連続殺人を犯してしまう青年を駆り立てた、聞こえるはずのない声。
サスペンスとホラーとコメディーが交錯するユニークな映画。
製作:2014年
製作国:アメリカ
日本公開:2015年
監督:マルジャン・サトラピ
出演:ライアン・レイノルズ、ジェマ・アータートン、アナ・ケンドリック、
ジャッキー・ウィーヴァー、他
レイティング:PG-12(12歳未満には成人保護者の助言・指導が必要)
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆☆☆(主役級)
主人公の飼い猫
名前:Mr.ウィスカーズ
色柄:茶トラ
その他の猫:主人公と仲良くなる女性の猫
名前:ピッグヘッド
色柄:黒白
◆後味は悪くない
久しぶりに猫が主役級に活躍する映画です。原題は『The Voices』。
映画を見ずに次の「あらすじ」だけを読むと、異常者が猟奇的な連続殺人を犯す、よくある1本と思われるかもしれません。
しかし、映画を見てみると、これはラブコメか? というようなポップで笑えるシーンが続くかと思えば、シリアスな展開が始まったり、目を覆いたくなるような残酷描写、と、くるくる変化するさまは、月並みな表現ですがまるで万華鏡のよう。人によって、コメディだと言ったり、サスペンスだと言ったり、ホラーだと言ったり、一言で表すのに困る映画でしょう。
まあ、あまり先入観を持たずに自分の感性にゆだねてご覧になってください。私としては監督のブラックなユーモア感覚にどっぷり浸っていただきたいと思います。
◆あらすじ
ジェリー(ライアン・レイノルズ)は、水回り製品のメーカーで働き始めたばかりの青年。幻聴を症状とする精神的な病があり、50代くらいの精神科医の女性(ジャッキー・ウィーヴァー)から定期的にセラピーを受け、服薬を欠かさぬよう指導されている。古いボウリング場の事務室を改装した部屋で、犬と猫と暮らしているが、ジェリーの精神世界では彼らが人間の言葉で話しかけてくる。
ある日、会社の毎年恒例のパーティーの幹事に選ばれたジェリーは、打合せでセクシーなフィオナという女性(ジェマ・アータートン)と知り合う。彼女に惹かれたジェリーは勇気を出して彼女を食事に誘うが、すっぽかされ、一人で車で帰ろうとしたとき偶然フィオナと出会う。彼女を車に乗せて送る途中、大きなシカが車に衝突する。
ジェリーがナイフで瀕死のシカにとどめを刺し、こわがって逃げ出したフィオナを追いかけたジェリーは、過って彼女を刺してしまう。シカと同じように、ジェリーは苦しむ彼女にとどめを刺す。ジェリーはフィオナの遺体を家に運び、体を小さく切って密閉容器に詰め、首を冷蔵庫にしまう。フィオナの首は生きているときと同じようにペチャクチャと話しかけてくる。
ジェリーはフィオナの同僚のリサ(アナ・ケンドリック)から好意を持たれ、仲良くなる。サプライズでジェリーの家にケーキを届けに来たリサは、室内に残った血などに気付いて逃げようとするが、はずみからジェリーに殺されてしまい、彼女の首も冷蔵庫にしまわれる。さらに様子を見に来たもう一人の同僚の女の子も犠牲になる。ジェリーは精神科医に助けを求め、彼女を拉致して自室に監禁する。
パーティーの幹事を一緒に務めた男性社員たちが、ジェリーの部屋を見て警察に通報。ジェリーはメンテナンス用の通路を伝って逃げようとするが・・・。
◆おしゃべりな犬猫
ジェリーが室内飼いしているのは、マスティフ犬のボスコと茶トラ猫のMr.ウィスカーズ。犬らしく、ジェリーが帰宅すると大喜びで迎えに出るボスコ。一方のMr.ウィスカーズはちょっと離れたところからそんな様子を冷めた目で見ています。2匹ともジェリーとは人間の言葉で話し、しゃべるときは口元にCGが使われています。
犬のボスコがジェリーに友好的で肯定的なのに対し、Mr.ウィスカーズはジェリーをバカにし、批判的で、悪へとそそのかします。もちろん2匹とも本当は普通の犬と猫で、彼らの言葉はジェリーの心の病から来る幻聴。誰でも人間は自分を肯定する見方と否定する見方との間で、おのれを両価的に評価しているわけですが、ジェリーの場合はそれが外から犬と猫の言葉として聞こえてくるという非現実的な妄想に捉われています。
ここで猫がネガティブサイドに立っているところが、定番ですが面白い。誰だって犬がしっぽを振って甘えてきたり、寂しいとキューンと鼻を鳴らしたりするのを見ると、彼らの自分に対するシンパシーを疑おうなどという気は起きません。猫の場合はそう単純ではない。何を考えているのかわからない。つり上がった目でこっちを見ている。どうしたって悪役を振るとしたら猫ですよね。そしてまたMr.ウィスカーズ役の猫はとても理知的で聡明そう。人間のようにしゃべり出してもおかしくなさそうな・・・。ジェリーはMr.ウィスカーズに操られるように精神科医から処方されている薬を捨ててしまいます。
Mr.ウィスカーズを演じた猫はカイロ、ボスコ役の犬はハーミッシュという名前。車に衝突したシカも含め、主人公のジェリーを演じたライアン・レイノルズが声を担当しています。お互い猫好きとわかって仲良くなるリサの飼っている黒白猫のピッグヘッド(頑固の意)は、スパイクという猫が演じています。この猫はジェリーとリサがリサの部屋で一夜を共にしたときも一切しゃべりません。
ウィスカーといえば、猫の体の部位でかわいいと人気のひげ袋は、ウィスカーパッドと呼ぶそうです。あのひげの付け根の穴が実に整然と幾何学的に並んでいることに、私は子どもの頃から驚嘆し続けています。
◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆
◆コメディーね
ジェリーは今どき珍しい真面目青年。堅物そうだけれど根クラなタイプには見えません。職場では会社のイメージカラーの派手なピンクのつなぎの制服を着て出荷担当をしています。ジェリーは何らかの罪を犯して更生のためこの会社で働き始めたようで、雇い主は彼のそうした事情や精神的な病を承知しているらしいことがセリフからうかがえます。
社内パーティーの幹事に指名され、他部署の女の子と知り合えるとあってジェリーは大張り切り。打合せの前の晩にどんなシャツを着て行こうかとウキウキするジェリーを、Mr.ウィスカーズは、幹事なんてタダ働きさせられるだけ、と冷笑します。
ジェリーの会社風景といえば・・・フォークリフトが行きかう男ばかりの出荷部のヤードに対し、経理部の女子社員たちは退社時刻が近づくとお化粧なおしに余念なく、女を武器に自信満々なタイプのフィオナ、一見おとなしめだけれどジェリーを一目見て目をつけたリサ、そんな二人から一歩離れて社内恋愛事情を鋭い視線で観察する太めのアリソン(エラ・スミス)と、ツボを得た展開。社内パーティーの打ち合わせで、コンガラインを踊りましょう、というフィオナの提案が通り、音響担当のジェリーとコンビになります。
ちなみにコンガラインとは、前の人の肩などに手を置いて、一列につながってリズムに合わせてステップを踏む踊り。昭和に育った人ならば「レッツ、キッス」の歌詞で始まる「ジェンカ」のようなダンスと言えばおわかりになるでしょう。
パーティー当日、会社の廊下で全社員がつながって繰り広げられるコンガライン、ノリノリになったジェリーとフィオナがペアで踊りまくり・・・こりゃ、コメディですわ。
◆ホラーか?
純情なジェリーはフィオナにのぼせ上ってチャイニーズ・レストランに誘います。ショウが見られるから、と約束した時間になってもフィオナは現れず、中国人のプレスリーやブルース・リーの物まねショウが始まります。コメディ調なのは大体ここまで。
フィオナはダサいジェリーから逃げ回っていたのですが、たまたま自分の車が故障して、レストランから泣きながら車を走らせてきたジェリーに拾われます。
ここからジェリーの連続殺人が始まってしまうのですが、ジェリーはすっぽかされた恨みからフィオナに殺意を抱いたのではありません。たまたま車に衝突したシカ、そのシカは死にきれず、ジェリーに「殺してくれ」と訴えます。もちろんこれはジェリーの心の声。ジェリーがナイフでシカを殺すのを見て、逃げ出したフィオナを間違って刺してしまい、やはり死にきれないフィオナを苦しませないよう、ジェリーは彼女の息の根を止めてしまうのです。
リサのときもそうです。たまたまジェリーの部屋に入り、フィオナをバラバラにした痕跡に気付いて逃げようと暴れるリサを突き飛ばすと、リサは頭を打って苦しみ出し、またもやジェリーは彼女にとどめを刺してしまいます。同僚二人が欠勤し、怪しんだ太めのアリソンが訪ねてきたときも、同じようなプロセスが繰り返されたのでしょう。
彼自身が殺そうと思ったわけでなく、瀕死で苦しむ相手にとどめを刺す、それには彼の少年期の事件が影響しています。
◆サスペンス?
ジェリーの母親もまた、天使や動物が話しかけてくるという幻聴の持ち主でした。ジェリーの二度目の父はそんな母や、ウサギザルと言って靴下と話すジェリー少年を否定しました。病院に入れられそうになった母親はそれを拒み、自殺しようとしたものの死にきれず、その場にいたジェリーに殺して、と訴えたのです。逆らえずに母を殺したジェリーは、瀕死の者を目の前にするとその記憶がよみがえり、手を下してしまうのでしょう。
Mr.ウィスカーズやボスコや、殺した女性たちの首が話しかけてくるのは、ジェリー以外の者にとっては妄想にすぎませんが、ジェリーにとっては現実です。それらが話しかけてくることで、ジェリーは自分が生きていることを実感することができたのでしょう。薬が効いているとMr.ウィスカーズもボスコも話しかけてこないただの猫や犬になってしまい、ジェリーはその孤独に耐えきれないのです。冷蔵庫の中の女性たちの首は薬を捨てたジェリーに生き生きと話しかけてくれますが、現実は腐敗が始まっています。
◆そこに幸福が
警官に踏み込まれたジェリーは逃げようとする途中でガス爆発と火災に巻き込まれ、倒れてしまいます。そのとき、急に画面が真っ白になり、Mr.ウィスカーズとボスコが登場し、ちょっと会話して左右に分かれて画面から消えます。
そこにジェリーが現れ、ジェリーの母と二度目の父が登場し、続いてフィオナとリサがビシッとハイヒールで決めて立ちはだかります。やがて太めのアリソンが「ハイ!」と加わり、全員そろって歌いながらダンス、ダンス。ジェリーはロイヤルブルーの、みんなはピンクやオレンジの衣装で、コンガラインや、ミュージカルのようなフォーメーションを繰り広げ、満面の笑み。
これは重たいラストからエンドロールに転換する前の口直しのおまけとか、インド映画のマネだとか、終わった終わった、と思われた方も多いでしょう。
それでも間違いではないと思いますが、これは天国の描写なのです。
ジェリーが倒れ、真っ白な画面になったあと、Mr.ウィスカーズとボスコがいなくなる。これはジェリーが死んで彼の妄想も消滅したことを表しています。そして、ジェリーに続き次々現れる人々は、二度目のお父さん以外みんなジェリーが死なせた人たち。そのうちイエス様も現れます。
こうしてジェリーは苦しみから解放され、天国の雲の上で楽しそうに暮らしている。みんなも「ハッピーソング♪」と歌って踊っている。な~んだ、これでよかったんじゃない、というのがこの映画の締めくくり。
あっけにとられるブラックユーモアではありませんか。
マルジャン・サトラピ監督はイラン出身で、漫画家でもあり、フランスで活動している女性。『ペルセポリス』という漫画で国際的な注目を浴び、自ら2007年に初監督作品としてアニメーション映画化したそうです。実写はこの『ハッピーボイス・キラー』と、一部にアニメを使った、バイオリンを壊されて別れた恋人との絆を失う男の物語『チキンとプラム あるバイオリン弾き、最後の夢』(2011年/ヴァンサン・パロノーと共同監督)と、2019年製作、2022年に日本公開された『キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱』の3本だけです。最新作『キュリー夫人・・・』は男性優位の時代の女性先駆者の苦闘とその歴史的立ち位置を描いた伝記映画。真面目一本鎗の演出で、サトラピ監督の個性が見えにくいのが少々残念です。
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