この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

『トワイライトゾーン 超次元の体験』より 第2話

老人ホームの夜の庭に缶蹴りの歓声が響く。スピルバーグ監督の手掛けた短編ファンタジー

 

  製作:1983年
  製作国:アメリ
  日本公開:1984
  監督:スティーヴン・スピルバーグ
  出演:スキャットマン・クローザース、ビル・クイン、ヘレン・ショウ、
     マレイ・マシスン、イヴァン・リチャーズ、他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    老人ホームで飼われている猫
  名前:なし
  色柄:茶トラ

 

4月3日に発生した台湾東部沖地震で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。

ミステリーゾーン

 以前、『グレムリン』(1984年/監督:ジョー・ダンテ)のときにこの『トワイライトゾーン』(以下同様に略記)の第4話、飛行機の翼に乗ってエンジンを破壊しようとする怪物を乗客が目撃するエピソードについてお話しさせていただきましたね。『トワイライトゾーン』は、1960年代に日本のテレビで『ミステリーゾーン』という邦題で放映された、1話完結の30分のドラマシリーズのうちのエピソードの4つをオムニバス映画化したものです。本国アメリカのTVドラマは1959年から1964年まで放送されたそうですが、その後リメイク版が何度か作られています。
 1960年代初めの日本のテレビ局は自前の番組がまだ少なく、よくアメリカから輸入したドラマやアニメを放映していました。戦争ものの『コンバット』、クリント・イーストウッドが出演していた『ローハイド』、いまもキャラクターを目にするアニメの『トムとジェリー』など、テーマ曲が頭を離れない人気シリーズはこれ以外にもたくさんありましたが、何年にもわたって繰り返し放映されたり、シーズンの中の1部が不定期に放映されることもあったりして、いったいいつからいつまで放映されていたのかよくわからないものもあります。そのおかげでいまの60歳代から90歳代くらいまでが、同じドラマのことで話が盛り上がったりすることもあるようです。
 今回取り上げる『トワイライトゾーン』の第2話は、アメリカで1961年9月からTV放映された第3シーズンの86話「真夜中の遊戯(原題:Kick the Can)」を、スティーヴン・スピルバーグ監督が劇場版にリメイクしたもの。劇場版『トワイライトゾーン』は、ジョン・ランディス監督とスピルバーグ監督が製作し、プロローグと第1話をジョン・ランディススピルバーグがこの第2話を、第3話を『グレムリン』のジョー・ダンテ、第4話を『マッドマックス』シリーズのジョージ・ミラーが監督しています。
 なお、このブログの『グレムリン』の記事で『トワイライトゾーン』のことをお話ししたときに、第1話から4話までの邦題を紹介しましたが、この題はテレビ版に付けられていたもので、劇場版には付けられていませんので、この記事では省略いたします。

◆あらすじ

 老人ホーム「太陽の谷」では、今日もお年寄りたちが判で押したような生活を送っていた。その日、入居者のコンロイ氏(ビル・クイン)が表で遊んでいる子どもの声がうるさいと言い出したのをきっかけに、みんな子どもの頃の遊びの話をし始める。最近ホームにやって来たブルーム(スキャットマン・クローザース)はもっぱら缶蹴りで遊んでいたと言い、今晩、ホームの庭で缶蹴りをしないかとみんなを誘う。
 「規則違反だ」「転んだら起き上がれない」と、コンロイ氏は参加しないことにしたが、他のみんなは夜中にベッドを抜け出してブルームを鬼に缶蹴りを始める。
 大はしゃぎで庭を走っていたお年寄りたちは、気が付くと缶蹴りで遊んでいた頃の子どもの姿に戻っていた。ブルームだけは老人のままだった。
 ブルームがお年寄りたちに向かって、また子供に戻って人生をやり直すのだ、と言うとお年寄りたちは困惑する。心は子どもで、体は今のままでいい、と口々に言って、寝ているコンロイ氏の寝室に忍び込む。目覚めたコンロイ氏が子どもになったみんなに驚いて職員を呼んで来ると、みな元のお年寄りの姿に戻っていた。
 翌朝から「太陽の谷」ホームは一変する・・・。

◆猫も変身

 物語の始め、ホームの入居者が集まって、ビタミンの効能についての講義を聞いています。後ろの方の席では退屈でシャボン玉を吹いている人も。最前列に座っているのは、講師の話に笑ったりしてくれるありがたい聴衆・デンプシー夫人(ヘレン・ショウ)。開始から1分もたたないうちにその彼女が膝に茶トラ猫を乗せて講義を聞いているところが映るのですが、猫の姿は字幕に隠れてしまうので、気がつかないかもしれません。
 それからしばらく後に、ぼんやりと無表情に座っているおじいさんがこの猫を抱いているところが映ります。ホームのペットの猫。日本でも最近は入居者の心の健康のために動物を同居させたり連れてきたりするところが増えているそうですが、この映画が製作された40年以上前はまだそういう風潮ではなかったと思います。
 その猫好きのデンプシー夫人、夜中にホームの庭に集合したときも猫を抱いています。そして、みんなが子どもの姿に変わってしまったとき、この猫も子猫の姿に変わっているのです。当のお年寄りたちが70数年若返ったのだとしたら、猫はマイナス70年くらい若返って、子猫どころか存在すらしていなかったはずですが、まあタイムスリップしたわけではなく、猫も人間も同じ割合で若返ったということでしょう。そしてコンロイ氏が「部屋に子どもがいる」と職員を連れて来たとき、みんながお年寄りに戻っていたように、子猫は元のおとな猫に戻っています。
 最後に猫が登場するのは、終了からおよそ1分半前。デンプシーさんの仲良しの女性の孫が抱いています。みんな、いそいそと楽しそうに湖に出かけていくところです。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆空白の日々

 「“希望のない人生とはむなしいもの”とか」という冒頭の画面外からのナレーション。毎回ガイド役のナレーションで物語が始まるのが『トワイライトゾーン』の定番です。
 みんながビタミンの講義を受けている部屋の窓の外で、コンロイ氏はワイシャツにネクタイを締め、スーツケースを提げ、息子一家の家に行く支度をして待っていたのですが、息子夫婦は忙しいと言って挨拶だけして帰ってしまいます。それを窓から見ていたエイジー(マレイ・マシスン)は、コンロイは毎月同じことを繰り返していると、まだ「太陽の谷」に来て間もないブルームに説明します。入居者たちは、こうして代わり映えのしない日々を当たり前のように過ごしています。お迎えの来る日まで、未来に何も待ち受けるものがない人生・・・。何から何まで世話を焼いてもらえるけれど生き甲斐のない人生・・・。
 そんなとき、子どもの頃を思い出して、木登りが得意だったとか、体が動けばまたダンスを踊りたいとか、顔を輝かせるお年寄りたち。でも、いまは昔の物語とあきらめていると、ブルームが懐からピカピカ光る缶蹴りの缶を取り出すのです。「皆さんを子どもの頃に返してあげる」と。

◆老いた体でも

 英語でも「Kick the Can」と、そのまま日本と同じ「缶蹴り」ですが、映画を見ると遊び方もほとんど変わらないようです。「ガキどもめ」とみんなをバカにしていたコンロイ氏をしり目に、缶蹴りばかりでなく、いつのまにか海賊のいでたちになったエイジーさんと子猫を抱いたデンプシー夫人がダンスを踊ったりしています。老眼鏡が大きすぎてずり落ちている幼いデンプシー夫人の前歯は、永久歯への生え代わりのため抜けています。
 ところが、そんなみんなにブルームが言ったのは、子どもに戻って人生をリセットするのではなく、どうやら同じ人生をリピートするということ。辛かったことを繰り返すのは嫌だ、と言うみんなにブルームは言います。
「今夜の気持ちを持ち続けたら、目覚めたとき老いた体にフレッシュな若い心が戻っている」と。
 こうしてホームのお年寄りたちは、次の朝から若返った心で再び生き生きと人生を楽しみ始めるのですが、ただ一人、子どもになったまま帰ってこない人がいたのです。

◆明日は明るい日

 子どもの頃ダグラス・フェアバンクスに憧れて、彼のようにベッドに飛び降りたり、窓から飛び出したりしてよく骨折していた、と話していた伊達男のエイジーダグラス・フェアバンクスとは、どこかの銀行の偉い人のような名前ですが、『バグダッドの盗賊』(1924年/監督:ラオール・ウォルシュ)などで有名な100年前のファンタジー・冒険活劇の大スターです。私も断片的にしか映像を見たことがありませんが、ちょっとエッチなおじさん風。子どもに戻って上半身裸にマントを羽織ったエイジー(イヴァン・リチャーズ)の姿は、彼の映画のまねなのです。
 ところが、ほかのお年寄りたちが元の老いた姿に戻っても、エイジーだけは子どものままです。みんなが辛い人生を繰り返すのは嫌だと言ったのに、彼だけは自分は幸福だったと言って本当に窓から飛び出して消えてしまうのです。
 この物語が、お年寄りたちが子どもの心を思い出して生き生きと若返ったという終わり方だったら、ごく普通の寓話ですが、エイジーだけがどこかへ消えてしまったという謎めいたところが『トワイライトゾーン』ならでは。
 そしてこのエピソードにはまた別のオチが待っています。それはぜひご自分で見て確かめてください。

 子どもの頃怖がりだったので、逆に妹たちを怖がらせて楽しんでいたというスピルバーグ監督(注)、子どもを生き生きと描くことにおいては彼の右に出る人はいないのではないでしょうか。
 缶蹴り遊びが始まると、自分も一緒に遊んでいるかのようなドキドキ感に襲われます。『E.T.』(1982年)や『インディ・ジョーンズ』シリーズや『ジュラシック・パーク』シリーズなど、スピルバーグ監督の映画に登場するたくさんの子どもたち。それらの映画を見ていても、いつの間にか自分が子どもたちの側になって驚いたり怖がったりしていることに気づきませんか? それはスピルバーグ監督自身がいつまでも子どもの心を持ち続け、子どもになって面白がっているからだと思います。このエピソードのブルームのように。
 スピルバーグは、このエピソードの監督をするのは自分だと初めから決めていたのではないでしょうか。そして、監督の若い頃の写真を見ると、消えてしまったエイジーを演じた少年俳優と、とてもよく似ているように思えるのです。

◆超次元の体験

 最後に『トワイライトゾーン』の、まだお話ししていない残り2つのエピソードについて簡単にお話しします。
 第1話は、人種差別意識の強い男が酒場でユダヤ人や黒人や東洋人の悪口をまくしたてて表に出ると、そこは第二次大戦中のナチスが占領していたフランス。彼はユダヤ人としてドイツ兵に追い詰められ、気が付くと今度は黒人としてKKK団にリンチに遭い、川に逃げ込むとそこはベトナム戦争中のベトナムで、アメリカ兵に撃たれそうになる、というもの。
 主人公を演じたビック・モローは、1960年代のTVドラマ『コンバット』でサンダース軍曹役を演じ、日本でも人気でしたが、このベトナムの場面の撮影中に事故により亡くなってしまいました。以前紹介した『ルームメイト』(1992年/監督:バーベット・シュローダー)で異常なルームメイトを演じたジェニファー・ジェイソン・リーは、彼の娘です。
 第3話は、車で一人旅をしていた女性が男の子の自転車に車をぶつけ、家に送っていくと、男の子は超能力の持ち主で、家族を支配して姉をアニメの中に閉じ込めたりしてしまう話。
 男の子の家でみんなが見ているTVも、1960年代の日本でおなじみだった『ヘッケルとジャッケル』などのアニメ。この映画が1960年代のTV番組を土台に構成されているということがそれらによって再度浮かび上がり、タイムスリップしたような感覚、と言うより、トワイライトゾーンの扉を開けてしまったような感覚に襲われます。

 最新版『トワイライトゾーン』は2019年から2020年にアメリカでネット配信が開始され、リリースの方法も物語の内容も現代風にアップデート。我が家では『トワイライトゾーン』よりもう少しオカルト色の強かった『世にも不思議な物語』(原題:One Step Beyond)を好んでいたのですが、どちらも今ではネットやソフトなど、多様な方法で好きな時に見ることができるようになりました。こんな時代が来ようとは、あの当時思いもしなかったなあ・・・。

 

(注)『スピルバーグ!』(TVドキュメンタリー/2017年/監督:スーザン・レイシー)より」

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予告編 次回4月6日(土)公開予定

「この映画、猫が出てます」をご愛読いただきありがとうございます。

次回の作品は

トワイライトゾーン 超次元の体験』より 第2話
 (1984年/アメリカ/
  監督:スティーヴン・スピルバーグ

老人ホームに最近やって来た男、真夜中に缶蹴りをやろうと入居者たちを誘い出すが・・・

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稲妻(1952年)

父の違う兄姉と、母との愛憎に悩む若い清子。2024年3月に生誕100年の高峰秀子が光沢を放つ小品。

 

  製作:1952年
  製作国:日本 
  日本公開:1952年
  監督:成瀬巳喜男
  出演:高峰秀子浦辺粂子、小沢栄(芸名は小沢栄太郎など、何度か変更)、三浦光子、
     村田知英子、丸山修 他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    光子が拾う子猫
  名前:チビ
  色柄:白にキジブチ?(モノクロのため推定)


◆煙のように消えて

 この映画の主役の高峰秀子は今年2024年3月27日で生誕100年。芸能生活を50年続けた彼女が猫と出ている映画はいくつかあり、どれを取り上げるか迷いましたが、記念の年にふさわしいのは主演のこの作品、と『稲妻』を選びました。
 国内外、男女を問わず、その人そのものを好きという俳優は私には特にないのですが、高峰秀子には特別な気持ちを抱いています。
 勤めていた職場を去る直前、ちょっとしたことがあり、私は「自分のことは煙のように消えたと思ってほしい」と言いました。溜まっていたものがあったのです。
 そう言ってから何日か後の勤務の帰り、本屋で何気なく棚に目をやると『煙のようになって消えていきたいの』という書名が目に飛び込んできてぎょっとしました。手に取ってみると、それは高峰秀子と映画監督・脚本家の松山善三夫妻の養女になった斎藤明美氏が「高峰秀子が遺した言葉」という副題を付けて出した本でした(注1)。一人の味方を得たような気がして、迷いもせずこの本を買って帰りました。
 そこに綴られていたのは、高峰秀子の、養母との間の凄絶な闘いや、生きる姿勢を物語るエピソード。毅然とし、甘えのない女の姿がそこにありました。
 斎藤氏は同書で、「煙のようになって消えていきたいの」という言葉を確かに高峰秀子から聞いたが、いつどこでどんな風に聞いたかがどうしても思い出せない、としたためています。
 以来、高峰秀子は私にとって特別な俳優となり、出演作を見るときは襟を正すような気持ちになるのです。

◆あらすじ

 東京でバスガイドをしている清子(高峰秀子)は数え年23歳、母親(浦辺粂子)は同じだがすべて父が異なる四人きょうだいの末っ子だった。失業中の兄・嘉助(丸山修)が母と実家で同居し、清子は洋品店を営む下の姉の光子(三浦光子)夫婦の家に住んでいた。上の姉の縫(ぬい/村田知英子)は、夫(植村謙二郎)と商売をしているが、競馬や株に手を出しては失敗する夫とうまく行っていない。その縫が清子の見合相手としてパン屋を営む35歳の綱吉(つなきち/小沢栄)を紹介する。清子は気に入らなかったが、綱吉は清子を気に入った。綱吉は儲かる仕事を見つけては商売を広げていくやり手で、実は縫自身がベタベタしていた。
 そんなある日、下の姉の光子の夫が外出中に急死する。しばらくすると夫の愛人だった女性(中北千枝子)が夫の子どもを連れて現れる。愛人も、母、兄、縫、縫の夫も、光子の夫の保険金を目当てに光子にたかっていく。
 清子は縫や兄は好きではなく、母は不幸だと思っていた。光子とは気が合っていたが、その光子も店をたたんで綱吉の商売を手伝うようになると変わっていく。家族は羽振りの良い綱吉に群がっていき、あげくにいさかいになった。縫は夫を捨てて綱吉のもとに走る。
 そんな家族と距離を置こうと清子は一人暮らしを始める。品のいい家主(瀧花久子)、お隣の兄妹(根上淳香川京子)、自分の家族とは異なる彼らの清新さに、清子は憧れと引け目を感じずにはいられなかった。
 光子は喫茶店を開店するが、そこも綱吉が世話をしており、怪しい仲になっていた二人に清子は愕然とする。
 そんなある日、清子の部屋に母が訪ねて来る・・・。

◆やさしく愛して

 夫が出かけたまま帰ってこないと心配した下の姉の光子。洋品店の店番を清子に頼んで外に出てみると、ノラの子猫に出会います。それがこの映画の猫「チビ」。光子はそのまま子猫を連れて帰ったようで、翌朝、店の商品の上を子猫が踏んで歩く姿にショットが切り替わります。朝になっても帰らない夫を心配する光子に、清子は観光バスで東京中探してあげるわよと冗談を言いながら子猫の首元をつまみ上げ、ポンと部屋に放って出勤します。
 電話が家庭にはあまり普及していなかった時代とは言え、家を空けたことのなかった夫が一晩帰ってこなかったのにじっと待っているだけとは悠長に感じますが、清子はこの少し前、光子の夫が愛人と一緒にいるところをバスから見かけていたので、女のところにいるのだろうと思っていたのかもしれません。実際は外出中に脳溢血で亡くなっていたのですが。
 高峰秀子は『宗方姉妹』(1950年/監督:小津安二郎)のときも猫をポンポン放り投げ、あまり猫をかわいいと思っているようには見えません。嫌いだったのか、アレルギーでもあったのか。
 既に翌朝にはチビと名付けられていたこの猫、光子が洋品店をたたみ、清子と共に母の住む実家に移るときにバスケットに入れて連れて来られます。母の浦辺粂子が膝に乗せたり、兄の丸山修が抱いたり、光子の三浦光子がなでたり、どれも猫愛が画面から伝わるのですが、高峰秀子が「この猫、人間の言葉がわかるのよ」と抱き上げたときはドキッと身構えてしまいました。ただ、この映画で高峰秀子は、ブドウを食べるシーンでもブドウの皮をすっぱい、すっぱいと、まるで仇のようにポイポイ捨てます。
 チビは、光子が拾う15分30秒過ぎ頃から、清子が家を出て一人暮らしを始める前までの40分間ほどの間に何度も登場します。村田知英子の縫とは、光子の夫の葬儀に出す料理の支度をしている縫の着物の裾にじゃれついて「うるさいね」と足蹴にされるというからみが一箇所あります。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆イジワルジイサン

 高峰秀子(愛称:デコちゃん)は、1929年、5歳のときにたまたま見学に行った松竹蒲田撮影所でオーディションに飛び入り参加し合格。以来50年、映画を中心に活躍し、スパッと引退しています。幼いときから映画撮影に明け暮れてほとんど小学校にも通えず、九九もできなかったといいますが、自伝にあたる『わたしの渡世日記(上)(下)』(注2)をはじめとする多数の著書、大臣から作り直せとまで言われた映画『東京オリンピック』(1965年)の市川崑監督への擁護など、自負心を盾に視線を高く生き、自らの意見をはっきり述べてきた人だったと思います。
 松竹での子役時代の高峰秀子は、成瀬監督や小津安二郎監督の作品にクレジットなしで、ときには男の子として出演していることがあり、あの子は高峰秀子ではないかと思うものの確かめられない作品もあります。『わたしの渡世日記(上)』によれば『マダムと女房』(1931年/監督:五所平之助)の田中絹代の娘の役は高峰秀子だそうです(※)。
 高峰秀子自身が大人になってから成瀬監督に自分はどんな子どもだったかと聞いたところ、「こましゃくれて、イヤな子だった、フフフ」と返されたとか。それ以来、高峰秀子は成瀬監督を「イジワルジイサン」と呼んでいたそうです(注3)。
 戦時体制下の10代には『綴方教室』(1938年/監督:山本嘉次郎)『馬』(1941年/監督:山本嘉次郎)『秀子の車掌さん』(1941年/監督:成瀬巳喜男)などで、素朴で健気で逞しさのある少女を演じています。時代の求める少女像だったのでしょう。『馬』のときに助監督だった黒澤明と恋をしたものの、高峰秀子の養母にその仲を引き裂かれたというエピソードをご存知の方も多いかと思います。
 戦後、大人になってからは『銀座カンカン娘』(服部良一作曲)の歌で大ヒット、同映画(1949年/監督:島耕二)でブギの女王笠置シヅ子と共演。歌と踊り(ストリッパー役)の『カルメン故郷に帰る』(1951年)や『二十四の瞳』(1954年)などの木下恵介監督とのコンビでも有名ですね。
 彼女が成人してから初めて出演した成瀬監督作品がこの『稲妻』。これ以降の「イジワルジイサン」作品の半分以上に高峰秀子はほとんど主役として出演し、代表作『浮雲』(1955年)をはじめとする名コンビとしてこちらもよく知られています。ただ、よく猫が登場してきた成瀬映画なのに、高峰秀子の主演作品には(全部を見たわけではありませんが)猫が見当たらなくなってしまったようなのですが・・・。

◆近親憎悪

 『稲妻』は林芙美子の原作。90分に満たない映画の尺から短編なのではないかと思いましたが、『放浪記』と同じくらいのボリュームです。
 母は誰とも結婚せずに4人の子どもを生んでいます。そんな母と、気が強く金儲けや男に抜け目のない縫、戦争帰りでぶらぶらしている嘉助、気が弱い光子、清子、それぞれが血縁という切っても切れない絆につながったまま、お金をめぐるゴタゴタ、綱吉と縫夫婦の三角関係、姉たちの綱吉の取り合いというカオスに巻きこまれます。そんな家族と、清子との葛藤がストーリーの柱です。
 清子の、若者らしく清らかで美しいものに憧れる気持ちは外の人々に向けられます。実家の2階を借りていた女性が、アルバイトに精を出しながらお母さんの形見のレコードを手放さず、文学全集や絵を部屋に置き、心の贅沢が必要なのだときっぱりと清貧を受け入れる姿。清子が借りた部屋の家主の老婦人が、亡き夫の命日に手づくりのそばを打ってお供えする姿。隣の家の、ピアニストを目指す妹の手を大事にしたいと自分が洗濯をし、妹にピアノを習うお兄さん。仲の良い兄妹。
 けれども、そんな人たちを見ていると、自分たちきょうだいすべて父が違うこと、そのきょうだいが色と欲でいがみ合う醜さ、姉たちを見て女が損をするだけとしか思えない結婚など、前を向くことのできない苛立ちが清子を襲うのです。
 そんなとき、光子が来ているのでは、と清子の部屋を訪れる母。清子の感情はたかぶり、言い争いが始まります。けれども映画は不思議な終わり方をします。

◆開かれた結末

 「お母ちゃんはなぜ四人きょうだいを一人のお父さんから生んでくれなかったの」
「わたし、生まれて一度だって幸福だなんて思ったことない」と泣く清子。
 今さら覆すことのできない事実を責められて「あたしが今日までどんなに苦労してお前たちを育ててきたか」「母ちゃんだって子どもを不幸にしようと思って生みゃあしないよ」と大泣きする母。
 夏の終わり、空に稲妻が光り、二人は泣くだけ泣くと憑き物が落ちたようになります。
 よくある青春映画のように、清子と隣のお兄さんとの恋の成就や、清子が自分は自分とバスガイドとして自立を目指す、などの未来への展望をにおわせる終わり方をこの映画はしません。子どもらの不行状をしょいこんで、なおも子どもの心配をする母。そんな母のありのままを清子は受けとめるのです。生んでくれなければよかったとまで言った清子のそんな心境の変化を、映画は掘り下げてはいません。
 縫の夫が母の夏物をみんな質入れしてしまい、季節はずれの着物を着ている母に、清子は売れ残りの浴衣を買ってあげると、夜道を送っていく場面で映画は幕を閉じます。

 結論や解決の示されないこのような終わり方に、釈然としない人も多いかと思います。けれども、家族との心の関係は、潮の満ち引きのように絶えず流動しているのではないでしょうか。清子は母をダメだと思う、けれどもそのダメさをひっくるめて母として今は受け入れた――だからと言ってこの先もずっとそうとは限らない。そんな微妙な綱渡りの綱の上を歩いているような母子の後ろ姿をラストはとらえています。それをどう受け止めるかは、その時々の見る者の心に任されているのではないかと思えます。

 演技の域を超えた浦辺粂子の母の愚かさと可笑しさ、小沢栄の綱吉の毛穴からにじみ出るような厭らしさ。
 成瀬巳喜男監督は高峰秀子を使って白バックだけの映画を作ってみたいと言っていたそうです(注4)。成瀬監督がどんな構想を抱いていたのか、それを実現する前に成瀬監督は他界してしまいました。『腰辨頑張れ』(1931年)で見せた意外なアヴァンギャルドな一面がまた見られたのではないかと、残念に思います。
 実家の2階を借りていた女性のレコードと、隣の兄妹が弾くピアノの曲は『稲妻』のテーマ曲。作曲は斎藤一郎。成瀬監督作品の音楽を多く手掛けたほか、小津安二郎監督の『宗方姉妹』や『長屋紳士録』(1947年)、溝口健二監督の『西鶴一代女』(1952年)など、数多くの日本映画を彩る流麗で気品ある調べにきっと皆様も耳を傾けたことがあるでしょう。

 

(注1)『煙のようになって消えていきたいの 高峰秀子が遺した言葉』
     (斎藤明美/PHP研究所/2018年)
(注2)『わたしの渡世日記(上)(下)』(高峰秀子/文春文庫/1998年)
(注3、4)『前掲書(下)』より

 

※(2024.04.13追記)
『煙のようになって消えていきたいの 高峰秀子が遺した言葉』によれば、田中絹代の娘役は市川美津子とのことです。
高峰秀子は途中まで撮影していたものの、主役の女房が八雲恵美子から田中絹代に途中交代、高峰秀子では田中絹代の娘としては大きすぎたため、市川美津子に代わったそうです。

 

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