この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

HANA-BI

妻の病、子どもの死、部下や同僚の殉職と負傷・・・。刑事の西は次第にバランスを失っていく。


  製作:1997年
  製作国:日本
  日本公開:1998年
  監督:北野武
  出演:ビートたけし、岸本加世子、大杉漣寺島進、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    お寺にたむろする猫たち
  名前:なし
  色柄:キジ、茶白、キジ白、白黒など、のべ8匹


◆メリークリスマス

 映画監督・北野武は知っていても、漫才師・ツービート時代のビートたけしを見たことがない若い人もいらっしゃるかもしれません。両方をまとめて「たけし」という呼び方をさせていただければ、私にとって「たけしと映画」の最初の記憶は、大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』(1983年)。「メリークリスマス、ミスター・ローレンス」と呼びかけるたけしの演じたハラ軍曹、笑顔なのですが、目が笑っていません。自分の自然な心を隠し、相手に微笑んでみせる――「欧米人から見た日本人の謎の微笑みとはこれなのか」と思わせる顔でした。
 『HANA-BI』は北野武監督としての7作目。1997年ヴェネツィア国際映画祭での金獅子賞ほか、多数の賞を受賞しています。

◆あらすじ

 拳銃を持った凶悪犯を張込み中の刑事の西(北野武)には、回復の見込みのない病の妻(岸本加世子)がいた。張込み現場近くに妻の病院があり、同僚の堀部(大杉漣)や部下が西に面会に行くよう勧め、西が現場を離れている間に堀部が銃で撃たれてしまう。一報で駆け付けた西の目の前で、さらに部下の田中(芦川誠)が犯人に銃で撃たれ殉職する。西は犯人に発砲し、犯人が死んでしまったのに弾がなくなるまで撃ち続ける。
 堀部は車椅子生活となって妻と子が去ってしまい、自殺を図るが未遂に終わる。西の妻は病院でも手の施しようがないため自宅に戻ってきた。
 西は刑事をやめ、殉職した田中の妻に仕送りをしたり、堀部が気力を取り戻すよう絵の道具を送ったりしていたが、その金はヤクザから借金したものだった。返済が滞って脅された西は、警察官を装って銀行強盗を働く。ヤクザに金を返し、妻を連れて車で二人きりの旅に出るがヤクザは西をつけ回し・・・。

◆お寺の猫

 都会の街中では猫と出会うことが少なくなったと以前書きましたが、比較的よく出会える場所は神社やお寺です。東京には縁結びで有名な大きな二体の招き猫がある今戸神社や、彦根藩主・井伊直孝を雨宿りに招いたという招き猫伝説の豪徳寺など有名な猫スポットもありますが、特に名もない神社やお寺でも、ふと立ち寄るとその境内をわがもの顔に歩く猫や、階(きざはし)で丸くなって寝ている猫に出会ったりします。どういうわけかこういう場で猫は隅っこにいることは少なく、賽銭箱の前などのど真ん中で寝ていることがあって、猫が拝まれているように見えるところがほほえましいです。
 『HANA-BI』の猫は、猫のいるお寺として有名になった鎌倉のさるお寺の猫たちです。映画の中では、西が妻と旅の途中で立ち寄った架空の町の寺という設定になっていて、その山門の周辺で自由に過ごしている猫たちの姿がカメラに捉えられています。昔々、私が若かりし頃にそこに行ったときにはまだ猫の姿は見られませんでしたが、この映画の公開より後に猫のいる寺と評判になったことを知らずに訪れたときには、私を喜ばせるだけの姿がありました。
 猫名所は人が集まりすぎて弊害が出ているところもあると聞きます。訪れる人はエサをやって周辺を汚したり、写真を撮るために植え込みや建造物に立ち入ったりせず、いつまでも猫が平和にのんびりできる場所として見守ってあげてほしいと思います。

  ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

      

◆キレた刑事

 この映画、どこかでこんな映画やドラマを見たことがある、と思わせるものです。仕事に追われ最愛の人々のために何もしてやることができないというのは刑事ものの定番。野村芳太郎監督の『張込み』(1958年)では若い刑事(大木実)が恋人と別れる寸前まで行ってしまう。ピエトロ・ジェルミの『刑事』(1959年)の主人公は、電話だけで登場する恋人とのデートを捜査のため再三すっぽかさざるを得ない刑事。内田吐夢監督の『飢餓海峡』(1964年)の元刑事の弓坂(伴淳三郎)は、刑事をやめさせられたあと妻子に何一つしてやれないギリギリの貧しい生活。そんな境遇にあっても悪を憎むヒューマニティと使命感と誇りが彼らを支えている、と描かれるのもまた常道。けれども、『HANA-BI』の西は、それを突き抜け、キレてしまった男です。その暴力描写が北野監督の個性です。
 原因は描かれていないものの、子どもが死んだあとほとんど口をきけなくなってしまった妻の治る見込みのない病、そんな妻をなかなか見舞いにも行けないこと、仲の良い同僚の堀部が撃たれて下半身不随になり妻子が去っていったこと、部下の田中が殉職し若い妻と子が残されたこと・・・立て続けの不幸のあと、西には刑事など割に合わないという絶望感が生まれたのでしょう。銀行強盗をして金を奪うだけだったら、モデルガンがあればできるはずです。それをわざわざ偽装パトカーを作り警官の格好をして犯行に及んだりすることで、刑事警察という生業(なりわい)を否定し、憎み、踏みつけにするパフォーマンスを西は演じてみせます。

◆毒ガスだ!

 この映画に時々挿入されるギャグには「不意打ち」が見えます。
 張込みの準備に入ろうとした西の足元に、近所の板前の二人組が休憩中なのか、キャッチボール中にそらしたボールが転がってきます。それを拾い上げた西はピッチャー張りの投球フォーム。板前の一人が「よし」とキャッチャーのように座って構えていると、西はわざととんでもない方向にボールを投げてしまいます。相手の板前たち以上に観客の力がどっと抜けてしまいます。
 また、ラスト近く、浜辺で子どもの凧揚げを手伝った西が、糸巻を持った子どもが走り出して、凧から手を離すべきタイミングでわざと凧を持ち続け、こわしてしまいます。こうした観客の期待と読みを瞬時に裏切る不意打ちのギャグ、同じ北野監督の『ソナチネ』(1993年)では、文字通り「落とし穴」が出てきます(『HANA-BI』でも妻が雪にはまってしまうという場面がありました)。観客サービスのために笑いを提供しているのではなく、まさに観客が落とし穴に引っかかるのを見て自分が笑っているかのような、毒を含んだ意地悪な笑いです。
 『HANA-BI』では北野監督自身が描いた印象的な絵がふんだんに登場します。明るい色彩なのですが、動物の頭部が花になっていたり、雪の降り積もった中に血のような赤で「自決」という文字が書き込まれていたり、穏やかでない要素がたびたび露出します。北野監督の持つ毒素がここにも顔を出しています。彼の映画に特徴的な暴力は彼の攻撃性のストレートな表現、毒を含んだギャグや映像は攻撃性の一種の変形であると思います。

◆映像の言葉

 ほとんどセリフらしいセリフをしゃべらない主人公の西。出づっぱりに近いのに、うん、とか、いいよ、とか、日常会話の二言三言程度です。一番複雑なセリフは「今度会ったら殺すって言ったろ」。
 『HANA-BI』では西がいま目の前にいる相手に関連する記憶が映像でフラッシュバックされ、現在起きていることなのかと初めのうち混乱したりしますが、何度か繰り返されるうちに慣れてきます。誰かのモノローグや画面外からのナレーション、わざとらしいセリフで説明したくない、映像からくみ取ってほしいという思いが感じられます。それが極端に少ないセリフの理由でしょう。前回の『ロング・グッドバイ』(1974年/監督:ロバート・アルトマン)のときに触れた『三つ数えろ』(1946年/監督:ハワード・ホークス)のような、セリフが主体の映画と見比べてみると映画としての違いは歴然としています。
 いま若い世代では配信などで映画を見るとき気になるシーンだけ普通の速度で見て、次の気になるシーンまで早送りで飛ばすとか、最初から最後まで倍速視聴という見方をする人が多いようですが、『三つ数えろ』のようなセリフを逐一押さえなければストーリーがわからない映画では、おそらくそういう見方はできないと思います。一方、『HANA-BI』は、こういう言い方も変ですが、倍速視聴に向いた映画ではないでしょうか。

◆音の言葉

 倍速視聴の最大の被害者(?)は音楽でしょう。物語世界を間接的に支える音楽は、時には映画そのものよりも強い印象を残すことがありますが、早送りでは音楽や効果音はあってもなくても関係なくなってしまいます。
 『HANA-BI』の音楽はジブリのアニメの音楽などでもファンの多い久石譲。彼ならではの美しいメロディー、特にラストシーンを風景と共に抒情的に盛り上げていますが、この音楽は北野武監督の本質的に持つ毒を無毒化してしまっているように思います。西は、妻や同僚や部下やその家族にまで優しい思いやりを示す反面、切れると恐ろしい暴力性を示す男。その一人の男の中に存在する落差がラストの西の選んだ結論につながっていると思うのですが、音楽によって少しきれいな方向に傾きすぎたのではないでしょうか。もう少し後味がザラザラしていてもいいように思います。
 西の妻は西以上にセリフが少なく、笑い声以外一言も言葉を発しないのですが、最後の最後に「ありがとう」「ごめんね」というセリフを発します。最愛の人に最後のとき言葉を残すとしたら、この二つしかないかもしれない、と思いながら見ていたら不覚にも泣けてきました。やはりあの音楽が泣かせにいっているのでは、それはちょっと違うぞ、と思いながら・・・。


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