預けた猫が大脱走? 人々の調子っぱずれのハーモニーが響く、パリの下町、まろやかコメディ。
製作:1996年
製作国:フランス
日本公開:1996年
監督:セドリック・クラピッシュ
出演:ギャランス・クラヴェル、ジヌディーヌ・スアレム、オリヴィエ・ピイ、
ルネ・ル・カルム 他
レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆☆☆(主役級)
主人公の飼い猫
名前:グリグリ
色柄:背中に白い斑点のある(?)黒猫
その他の猫:すれ違った女性が抱いているサビ猫
マダム・ルネの部屋のキジトラ、サイアミーズ(シャム)、キジ白など
夢の中のキャットシェルターの猫15匹
◆大脱走
このブログ開始以来3度目の猫の日。前2回は高齢の男性と猫の関係を描く『ハリーとトント』(1974年/監督:ポール・マザースキー)『まあだだよ』(1993年/監督:黒澤明)でしたが、今回は若い女性が主人公。気が付けば3本とも猫が逃げたり姿を消したりしてしまう映画です。
猫の失踪はありふれた、しかし飼い主にとってはその死にも等しい悲痛な出来事。『肖像』(1948年/監督:木下恵介)、『ロング・グッドバイ』(1972年/監督:ロバート・アルトマン)、『ねことじいちゃん』(2018年/監督:岩合光昭)、『アンネの日記』(1959年/監督:ジョージ・スティーヴンス)、『胡同のひまわり』(2005年/監督:チャン・ヤン)、『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』(2014年/監督:ロジャー・スポティスウッド)など、このブログでいままで紹介した作品でも猫は長期短期にわたり出奔し、人間の心を千々に乱しています。猫が家出する理由を解明して、いなくならない方法を講じてくれる学者が出ればノーベル平和賞は間違いないでしょう。
さて、この映画の猫の失踪の原因は人為的ミスのようですが・・・。
◆あらすじ
パリに住むメイクアップアーティストのクロエ(ギャランス・クラヴェル)は、3年ぶりに夏の休暇が取れることになった。けれども愛猫のグリグリを預かってくれる人が見つからず、人づてに近所の猫好きばあさんのマダム・ルネ(ルネ・ル・カルム)を紹介してもらい、ようやく出発する。
ところが帰ってくると、マダム・ルネはグリグリが3、4日前に台所の窓を開けておいたら逃げてしまったと言う。クロエはルームシェアしているゲイのミシェル(オリヴィエ・ピイ)や、猫好きばあさんのネットワークで紹介された40代くらいの男性・ジャメル(ジヌディーヌ・スアレム)と三人で手分けして迷い猫のチラシを貼って歩く。ジャメルはちょっと発達の遅れがあるのか子どものようにピュアだったが、クロエを好きになったようで、熱心に猫捜しを手伝ってくれた。
不器用なクロエには恋人がない。めったに着ないスカートでバーに出かけたら、嫌な男に言い寄られ、ついでに女性にも迫られ、疲れてしまう。クロエがそんなことをしている間も、ジャメルは夜の路地を回ったり、屋根に登って落ちそうになったりしてまでグリグリを捜して歩いていた。
そんなときクロエはいつもドラムを叩いて近所中の迷惑になっているドラマーの男を街で見かけ、積極的に近寄ってベッドを共にする。けれどもほかに恋人がいることがわかって再び落ち込む。
そうこうしているうちにマダム・ルネが病気になった。クロエはジャメルと一緒にマダム・ルネの家を訪れる。マダム・ルネはグリグリがいなくなったのを気に病んで、風邪をひいて寝込んでしまっていたのだが・・・。
◆猫受難
長期間旅行に行く、あるいは災害時の避難所生活などで問題になるのがペットの存在です。先日の能登半島地震でも、ペットがいるからと避難所に行かず、壊れた家や車の中で寝泊まりする飼い主さんの様子をニュースで拝見しました。中には火災で亡くなってしまった人も。心が折れそうになるときだからこそ、愛するペットがそばにいることが慰めになるはず。ペットと一緒に避難できる場所や、ボランティアによる逃げたペットの保護の様子も報道され、繰り返される災害を教訓に対策も少しずつ進んでいるようです。
今年2024年からフランスではペットショップでの生体販売は禁じられたそうです。その背景に長期のバカンスシーズンに捨てられるペットの数が急増する、という事情があるそうですが、コロナによる巣ごもりの影響でペットを飼う人が増え、さらにその数が増しているとも聞きます。
この映画の主人公のクロエは、ルームシェアしているゲイのミシェルにグリグリを頼もうとしましたが、ミシェルは「行きがけに捨てていけ」「ゴミ袋に入れて高速道路の脇に捨てろ」と、恋人と別れたばかりで気が立っていたとはいえ血も涙もない。
そういう人がいるかと思えば、マダム・ルネはこの時期のそんなペットたちを個人的に引き受けてくれる気のいいおばあさん。例によって偏屈な老婦人のようです。そしてお年寄りにありがちなぼんやりミスにより、グリグリが脱走。けれども強力な猫ばあさんネットワークによって、その情報はただちに各地区担当者に共有されます。夜も探した方がいいとクロエにアドバイスし、護衛にとジャメルを紹介したのも猫ばあさんネットワーク。日本と同じように下町にはこうした人情があるのですね。
グリグリの「グリ」とはグレーのことですが、グリグリは黒猫。クロエは、グリグリの特徴として黒猫で背中に1ヶ所白い斑点がある、と説明しますが、グリグリがクロエとソファでくつろいでいる場面を見ると、白い斑点は見当たりません。黒くつやつやしたグリグリは赤いソファに美しく映えています。
グリグリの初登場は開始から4分少し過ぎ。ほかにもところどころ別の猫が登場し、57分過ぎ頃のクロエの夢の中のキャットシェルターには、ミケ、トラなど15匹もの猫がゆったりと過ごしています。グリグリを演じた黒猫はアラピムーという名前。
65分過ぎに、グリグリではないかと黒猫の死骸を猫ばあさんたちとクロエが見に行くシーンがありますので、こうした映像が苦手な方はご注意ください。この猫は幸いグリグリではありませんでしたが、いつものことながらこの死骸をどうやって調達したのかが気になります。
◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆
◆これが現実だ
主人公の仕事場はファッション写真の撮影現場、同居人のミシェルはポップアートのインテリア小物の製作者、と、カラフルでおしゃれ感のある映像、古い建物が解体されて行くパリの場末の裏通り、マイペースな登場人物。フランス映画らしい、裏を返せば、少々ふわふわととらえどころのない作品です。見せ場やゴールがきっちり存在するハリウッド式映画が好きな人からは、どこがおもしろいのかわからない、と言われそうです。
携帯電話も普及していない20世紀末の若者の仕事と恋愛事情。20代後半と見える主人公のクロエはやせっぽちで、感じが悪いわけではないのですが、若い女性らしいピチピチとはじけたところがありません。マダム・ルネがほかの猫ばあさんたちにクロエのことを説明したときも「顔が青白い、いつもジーパンにセーター」と、色気がないと言わんばかりです。
クロエがゲイのミシェルとルームシェアしているというのも楽だからでしょう。異性と暮らす面倒も女同士の対抗意識も感じずに済みますから。メイクアップアーティストとしてもバリバリとはいかず、スタイリストたちからしょっちゅう文句を言われたり、同僚と噛み合わなかったり。恋人がほしいのにできない、出会いがない。外で働くことが当たり前になった1990年代の女性たちの、頑張っていてもこれと言ってパッとしたことが何一つない日常が見えます。
定番の自分へのご褒美は日ごろのウサを忘れる非日常の体験、休暇、旅行。けれどもこの映画は、クロエが休暇に出発する駅のカットと帰って来た駅のカットの間に彼女がどこかの海でマジに泳いでいる2秒ほどのカットが入るだけで、夢のバカンス体験などあっさり省略、意地悪なくらい彼女が日常・現実からはみ出ることを許しません。
◆人が集まる
預けたグリグリが姿を消してしまったことがこの映画の最大の事件ですが、クロエはもともと心配性っぽい顔つきなので、グリグリがいなくなったことをそんなに苦しんでいるようには見えません。『まあだだよ』の先生が、猫がいなくなって憔悴しきり、黒澤監督流メイクアップで顔中クマを作って半病人のようになってしまったのとはずいぶん違います。けれども、クラピッシュ監督の狙いは、グリグリがいなくなったためにクロエに起きた人間的苦悩を描くことではなく、猫の捜索にかかわる人たちの群像を描くことにあります。
ゲイのミシェルは、グリグリを捨てろと言ったばかりか、迷い猫のチラシを持て余してゴミ箱に捨てようとしたり、心配するクロエを即興の猫の歌でからかったり、クロエに無断で恋人を同居させたりしてしまうなど極めてマイペース。
グリグリを逃がしてしまったマダム・ルネはどこかネジがゆるんでいるように見えますが、猫ばあさんたちを仕切って小さい体でヨッコラ歩いて猫捜しに出かけ、責任を感じている模様。猫ばあさんたちも、猫の友協会の会長もいれば、寂しくて人と話がしたいだけの老婦人とか、人それぞれ。
顔も含めて何ともおかしみがあるのが準主役の中年男のジャメル。精神的には小中学生くらいの感じでしょうか。パンチパーマにテラテラしたジャンパー、田舎のヤンキーのような格好で猫ばあさんの買い物代行など、自分に合った仕事を一生懸命こなす純なところがかわいい。グリグリだと思って別の猫を屋根まで追いかけて落ちそうになり、消防員に救出されたのをカフェに集まった知り合いたちに笑い話のネタにされ、デコピンされたりしてめそめそ泣いてしまいます。こんな子、私の同級生にもいたよなあ。〇十年ぶりの同窓会で再会したとき、帰りに私を駅まで送ってくれたっけ。
◆猫そっちのけ
グリグリ捜しをきっかけに近隣の人たちとの結びつきが生まれてくるクロエですが、やっぱりフランス映画だ、ここがわからん、と思うのが、町でときどきすれ違う程度に顔を知っていて関心のあったドラマーの軽っぽい青年に自分から近づき、そのままベッド・インしてしまうところ。『ラ・ブーム』(1980年/監督:クロード・ピノトー)の主人公のフランスの中学生ヴィックと同様の軽率な行動がまたここに・・・。お尻ペンペンだ!
これもやっぱり日常なのね、フランスでは・・・? とは思うものの、愛する猫がいなくなったら『まあだだよ』の先生じゃないけれど、しばらくはごはんものどを通らないはず。なのによく知らない異性をハンティングしたりして、そんなエネルギーがどこにあるのだ!? 抑うつ状態のときは性欲は減退するはずだ!
そんな猫美人の昭和日本の感覚を軽々と飛び越えるクロエ。と思っていたら相手の男に彼女がいるとわかると途端に顔面蒼白。・・・だから言ったのに。
◆そう、これがパリ
グリグリは灯台下暗しとも言うべき場所で見つかります。そして、グリグリ捜しには、さして協力的でなかった男性とクロエが急速に接近、結び付くのです。この二つの事象はメーテルリンクの童話『青い鳥』さながら、「幸せは気付かないほど身近にある」という教訓でしょうか?
グリグリが見つかったことではしゃいでいるのか、カップル誕生のお祝い気分か、猫ばあさんネットワークのメンバーや近所の人々が、たまり場のカフェに集まってシャンソン「サ・セ・パリ(そう、これがパリ)」を大合唱。そういえば彼らは単身男女ばかりで、映画に家族の風景はありません。束縛のない「個人」同士がゆるやかにつながって、猫を捜したり歌ったり・・・。
あれだけクロエに尽くしたのに相手にしてもらえなかったジャメル。店の隅で「人生は不公平だ」と嘆く彼のセリフに同情を寄せながら、笑顔で軽やかに走って行くラストのクロエの姿を私も見つめるのでした。
そう、これがパリなのか! フランス映画なのか!
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