で『僕の…』とならなかったのは、主人公のベラがメスだから。「ベラ」とは「美しい」という意味です。

◆あらすじ

 コロラド州デンバーの廃屋の床下に野良猫や野良犬がたくさん住み着いていた。動物管理局の職員が捕獲にやって来たが、何匹かの犬や猫が残された。猫のエサやりに来た青年ルーカス(ジョナ・ハウアー=キング)とガールフレンドのオリヴィア(アレクサンドラ・シップ)の前に1匹の子犬が飛び出し、ルーカスはその犬を家に連れ帰ってベラと名付ける。母(アシュレイ・ジャッド)もベラを気に入り、ベラも母子を気に入った。ルーカスは働いている退役軍人病院にベラを無断で連れて行ってバレてしまうが、ベラはセラピー犬の役目を担うようになる。
 そんなある日、動物管理局から、ベラはピットブルという危険な犬種とみなされたので、自宅外で見つけたら捕獲して安楽死させると言われる。ルーカスと母はベラのためにデンバーから引っ越すことにし、その間600キロ離れたニューメキシコ州のオリヴィアのおじさんのところにベラを預けたが、ベラはルーカスのもとに戻ろうと逃げ出してしまう。
 ベラはコロラドの山中でハンターに母親を撃たれたピューマの子どもと出会い、ビッグ・キトゥン(大きい子猫)と呼んで母代わりに面倒を見るが、生き方の違う2頭はやがて別れることになる。ベラは山に住む男性たちに拾われたり、街へ降りてホームレスの男性と共に過ごしたりした。
 再び山道を旅して狼たちに囲まれたベラは、一人前に成長したビッグ・キトゥンに助けられる。やがて遠くにデンバーの町が見え、ベラは2年半の月日を経て懐かしいルーカスの家にたどり着くが…。

◆猫の愛

 映画が始まるといきなりたくさんの猫が画面に登場します。ここはルーカスの家の前の廃屋。ルーカスは動物愛護団体を通じて、猫たちが住み着いているので廃屋を取り壊さないようにと頼んでいます。その床下で生まれたベラは、猫たちを追い出して廃屋を処分しようとした持ち主が動物管理局に捕獲を依頼したために母やきょうだいを失いますが、そこに残った猫のうちの1匹・子育て中だったママ猫に育てられます。まん丸いくりくりした目のまだ若いママ猫は、おなかと足先が白い三毛っぽいキジ白猫。
 ママ猫は、この導入部のほかに、ベラがデンバーに戻ってきたとき再登場します。再会を喜んだのも束の間、ベラがそこを去るときママ猫はその後姿を見送っていますが、ベラが振り返るともうそこにはいません。ベラは「これが猫流のお別れ」とつぶやきます。コロラドの山中からデンバーの街並みを見つけ、そこに向かおうとするベラをビッグ・キトゥンがママ猫と同じように後ろから見送り、振り向いたときには音もなく姿を消していたのを思い出したのです。
 犬とほかの動物という垣根を越えて親子のように仲睦まじくしていたはずなのに、2匹とも素っ気ないお別れ。ベラにはネコ科の気持ちが不思議に思えたようです。
 なお、ピットブルは闘犬をやったりする犬種で、この映画のように飼育に規制のある地域があるそうです。ベラはピットブルと似た特徴があったために「みなしピットブル」とされてしまったのです。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

      

◆ゴー・ホーム

 人間の目から見ての犬として犬を描くストーリーと違い、『ベラのワンダフル・ホーム』を含む3つの姉妹編は、すべて主人公の犬の主観のナレーションで犬の気持ちが語られます。動物映画では動物同士が人間語を話し、動物の社会が人間社会のアナロジーになっているものもありますが、この3本とも人間語の語り手は主役の犬のみ。ベラの独白は、お利口そうでちょっぴりピントのはずれた犬々しい解釈でいっぱい。それなのに人間はつい、犬が人間と同質の存在と勘違いしてしまいます。
 犬は犬の流儀で生きているのです。動物管理局から今度外に出したら捕まえると言われ、万一に備え「ゴー・ホーム」と命令すればベラがひとりで家に帰れるよう訓練したのに、いざというときベラは「ゴー・ホーム」と言われてもルーカスを守ろうとして動こうとしません。

 この映画で特筆すべきなのはコロラドの美しい自然景観。飼い主のもとを目指して犬猫がはるばる旅をする物語として、1963年のディズニー映画『三匹荒野を行く』(監督/フレッチャ―・マークル)を思い出す方もいらっしゃるでしょう。この映画でも美しいカナダの映像を見ることができましたが、当時とは比較にならないほどの撮影技術の向上によって、山岳地帯のダイナミックな自然がくっきりと広がり、目も心も奪われます。木々が色づく秋、凍てつく冬の雪の白さ、映像の情報量が豊富になった分、その場の温度や物音までが臨場感たっぷりに伝わってくる気がします。
 そして『ベラのワンダフル・ホーム』には犬・猫のほかにもたくさんの動物が登場します。リス、キツネ、ウサギ、ヘラジカ、オオカミ…もちろんピューマのビッグ・キトゥンはCG。動物同士の絡みも一部CGが見られます。空を飛ぶ鳥は映画ではかなり昔からアニメーションを合成して描かれてきましたが、この映画でもそんな風情の鳥の群れが見られ、懐かしさを覚えました。

◆アニマルウェルフェア

 映像以外にも『三匹荒野を行く』の時代から大きく進歩しているのは、アニマルウェルフェア(動物福祉)と多様性の視点です。
 アニマルウェルフェアとは、人間が動物を利用するにあたって、その動物の本来の性質に合った生育環境を用意したり、苦痛や恐怖をなるべく与えないよう配慮したりすることです。かつて茶トラの子猫が主人公の日本映画で、急流を箱に乗って流されるシーンがあり、その撮影のために子猫が何匹も死んだといううわさが流れたことがありましたが、アニマルウェルフェアの観点からは実際に死んだかどうか以前に、子猫を箱に入れて川に流すということ自体が猫に恐怖と苦痛を与えるとして、問題となる行為です。
 また、その映画でも『三匹荒野を行く』でも、主役の動物の最大のピンチとしてクマとの遭遇というシーンがありました。訓練されたクマだとは思いますが、相手の動物にとっては恐怖でしかありませんし、クマの気が変わって襲わないとも限りません。ベラの映画を見ているときも、いつクマが出るかとヒヤヒヤしていたのですが、最大のピンチはオオカミの群れで、CGの上、目をそむけたくなるほどの闘いにはなりませんでした。
 ルーカスが、床下に猫が住み着いているので廃屋を撤去させないよう動物愛護団体と見守っているというのも、今日的です。
 アメリカではアニマルウェルフェアを推進する非営利団体American Humaneが、映像作品における動物の取り扱いの監視を行っています。エンドクレジットの「この映画では動物に危害は加えられていません」という、この団体による文言やマークを目にしたことがあるのでは。ベラの映画にも表示されています。

◆多様性

 さて、犬の冒険映画と聞いたとき、主人公の犬がオスだと思わなかったでしょうか。冒険や戦いというと伝統的に男性のものでしたが、現在は女性が戦いに挑む映画が数多く作られています。けれどもまだまだ私たちは無意識の刷り込みから自由になっていません。メス犬を主人公としたばかりでなく、この映画は女性性についての肯定的な見方や、多様なキャラクターをちりばめています。
 親をなくしたベラを育てるママ猫、同じように一人ぼっちのビッグ・キトゥンに自分がママ猫にならなければと接するベラ、そして、ベラと別れたビッグ・キトゥンもまた子どもを連れた母になります(ビッグ・キトゥンのような猛獣もオスだと思いませんでしたか?)。ルーカスの母親のテリーが退役軍人というのもこちらの予測を超えていました。
 退役軍人病院では戦闘によって心身に障がいを負った人たちが登場。ベラを山中で保護した白人と黒人の二人の男性は、はっきりとは描かれませんが同性のカップルのようです。ベラがゴミをあさった町ではホームレスの男性がベラを唯一の友とし、死んでしまった彼と鎖でつながれていたベラを見つけたのは白人と東洋系の男の子でした。そして、白人のルーカスと黒人系のオリヴィアとのカップル。
 ハリウッド映画は、障がい者、ホームレス、LGBTQ、人種や民族など、マイノリティを積極的に取り上げる方向に広がりを見せています。ベラの映画には、ジェンダーや人間・動物の多様性のほか、自然を愛する視点を観客に訴えようとする姿勢が感じられます。

◆終わり良ければ

 あちこちの掲示板に迷い犬のベラの貼り紙がしてあるところをベラが通り過ぎたり、ルーカスに連絡が付きそうになりながら邪魔が入ったりと、すれ違いはこうしたドラマではお決まりの展開。ベラが600キロの道のりをさまよっていた2年半の間、デンバーの人間側がどうしていたのかは全く描かれません。そんな中でルーカスとオリヴィアは結婚した様子。これもしかとは語られませんが、室内の映像をよ~く見るとベッドサイドテーブルに二人の結婚式の写真が。
 ラスト直前、ベラをめぐる動物管理局とのいざこざは、国の大義のために戦った退役軍人勢が、ちっちゃい役人根性の係官を論理で一蹴。アメリカ映画らしい決着のつき方です。
 説明不足だのなんだのとあんまり細かいところにこだわるのは野暮。この映画、少年少女に向けて描かれた冒険物語なのです。ベラになったつもりでハッピーエンドを噛みしめようではありませんか。
 ベラを演じた名犬は、シェルビーという名前。監督のチャールズ・マーティン・スミスは1973年の『アメリカン・グラフィティ』(監督:ジョージ・ルーカス)で、登場するなりスクーターをぶつけてしまうドジなメガネの男の子の役を演じた人です。最近では2020年に『ボブという名の猫2 幸せのギフト』を監督しています。

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ハチ公物語

帰らぬ主人を10年近く待ち続け、今も人々の心に灯をともす忠犬ハチ公の物語。


  製作:1987年
  製作国:日本
  日本公開:1987年
  監督:神山征二郎
  出演:仲代達矢八千草薫長門裕之石野真子、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    植木職人菊さんのおかみさんお吉のペット
  名前:サナエちゃん
  色柄:キジ白


◆ハチ公100年

 日本で一番有名な猫の映画として『吾輩は猫である』(1974年/監督:市川崑)をご紹介しましたが、日本で一番有名な犬と言ったら、やはりハチ公でしょう。ハチ公は1923年生まれ。今年生誕100年になります(1935年3月死去)。テレビのニュース番組で毎日一度は必ず映る渋谷のスクランブル交差点。その奥の、JR渋谷駅のハチ公改札から少し離れた一画・ハチ公前広場に「忠犬ハチ公」像が立っています。今も昔も待ち合わせの目印となっている渋谷のシンボル・ハチ公像。携帯電話が普及する前は、ハチ公の周りで待ち合わせする人が多すぎて、約束するときは「ハチ公のしっぽの方で」などと細かく決めておくのがコツでした。
 コロナ流行以後もハロウィンや、サッカーの試合後、新年のカウントダウンなど、止めても止めても大勢が繰り出し羽目を外す人も出る渋谷ですが、ハチ公像そのものがイタズラされたというニュースは聞いたことがありません。誰もがきっと主人を思うハチ公の愛の心を尊び、慈しんでいるからなのでしょう。

◆あらすじ

 1923年、大館で秋田犬の子犬が生まれ、1頭が東京大学農学部教授の上野秀次郎博士(仲代達矢)のもとへ汽車で送られた。上野博士宅では前の夏に犬を亡くしたばかりで、妻の静子(八千草薫)とも悲しい思いをするのでもう生き物を飼いたくないと言っていたが、一人娘の千鶴子(石野真子)が純粋の秋田犬を切望していたのだった。しかし、子犬が着いてわずか数日後に千鶴子は急に結婚が決まり、子犬を両親に押し付けて嫁いで行ってしまう。子犬は開いて踏ん張る前脚が八の字に似ているというのでハチと名付けられる。初めはほかの人に犬を譲ろうと考えていた上野博士は自分で飼うことに決め、目に入れても痛くないほどかわいがる。
 ハチは上野博士が大学に出勤するときは最寄りの渋谷駅に一緒に行って自分で戻り、帰る時間には改札口に迎えに来るのを日課としていたが、1925年5月、博士が大学の授業中に急死。博士の家は売りに出され、夫人は娘夫婦と同居するためハチを浅草の叔父に預ける。ハチは鎖を切って博士がいつも帰る時間に浅草から渋谷駅に通ったり、元の家に戻ってきたりした。上野家の出入りの植木職人の菊さん(長門裕之)が見かねて引き取ったあともハチは渋谷駅に日参していたが、菊さんも急死し、ハチの面倒を見る人は誰もいなくなる。
 月日は流れ、新聞記者が帰らぬ主人を改札口に迎えに来る渋谷駅のハチのうわさを聞きつけて取材に来るが・・・。

◆ハンディサイズ

 ハチ公の飼い主を演じた仲代達矢、『吾輩は猫である』でも吾輩の飼い主・苦沙弥(くしゃみ)先生を演じていました。同じく『吾輩は猫である』で、苦沙弥先生の隣の車屋で猫のクロを蹴っ飛ばしていた春川ますみが、植木職人菊さんのおかみさん役で「サナエちゃん」というキジ白の猫をかわいがっています。
 菊さんは、秋田から渋谷駅に着いた子犬のハチ公を引き取りに行こうとしたときに、サナエちゃんを抱いたおかみさんに「犬は3日飼ったら恩を忘れないって言うが、猫ってやつは3年飼ったって知らん顔してる」と口にします。肩身の狭そうな顔をしてニャ~ンと鳴くサナエちゃん。
 博士の死後、夫人が娘夫婦の海外赴任のため和歌山の実家に戻ることになり、菊さん夫妻のところにハチの面倒を見てほしいと頼むと、気風のいいおかみさんが二つ返事で引き受けます。けれども、菊さんが急死するとおかみさんは家を引き払い、ハチには野良犬として生きるんだよと言い置いて、サナエちゃんだけをバスケットに入れて連れていきます。どんなに主人の恩を忘れない忠犬であっても、おかみさんにはバスケット一つで持ち運べる猫に比べるとお荷物に過ぎなかったのです。
 ハチ公の悲劇はこのように大型犬だったことにあるのでしょう。飼うのに場所も取らず、エサもそれほどたくさんはいらない小型犬だったら、引き取り手はいたのではないでしょうか。そして、この頃の犬は放し飼いが普通でした。街中を犬がウロウロしていても取り立てて珍しくなかったことが、ハチ公を放浪生活に追いやる一因だったのだと思います。
 ペットとしてそんなハチ公と対照的な運命をたどった「サナエちゃん」、菊さんがハチ公を駅に引き取りに行く前半早くと、後半の上野夫人が菊さん宅を訪れる場面の二度、ストレスとは無縁ののんきな姿を見せ、おかみさんがハチを置き去りにするときにバスケットの中で声のみ出演しています。

◆犬派・猫派

 日本では何年か前に飼育頭数では犬より猫が上回ったと聞いていますが、猫は一人で複数飼っている人が多く、飼い主の数では犬の方が多い、と先日どこかのテレビで言っていました。
 私は犬から結構好かれるようです。先日も散歩中の柴犬とすれ違ったとき、犬が伸びるリードをぐんぐん引っ張って私に近づいて、私も少しなでたりしていたのですが、飼い主さんに遠慮して離れたあと、しばらくして振り返って見ると犬はまだじっと立って私の方を見つめ続けていました。そういうところが犬のかわいいところです。が、そんな一途さがちょっと重いと感じる――それが私を気まぐれな猫派に傾けている理由だと思います(本人も性格的に猫タイプですからね)。

 映画の中の犬の描かれ方は比較的定型化しているように思います。この『ハチ公物語』のような人間と犬との絆が描かれるもの、そのバリエーションとして遠く離れた主人に会おうと旅する冒険もの、警察犬や狩猟犬など人間の頼もしいパートナーの役、家庭のペットとして、そして野良犬として。そういう分類ができるのも、犬が人間の要求に沿った演技を訓練によってできるからにほかなりません。おバカな犬の役をおりこうな犬が演じていたりします。
 人間に従うことによって繁栄してきた犬に対し、自発的にネズミなどを捕る以外は人間の邪魔をしたり人間を下僕のようにあしらう猫が一方の繁栄を極めているとは。かわいさを武器に進化してきた猫の生存戦略は恐ろしくしたたかです。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

      

◆史実とフィクション

 史実の通りにハチ公の生涯を描いているように見えるこの映画ですが、一部異なっているところや、省略されているところもあり、おおむね史実に基づくが一部はフィクションと認識しておいた方がいいでしょう。生まれたのはドラマチックに大雪の12月と描かれていますが11月ですし、上野博士の名前も実際は英三郎(ひでさぶろう)です。上野博士の家族のハチへの関わり方についても、映画の通りかどうかは疑問です。

 なぜこの部分が省略されたのかと特に思うのが、新聞記事でハチが有名になり、「公」という尊称を付けて呼ばれるようになって、たくさんの寄付や見舞金が寄せられ、生前の1934年に銅像が建てられたということです。4月21日の除幕式には上野夫人もハチも参加していたということ。また、ハチの名を広めた新聞記事も、映画では1928年に記者が書いたように描かれていますが、1932年の日本犬研究家の斎藤弘吉氏の寄稿によるものだということです(注1)。その1932年に銀座松屋の屋上で行われた第一回日本犬全国展覧会には、ハチも特別招待犬として参加していたといいます(注2)。
 さらに銅像が建てられた年の5月には、銅像を作った彫刻家の安藤照氏の鋳造「忠犬ハチ公臥像」が天皇皇后両陛下に贈られていたというのです(注3)。

 ただただ上野博士の面影を胸に抱きながら、雪の降りしきる朝、みじめな野良犬として生涯を閉じたと描かれる哀れなラストの前に、こうした輝ける日々があったことが映画からなぜスポンと抜けているのでしょう。
 ハチ公の話は戦前の国定の修身の教科書に「恩ヲ忘レルナ」という題で掲載され、忠君愛国思想に利用されたという見方もありますが、そうした立場でハチ公を評価する人々からの批判を回避するため省略されたのでしょうか。神山征二郎ヒューマニズム系の監督、脚本の新藤兼人は特に反戦の姿勢を貫いた人で、もとはそのあたりに踏み込んだシナリオだったのではないかとも思えます。『ハチ公物語』は文部省選定、その他各団体推薦多数と、多方面への色々な忖度が働き、無難なハチ公と先生の愛情物語にとどめたのでしょうか。銅像が建てられた一方でハチの保護についてどのような動きがあったのかも不明です。かわいそうなハチ公、と感傷的なムード重視になってしまっているのは、日本映画らしい弱点という気がします。
 戦争中、ハチ公の銅像は金属供出のため鋳つぶされ、今の像は1948年に再建された二代目だそうです。「忠犬」の「忠」の字はよそう、という議論もあったそうですが、初代と同じく「忠犬」の名を引き継ぎ(注4)、ハチ公は今日も再開発で激しく変貌する渋谷と駅の改札口を見つめています。生誕100年を機に、ハチ公の犬生がもう一度正しく考察されることを願ってやみません。

アメリカのハチ

 『ハチ公物語』は、2006年にアメリカで『HACHI 約束の犬』として、犬が登場する数々の名画で知られる犬好きのラッセ・ハルストレム監督によってリメイクされました。主演はリチャード・ギア。音楽教授という設定です。
 迷子で登場する子犬時代のハチはどう見ても柴犬ですが、成犬のハチはモデル通り堂々たる秋田犬(洋犬に置き換えられなくてよかった!)。『ハチ公物語』では、駅前の焼鳥の屋台の夫婦がハチに焼鳥をやりますが、リメイク版ではホットドッグ屋がソーセージを。また、駅近くの本屋の店主が菊さんのおかみさん的存在で、子犬を拾った先生が飼わないかと言うと、茶トラ猫のアントニアが子犬に猫パンチ。話はなかったことに。
 亡くなった上野博士の葬儀の祭壇に向かってハチが悲しげに吠えたり、霊柩車を追っていつまでも走っていくというお涙頂戴式の演出や、人間のエゴが目立つのが日本版。一方、アメリカ的だなと思うのは、ハチを取材に来た新聞記者に、俺がハチの面倒を見てるんだとアピールする駅員のキャラクター。

 日本版もアメリカ版も、小学生でもわかる内容だし、ストーリーは知っているし、泣かせにくるのはわかっている、と思って見たのに、先生と無邪気にたわむれている場面から涙がポロポロ・・・。恐るべし、犬の映画。


(注1、3、4) Wikipedia「忠犬ハチ公」より
(注2) 公益社団法人日本犬保存会ホームページ「日本犬保存会とは/歴史」より   
     その他、大館市観光協会ホームページ「どだすか大館/ハチ公について」を参考に
     しました。

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チャップリンの黄金狂時代

雪山に金鉱を求めて荒くれ者が集結する。山高帽にドタ靴のあの男も・・・。伝説のギャグが次々飛び出す永遠の名作コメディ。


  製作:1925年
  製作国:アメリ
  日本公開:1925年
  監督:チャールズ・チャップリン
  出演:チャールズ・チャップリンジョージア・ヘール、マック・スウェイン、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    ダンスホールに入り込んだ猫
  名前:不明
  色柄:キジトラ?(モノクロのため推定)


◆作曲家チャップリン

 1925年にサイレントとして誕生したこの映画、その後1942年にチャップリンの手でナレーションと音楽を加えたサウンド版が作られました。いま『チャップリンの黄金狂時代』と言うと、このサウンド版を指すことになるそうです(以下、『黄金狂時代』と略記)。チャップリン自身がナレーションを担当したばかりでなく、テーマ曲など、全編に流れる音楽にも彼の作曲によるものが使われています。彼は『街の灯』(1931年)など、他の多くの監督作品にも自分自身の作曲による音楽を付けており、温かみと哀感あふれるそれらの音楽が彼の映画にぴったりマッチしているのも道理でしょう。『モダン・タイムス』(1936年)の「スマイル」は、のちに歌詞もつけられ、多くのアーチストにカバーされた名曲です。
 初期の短編も含めデジタル修復されたチャップリン映画も増えました。監督、主演、脚本、作曲、プロデュースと、彼の天才ぶりをあらためて見てみたいと思います。

◆あらすじ

 アラスカの雪山に黄金を求めて多くの男たちが押し寄せていた。不屈の孤独な探検家(チャールズ・チャップリン)も一人で山道をさまよっていた。
 吹雪に襲われ、探検家はとある山小屋を見つけて入り込む。そこはお尋ね者のブラック・ラルセン(トム・マーレイ)の隠れ家だった。探検家は出て行けと脅されるが、そこに近くで金鉱を発見したビッグ・ジム(マック・スウェイン)も風に飛ばされてやって来る。ビッグ・ジムはラルセンの銃を奪い、山小屋を仕切る。
 食料が尽き、ラルセンが食べ物を探しに外に行っている間、二人は空腹のあまり靴を食べようとしたり、幻覚を見たり。運よくやって来たクマを仕留め、山小屋を後にして別れる。
 ラルセンはビッグ・ジムの金をみつけ、横取りしかけたが足元が崩れて墜落。ビッグ・ジムは彼との格闘で記憶喪失になり金鉱の場所がわからなくなってしまう。
 鉱山のふもとのダンスホールで、ジョージアジョージア・ヘール)という女性が働いていた。ジョージアはそこにやって来た探検家を、彼女に気のある客のジャック(マルコム・ウェイト)へのあてつけにダンスの相手に選び、探検家はのぼせ上ってしまう。
 探検家はダンスホールの近くの小屋の留守番を頼まれ、そこにジョージアが友だちと偶然立ち寄る。ジョージアは彼の気持ちに気付く。女性たちはからかい半分で、大みそかにまた遊びに来ると約束して帰る。
 大みそか、ごちそうとプレゼントを用意して待つ探検家。待てど暮らせどジョージアは来ない。新年を祝う騒ぎを耳にし、探検家はそっとダンスホールを見に行く。はしゃいでいたジョージアは探検家のことを思い出し、友だちと小屋に駆け付けるが、誰もいない小屋できれいに支度されたテーブルを目にし、すまない気持ちでいっぱいになる。
 年が明け、探検家がダンスホールにやって来ると、ウェイターからジョージアからの会って謝りたいという手紙を受け取る。そこにビッグ・ジムが来て、あの山小屋へ行って金鉱の場所を思い出したい、お前を億万長者にしてやる、と探検家を引っ張っていく。探検家はジョージアを見つけ、戻ったらあなたを迎えに来ると誓うが・・・。

◆猫VS犬 

 ジョージアにダンスの相手に選ばれ、天にも昇る心地の探検家。踊る人々の中でひときわみすぼらしい服装です。踊り始める前、ジョージアの写真が落ちているのを見つけ、こっそりポケットにしまおうとすると、一人の男性客がじっと見ています。彼もぼろい身なりで、探検家に目覚めた恋心を見透かしたように「あきらめな」という表情です。ところがジョージアが探検家と踊り始めたものだから彼はびっくり。ぎょろっとした目がいまにもこぼれ落ちそうに見開かれます。そんな彼に探検家は帽子をちょこっと上げてご挨拶。
 ダンスの途中で探検家のベルトが切れ、ズボンをたくし上げて踊りながら手ごろな縄をみつけ、ベルト代わりに。縄の先に大型の犬がつながれているのに気づかず踊っていると、犬もついて来るので怪訝な顔の探検家とジョージア。そこに猫が飛び出して来て犬が猫を追いかけたので、探検家はひっくり返ってしまいます。
 猫が出てくるのは上映時間の真ん中少し前のこの場面だけ。
 犬がからむギャグは、ブラック・ラルセンの山小屋でも登場します。山小屋にはラルセンのお供のかわいい犬がいます。食料が尽きたとき、ビッグ・ジムが外に出て犬がついて行くと、ビッグ・ジムだけが戻り、いま何か食べたばかりのように口をクチャクチャさせています。犬が食べられてしまったと思った探検家、口笛を吹いて犬を呼びます。呼んでも来ないのでいよいよ心配になり表に見に行くと・・・。

 チャップリンの映画を見ると、彼のギャグは非常に綿密な計算の上に演出されていることがわかります。そんな演出術の中で、人間の指示通りに動いてくれる犬は大事な役割を与えられることが多いようです。猫ももうちょっと言うことを聞いてくれればもっと起用されたのではないかと思いますが、このダンス場面に登場する猫も期待通りの動きをしなかったためか、歩くところだけを別に撮ったカットが挿入されています。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

      

◆笑いの宝庫

 『黄金狂時代』を通して見たことがない人も、どこかでそのギャグの抜粋やパロディを目にしたことがあると思います。
 特に面白いのが山小屋での「飢え」にまつわるギャグ。先ほどの「犬が食べられちゃった?」のほかに、有名なのが靴をゆでて食べるシーン。靴ひもを取りわけ、釘が並んだ靴底と革の身の方に分けると、力の強いビッグ・ジムが身の方を取り上げます。探検家が釘をまるで骨付きチキンの小骨のようにしゃぶると、なんだかおいしそうに見えてきます。
 空腹のあまり幻覚を見るようになったビッグ・ジムが探検家をニワトリだと思って追い回す場面は、かなりブラックです。それと察した探検家がナイフを隠したり、猟銃を雪に埋めたり。19世紀に現実にあった入植団・ドナー隊遭難事件をヒントにしたようですが(注1)、飢え以外でも、金を求めて山に入った者同士で血なまぐさい事件もあったのだと思います。このニワトリの着ぐるみを着ての動きがまた実に巧み。脚が鶏並みに細かったら本物に見えたのではないでしょうか。
 大みそかジョージアたちを待ちくたびれて眠ってしまった探検家の夢の、ロールパンをフォークに突き刺して足に見立てたダンス。そして終盤、ビッグ・ジムと探検家が再び戻って来た山小屋が崖っぷちで落ちそうになるスペクタクルとドタバタ。重さのバランスが変わるとギッと小屋が傾き、絶体絶命。ドリフターズもよくこのような仕掛けをギャグに使っていたな、と思い出し、世界中のお手本となるギャグを生み出したチャップリンの偉大さが今さらながらしのばれます。

◆笑いとペーソス

 山小屋でのドタバタ的な笑いの世界は、ジョージアとの出会い以後、ほろ苦さを含んだものに変わります。先ほどのパンとフォークのダンスの夢が物語るのは、探検家の道化的な哀れさ。
 山高帽にチョビひげにジャケット、だぶだぶズボンにドタ靴にステッキというおなじみのチャップリンのスタイル。はにかんだようにぱちぱちとまばたきして上目遣いで微笑む表情。憧れの女性に捧げる無償の純愛、そして貧しさ。けれども、そうした弱者である彼は、権力者や金持ちを相手にひょうひょうと戦い、そこに笑いが生まれます。
 『黄金狂時代』前後のチャップリン映画のヒロインも、卑しい身分でありながら心は純粋で、真実の愛に気づける賢さを備えた女性として描かれます。彼らと同じように貧しく虐げられた観客も、こうしたチャップリンの描く人物たちに自分を重ね、励まされていたのではないでしょうか。けれども、スクリーンの明かりが消えるとともに厳しい現実が待っています。だからこそ、チャップリンの映画の多くは、めでたしめでたしの高揚感では終わらないのではないかと思います。
 ラストによく描かれる、どこへとも知れず歩いて行く後ろ姿。それは社会から締め出された弱者のものです。けれども卑屈さは感じられません。つまらない世を捨て自ら旅立つ姿です。表情はわかりません。泣いているのか、笑っているのか。彼の映画に漂うペーソスに、これほどふさわしい締めくくりはないでしょう。

◆放浪の紳士

 チャップリンは、のちには『モダン・タイムス』や『チャップリンの独裁者』(1940年)など、ギャグによる風刺を試みるようになっていきます。『チャップリンの独裁者』の最後の演説は、力による現状変更が世界を脅かす今こそ、耳を傾けたい言葉にあふれています。演説の部分だけでもインターネット上で読んだり動画を見たりできますので、ぜひご覧になってください。
 1889年にイギリスに生まれた彼の生涯は、移民、第一次大戦大恐慌、第二次大戦、そして大戦後の反共主義によるいわゆる赤狩りによってアメリカから追放されるなど、歴史の波にもまれる劇的なものでした。作品にはそれらの社会の変化が色濃く反映されています。アナログ全盛期に世界を笑わせ、泣かせたあと1977年に世を去りました。チャップリンは激動の20世紀を象徴する人物だったと言えるでしょう。

 チャップリンと言うと誰もが思い浮かべるあのキャラクター、「放浪紳士チャーリー」像が完成したのは、チャップリン研究家の大野裕之氏によれば1918年の『犬の生活』(監督:チャールズ・チャップリン)だということです(注2)。これには『ウンベルトD』(1951年/監督:ヴィットリオ・デ・シーカ)のフライクのようないじらしい名犬が登場します。この映画も紹介したいのですが、残念ながら猫が出ていないので、次回からは犬が主役で猫が出てくるチャップリン以外の映画をご紹介したいと思います。


(注1、2)
チャップリン 作品とその生涯』(大野裕之著/中公文庫/2017年)
 チャップリンについての記述は本書を参考にしました。

 

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