恋人のいる国に渡るため自らの皮膚をアート作品化するシリア難民の男。人間の尊厳、身体のモノ化について考えさせられる異色作。
製作:2020年
製作国:チュニジア、フランス、ベルギー、スウェーデン、ドイツ、カタール、
サウジアラビア
日本公開:2021年
監督:カウテール・ベン・ハニア
出演:ヤヤ・マヘイニ、モニカ・ベルッチ、ディア・リアン、ケーン・デ・ボーウ、
ヴィム・デルボア、他
レイティング:一般
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆☆(脇役級)
主人公の飼い猫
名前:不明
色柄:茶トラ
◆皮膚は語る
前回の記事ではヒトラーから世界を救った男を取り上げましたが、今回は自分の皮膚を売った男。自分の背中を芸術家に提供し、入れ墨を施した生きたアート作品になることで、難民の身から自由を得ようとするシリア人の男の物語です。
親子2代にわたる独裁政権の主で、2024年12月に政権崩壊、ロシアに亡命したと言われているシリアのアサド元大統領が権力を握っていたときの映画ですが、中東情勢や民族問題などに詳しくなくても内容がわからないということはありません。恋愛映画と言ってもよく、一種の戯画として見ていただけるのではないでしょうか。ヨーロッパの人々が難民や中東の人々に対して抱いている差別的意識を遠回しにあぶり出しているところもうかがえます。主人公を作品として展示する、豊かさの殿堂である美術館の美しさにも目を奪われるでしょう。
◆あらすじ
2011年のシリア。サム・アリ(ヤヤ・マヘイニ)は電車の中で恋人のアビール(ディア・リアン)に求婚し、興奮して思わず「これは革命だ、自由が欲しい」と叫んだのを聞きとがめられ、留置場に収容されてしまう。脱走した彼はアビールの家へ行き、姉の車で一緒にレバノンに逃げようと言うが、良家の娘で今しもベルギーのシリア大使館勤めの外交官とお見合い中のアビールが行けるはずもなかった。
1年後、アビールは見合い相手と結婚してベルギー在住、レバノンに逃げたサムはあるパーティーに潜り込んで食べ物をあさり、シリア難民だと目を付けられる。パーティーの主役で世界的に問題作を発表し続けているベルギー在住の芸術家のジェフリー(ケーン・デ・ボーウ)はサムに声をかけ、サムの背中が欲しいと言う。難民のサム自身をアート作品として商品化し、物になることで外国に渡航も可能となり人間性と自由を取り戻せると、背中にシェンゲン・ビザの入れ墨を入れて展示することを思いついたのだ。シェンゲン・ビザとはシェンゲン協定加盟のヨーロッパ各国へ外国人が行くために必要なビザ。アビールのいるベルギーに行きたい一心で、サムはジェフリーの申し出を承諾する。
背中にビザの入れ墨を彫ったサムは、ブリュッセルのベルギー王立美術館の展覧会で展示されることになった。サムは自分がしていることを隠してアビールと再会するが、勘づいた夫のジアッドがアビールを連れて美術館に来て暴行を働き、サムの嘘がばれる。アビールはサムの宿泊先を訪ねて来るが、それは夫が暴れて美術館に与えた損害について訴訟しないようとりなしてほしいと伝えるためだった。落胆したサムはジェフリーの女性マネジャーでサムの監視役のサラヤ(モニカ・ベルッチ)と付き合っているふりをアビールにしてみせ、二人の連絡は途切れる。
他の美術館に展示され、富豪に買われ、サムはもはや物だった。オークションにかけられたサムは、高額で落札されるとズボンからイヤホンのコードを取り出し叫び声をあげる。自爆テロを連想したのか人々はパニックになって逃げまどい、サムは捕らえられる。そんなサムと弁護士との間で通訳と翻訳を務めたのは、夫と別れたアビールだった・・・。
◆シリアの猫
映画が始まって間もなく、パンツ1枚で横たわって眠るサムの後ろ姿が映ります。のちにシェンゲン・ビザの入れ墨が刻み込まれるムダ肉のない背中。男性にしてはくびれた脇腹のあたりからちょこっと猫の耳がのぞきます。目覚めて茶トラの猫をなでるサム。猫はゴロゴロと喉を鳴らしています。
シリアからレバノン、ベルギーと、転々とするサムですが、シリアで不当逮捕され、レバノンに姉の車で逃げたときも猫を連れて行きます。いえ、連れて行ったというより、姉が車のシートにサムを隠して国境の検問を通過するとき、係官がシートの上にいる猫を見て怪しむことなく車を通し、カムフラージュの役目を果たしたのです。
レバノンで、サムがアビールの結婚式の写真をパソコンで見ているとき猫はパソコンの周りを歩き回っていますが、ベルギーに渡ってからは姿を見せません。とうとうレバノンに置き去りにされたかと思っていたら、ラスト、茶トラは再び姿を現します。サムはヨーロッパで猫を連れて歩けるすべもなかったはずなので、別の猫だとは思いますが、再三私がこのブログで、猫を飼っている人物がどこかへ移動してしまって、その後猫がどうなったかを描いている映画が少ないと言ってきた点からすれば、製作者が猫の存在を忘れていなかったというのは嬉しいことです。イスラム世界で猫は大切にされているからでしょうか。
猫が出てくるのは2分48秒頃、12分24秒頃、13分27秒頃、そして最後の98分30秒頃です。
ところで、この映画はシリアの民主化を巡る内戦を背景としていますが、内戦の中で命がけで猫を守った「シリアの猫男」あるいは「アレッポのキャットマン」と呼ばれる人がいたそうです。詳しくは『シリアで猫を救う』(アラー・アルジャリールwithダイアナ・ダーク著/大塚敦子訳/講談社/2020年)という書籍をご参照ください。
◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆
◆シリア内戦
映画の冒頭、美術館に搬入される一枚の額。グラフィックなデザインが施された絵がクローズアップになると、ほくろやかさつきの見える、皮膚とおぼしきものがその色彩の下にあるのが見えます。これはサムの背中のシェンゲン・ビザの入れ墨の部分を切り取った皮膚。この皮膚を収めた額がどうやってここに展示されることになったかを説き起こすように物語は始まります。
良家の令嬢のアビールが親の勧めでお見合いすることになり、電車の中でそれを聞いた庶民のサムは険しい表情になります。その時アビールに「あなたを愛している」と言われ、サムは有頂天。勢いに乗ってその場にいた乗客たちに声をかけ、車内で結婚式を始めてしまいます。サムは、身分違いと思えたアビールが自分を選んでくれたことや、しきたりにのっとって進めなければならない結婚をこんな風に即席で決めたことを、革命や自由にたとえたに過ぎなかったはずですが、政権批判と受け取った乗客が密告し、捕らえられてしまうのです。
ちょうどこの頃からシリア国内で独裁政権に反発する民主化勢力との衝突が激しくなっていて、サムのぶち込まれた留置場は同様の容疑で捕らえられた人々なのか、足の踏み場もありません。国外に逃げる人が増え、アビールは在ベルギーのお見合い相手と結婚することで身の安全を確保します。サムとアビールはレバノンとベルギーに離れ離れになったあとも、ネットを通じてビデオ通話をしていますが、アビールの夫が監視していて自由に話ができません。アビールをそんな夫のもとから救い出したい、と苦しんでいたとき、サムは芸術家のジェフリーと出会うのです。
◆モデルはいた
映画の最後に、2008年に個人コレクションとなったヴィム・デルボアのタトゥー作品「TIM」にインスピレーションを得た、と字幕が出ます。ヴィム・デルボアはベルギー生まれの現代アーティスト。この映画にもシャイな保険会社の男という役柄でちゃんとセリフ入りで出演しています。アーティストというよりサラリーマンにしか見えませんが、実像はジェフリーのように物議をかもす作品を次々と世に送り出していて、「TIM」は2006年に発表したもの。ティム・ステイナーという男性の背中に入れ墨を施し、この映画のサムのように背中を観客に向けて椅子に座らせる作品だそうで、これを見たカウテール・ベン・ハニア監督が映画化を打診したそうです。サムと違い、「TIM」の場合は、ティム自身から体を貸すことを売り込んだとのこと。ティムは、「TIM」をコレクションしているオーナーとの間で、展覧会の開催中は展示作品となるという契約を結んでいるそうです(注1)。
映画では、サムはジェフリーにスカウトされます。ジェフリーは難民というストーリーのあるサム自身がほしい。本来ならばスカウトされるサムの方が強い立場です。けれどもジェフリーが下でに出ることはありません。背中に入れ墨をして展示するという、普通の人間だったら足蹴にするであろう人権軽視の提案を、この難民の男だったらイヤと言わないだろうと、自分の優位性を認識しています。
◆皮肉
現代アート作品となったサムの背中は社会にインパクトを与え、シリア難民を守る団体や母親や親戚がサム以上にサムの立場を憂慮し始めますが、サムはそうした騒音をシャットアウト。人妻になったアビールを取り戻すことにしか目を向けません。
アビールの夫が美術館に与えた損害をサムが帳消しにしてからはアビールとは音信不通。その間にシリアにいる母親は内戦で足を失います。
何のために見世物・売り物になったのかと悔やんだサム。オークション会場で逮捕されるとアビールと再会する、という流れは、メロドラマに昔からよくあるパターン。社会の不条理、力による支配・被支配の構図、人間の価値などの問題提起を予想していたこちらとしては、急速に大団円かと拍子抜けしましたが、実はこの後にこの映画最大のひねりが待っています。それはご覧になってお確かめください。
アート作品になることによって、人間「だった」ときにかなわなかった多くのものを手に入れ、人間「として」求めた恋は手に入らないという逆説。このほかにも、サムがオークション会場を騒がせて留置場に入れられたとき、久々に自由になれたとほっとした表情を見せるなど、小さな皮肉がところどころにちりばめられています。正面切ってものを言わないところは「アラブの春」と言われた民主化以前に監督が身につけた姿勢なのでしょうか。
◆イスラムの恋
サム役のヤヤ・マヘイニは役にふさわしい引き締まった体もさることながら、への字に引き結んだ口、じっとこらえたような表情で、弱者たるサムをよく表しています。第77回ヴェネツィア国際映画祭オリゾンティ部門男優賞を受賞、本業は弁護士なのだそうです。サムを管理するジェフリーのマネジャーはモニカ・ベルッチ。妖艶な美女といった役どころの多い彼女が、ビジネスに生きる冷徹な女で魅せます(たまに中年女性らしい母性を見せるところも・・・)。
イスラム社会での恋愛・結婚事情は私たちの耳にはあまり届きません。以下は私の断片的な知識に基づく個人的な見解ですので、誤っていたり国によって異なっている場合もあるかもしれませんが、結婚前に性的な接触をすることは戒められているようです。電車の中でサムがアビールの肩に手を回すと、家族の知り合いがいたら、とアビールにたしなめられるのもそんな背景からでしょう。サムのアビールに対する執着は一昔前の日本だったら女々しいと言われかねませんが、イスラム社会で異性を正当に獲得できるのは結婚のときだけ、ひとたび恋をしてしまったら結婚にしか成就の道はないとなると、ダメだったら次の人とそう簡単にはいかないのかもしれません。
監督のカウテール・ベン・ハニアとは英語読みで、検索すると、カウサル・ビン・ハニーヤという母国チュニジアでの読み方が出てきます。ISに参加した姉妹の家族を描いたドキュメンタリー『Four Daughtersフォー・ドーターズ』(2023年)でも脚光を浴びている女性監督。『ハッピーボイス・キラー』(2014年)のマルジャン・サトラピ監督(注2)など、イスラム出身の女性として世界の舞台で情報発信する人が増えているのを頼もしく思います。
(注1)この章の「TIM」に関する記述は下記「MOUVIE WALKER PRESS」の記事を参考にしました。
“皮膚を売った男”は実在した!映画化のきっかけとなった、型破りな芸術家の正体やシリアの内実を知る |最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS
(注2)マルジャン・サトラピ監督の映画『チキンとプラム あるバイオリン弾き、最後の夢』(2011年)も、イスラム圏の男性が人妻となった女性を一途に思い続ける物語です。
◆関連する過去作品
◆パソコンをご利用の読者の方へ◆
過去の記事の検索には、ブログ画面最下部、オレンジのエリア内の「カテゴリー」「月別アーカイブ」または
検索窓をご利用ください。