この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

時代屋の女房

物にも人にも過去がある。古道具屋の「時代屋」に転がり込んだ真弓とあるじの安さんの、奇妙で切ないラブストーリー。

 

  製作:1983年
  製作国:日本 
  日本公開:1983年
  監督:森﨑 東(あずま)
  出演:渡瀬恒彦夏目雅子津川雅彦大坂志郎沖田浩之、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    時代屋の猫
  名前:アブサン
  色柄:長毛の三毛


◆怒劇の非怒劇

 猫が出る映画を見たら教えてほしいと人に声をかけていると、よく挙げてもらえるのがこの『時代屋の女房』です。銀色の日傘をくるくる回しながら、夏目雅子演じる真弓が猫を抱いて現れるショット、この2年後に27歳で病気で亡くなったことがウソのような笑顔です。

 監督の森﨑東は山田洋次と共同脚本を多く手掛け、映画『男はつらいよ』シリーズの第1作は二人の脚本。シリーズ第3作『男はつらいよ フーテンの寅』(1970年)は、森﨑東が監督しています。TVシリーズだった『男はつらいよ』は森﨑東や山田洋次らが脚本を書いていて、そろそろ終わりにしようと、寅さんがハブに噛まれて死ぬ最期にしたら抗議が殺到、映画化することになったのだそうです。
 森﨑東の監督デビュー作は『喜劇 女は度胸』(1969年)。山田洋次が原案を出し、森﨑監督自ら脚本を書いた・・・と言うより、松竹の脚本部にいた森﨑東は会長から山田洋次と一緒に呼び出され、喜劇の脚本を書けと言われてこれを書いたら、映画にするから監督をやれということになったのだとか(注1)。
 貧しい家庭の真面目な青年(河原崎健三)と、いいかげんな兄(渥美清)が、同じ女性と付き合っているのではないかと父まで巻き込み大騒動、真面目な弟は家族を恨んで激しく怒りをぶちまけます。
 そんな自分の映画を怒劇と称した森﨑東監督。人間の怒りが頂点に達し、プツンと切れたとき、それは滑稽さに転換、怒劇とは怒喜劇と言い換えることができるでしょう。森﨑監督は、喜劇こそ真実を悲劇より力強く伝達できるジャンルだと言っています(注2)。
 けれども『時代屋の女房』の主役の安さんは、ちっとも感情を表さない男です。

◆あらすじ

 東京の大井町、三ツ又交差点の歩道橋のたもとの古道具屋・時代屋の主人は、安さん(渡瀬恒彦)という35歳の独身男だった。ある夏の日、銀色の日傘をさした若い女夏目雅子)が歩道橋から降りて来て、抱いていた三毛猫を「預かって」と安さんに差し出す。女は店内を珍しそうに見回し、2階の安さんの物置兼寝室まで上がって行った。様子を見に行った安さんと女はそのまま男女の仲になる。女は真弓といい、そのまま猫と一緒に時代屋に住みついてしまった。二人は踏み込まないのが都会の流儀と、過去や身の上について互いに何も知らずにいた。
 それから半年、真弓は時々、ちょっと出て来ると留守電に録音を残して数日間家出することがあった。近くの居酒屋で安さんの飲み仲間の、喫茶店サンライズのマスター(津川雅彦)やクリーニング屋の今井さん(大坂志郎)と、いまも家出中の真弓が帰って来るだの来ないだの人妻じゃないかだのと話していると、カーリーヘアの女(夏目雅子)が店に入って来る。「女が蒸発するときは必ず男が一緒」と彼女が言うので、安さんはすこぶる不安になる。安さんはその夜、美郷(みさと)というその女を家に泊め、彼女を抱いた。
 美郷は郷里の盛岡で結婚すると言って、翌朝大井町の駅で安さんと別れる。
 その盛岡で、のぞきからくりの屋台の売り物があると真弓からサンライズのマスターのところに電話が入ったのは、美郷が泊まった夜だった。安さんはマスターと屋台のある盛岡の旅館に車を走らせる。旅館の主人の老母が、昨日真弓らしき女が男と一緒に泊まったと言うので、安さんはすっかり落ち込んでしまう。そこへ男(平田満)が「時代屋のご主人ですね」と乗り込んで来たので、安さんとマスターは、この男は真弓の夫だと首をすくめる。だが、彼は美郷の婚約者だった。盛岡に帰ったはずの美郷は、安さんが好きになって東京にとんぼ返りしてしまったのだという。結局真弓の行方はつかめなかった。

 東京に戻って来た安さんは、ときどき時代屋を覗いていた若者(沖田浩之)に真弓が体を抱かせていたことを知り、彼の口から真弓は近くの団地の主婦売春をしている人だと思っていたと聞く。安さんは団地周辺をあてどなく車でさまよう。
 そんなとき、安さんの父親が死んだ。女を作って家を出て行った父親と安さんは絶縁状態だったが、安さんの身寄りはこれで誰もいなくなった。真弓が連れて来た猫のアブサンも家出してしまっていた・・・。

◆ハスキーボイス

 公園で真弓が拾って、たまたま近くにあった時代屋に連れて来られた三毛猫。真弓はこの猫に、捨てられて鳴きすぎたせいか声がかすれていて、外国映画に出て来る喉が酒焼けした女のようだと「アブサン」と命名します。強いお酒の代名詞のアブサン。アルコール度数は平均で70%前後だそうです。
 物言わぬ古い器物に囲まれて、日がな一日隠居のような商売をしていた安さんの懐に飛び込んだアブサンと真弓。真弓という女は、いつの間にか居ついてしまった野良猫そっくり。時々フラッと出て行って、何日かして帰ってくるところも、そして別宅があって違う名前で呼ばれていて、二重生活をしているのではないかと疑われるところも猫と同じです。
 「猫がどんなとき幸せそうな顔をするかっていって、お日様の光に当たっているときくらい幸せそうな顔はないわね・・・」
原作小説にも映画にも出て来る、真弓の名言。
 アブサンは映画の初めから終わりまで、時代屋の古い品々にまじって頻繁に登場します。出過ぎず、媚びず、いい猫です。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆他人の空似

 「猫がかわいかった」「夏目雅子が見たくて見た」と話してくれる人の多いこの映画ですが、少々観客を混乱させる作りになっています。
 ストーリーの幹は、古道具屋を営んでいる安さんと事実上の女房・真弓との恋。家出してしまった飼い猫の帰りを待つ飼い主の切なさを、そのまま人間の女と男に置き換えたような物語です。その幹に、サンライズのマスターの女癖や、クリーニング屋の今井さんの若かりし頃の駆け落ちの思い出、安さんの父の愛人(朝丘雪路)の安さんへの母子相姦的な愛、真弓が体を与えて慰めた若者などの、サブとなるエピソードがつながっています。
 最も混乱をもたらすのは美郷の存在です。美郷と真弓は別人なのですが、夏目雅子が二役を演じていることも相まって、同一人物なのではないかという憶測を生んでしまうのです。
 「出かけてきます」という真弓の録音を聞いて安さんが時代屋を飛び出すと、そばのベンチに若い女が座っています。夏目雅子で、大げさなカーリーヘアにメガネと、いかにも変装臭いいでたち。そこに来たサンライズのマスターと安さんが話しているのを女がちらちら盗み見し、アブサンを抱いているので、これは真弓が家出したふりをして安さんの様子を探っているのだと思ってしまうのです。けれども、居酒屋にやって来た美郷のことを誰も真弓ではないかと怪しむ気配はないし、もし美郷が真弓なら彼女を抱いた安さんが気づかないはずはないし、どうやらこれは夏目雅子一人二役だと、一旦、美郷≠真弓に落ち着きます。
 けれども、盛岡にのぞきからくりの屋台を買い付けに行ったとき、盛岡に帰ったはずの美郷が安さんが忘れられずに東京に舞い戻ってしまったというのと、盛岡で真弓に会えなかったのとで、やっぱり美郷は真弓で、婚約者と安さんと自分が顔を合わせるのはまずいと、姿を消してしまったのではないかという想像がまたも頭を持ち上げてしまうのです。
 なぜ夏目雅子を真弓と美郷の二役にしたのか、二役にするにしても、あのいかにも変装臭い美郷の外見をもっとさりげなくできなかったのか。『喜劇 女は度胸』のような「複数の男が同じ女を相手にしていると思い込んでドタバタが起きる」というモチーフをここでも取り入れようとして、途中でやめたのでしょうか。

◆涙壺

 いくら真弓が風変わりな女でも、母を亡くして打ちひしがれていた若者を慰めるために体を与えていたというのも唐突です。沖田浩之演じる若者が安さんにそれを告白するのは、ぼんやり聞いていると何のことを言っているのかわからないような遠回しなセリフ。真弓の家出の謎を埋めるためのようなエピソードですが、真弓に対する観客のロマンを打ち砕く話です。
 猥雑な風俗を描くことが得意な森﨑監督の意図か、育ちのよさそうな夏目雅子が下品なセリフを口にしたり、のぞきからくりの「不如帰(ほととぎす)」の卑猥な替え歌(注3)に合わせて踊ったりするのも、無理している感が漂います。
 村松友視の原作小説を紐解いてみると、家出した真弓が盛岡でのぞきからくりの屋台を見つけたり、若者に体を与えたり、安さんと美郷が一夜を共にすることもありません。原作は、安さんとサンライズのマスター、クリーニング屋の今井さんたちの、男というものは女に翻弄されて生きるのが宿命なのだなぁ、とでもいうような与太話のような短編。それをふくらませようとしたときに脚本化がうまくいかなかったのではないでしょうか。実際、脚本をめぐってトラブルがあったらしいのです(注4)。
 真弓が初めて時代屋に来た日に見つけた、夫が戦場に行った妻が夫のいない間に泣いた涙をためておくという、ペルシャかトルコあたりの古美術品の涙壺。今度こそ真弓は帰ってこないのではと、安さんが自分の目に涙壺をそっと当てる――そんな断片が胸に残ります。作り手側が見せたいのはもっとあけすけな男と女の話だったのかもしれませんが、真弓像がぐにゃぐにゃしていてムードだけの映画になってしまったのは残念です。

◆終焉

 再び森﨑監督のデビュー作『喜劇 女は度胸』に話を戻すと、主人公の天敵は渥美清が演じる兄。寅さんの毒舌や気ままさはそのままに、エッチがトッピングされたキャラクター。渥美清がこの役をやらなければこの映画の監督を引き受けないと、森﨑監督は別の映画の海外ロケ出発直前の渥美清に頼み込んで、大急ぎで撮影したそうです(注5)。完成した映画を見れば森﨑監督がどうしても渥美清をと望んだ気持ちがわかるほど。けれどもその後『男はつらいよ』がシリーズ化し、国民的アイドルとなった渥美清は、寅さんのイメージを崩す映画・TVなどの出演を断り続けたと聞きます。森﨑東が監督した『男はつらいよ』第3作にも「これは『寅ちゃん』じゃない」と言ったそうです(注6)。もし寅さんがシリーズ化しなかったら(もしトラ?)、渥美清は森﨑監督の怒劇で大暴れを続けていたのかもしれません。

 映画界の不況や時代の変化と共に社会に怒りや問題をぶつける怒劇映画は求められず、作れなくなっていったようです。6年間の映画監督業ブランクのあと、森﨑監督がメガホンを取ったのがこの『時代屋の女房』。
 その後再び怒劇『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(1985年)などの社会性の強い映画や、『釣りバカ日誌S(スペシャル)』(1994年)などの軽いコメディを撮ったりしたあと、最後の作品、キネマ旬報日本映画第1位に輝いた2013年の『ペコロスの母に会いに行く』は、認知症介護施設に入った母と息子の、優しく愛おしい物語。そこには怒りをぶちまける男の姿はなく、その映画が初めて第1位に選ばれた・・・80代半ばの老いたる監督の胸にはどのような思いが去来したのでしょう。森﨑監督はその後体調を崩し、2020年に92歳で没。

 『時代屋の女房』は夏目雅子と、アブサンと、渡瀬恒彦と、1999年に36歳で自ら命を絶った沖田浩之の記憶を留めておく映画。ほかの主な出演者の多くも今は亡く・・・。
 真弓が時代屋の商売をめぐって、静かに死のうとしている物を無理やりに生き返らせて、あたしたち残酷なのかしら、といみじくも言ったように、この映画のことを今さらあれこれ言うのは酷なのかもしれません。
 TVドラマ(2006年)では大塚寧々、続編の『時代屋の女房2』(1985年/監督:長尾啓司)では名取裕子が演じている真弓。十分とは言えないにしても、どこか消えてしまいそうなところのある夏目雅子が、やはり一番似合っている気がします。

 

(注1、2、5、6)
「新・監督は語る『森﨑東』」映画評論家・キネマ旬報元編集長植草信和氏の1997年のインタビュー映像より(2022年/衛星劇場
(注3)
のぞきからくりの「不如帰」のまじめな口上は『長屋紳士録』(1947年/監督:小津安二郎)の中で、笠智衆が巧みに演じています。
時代屋の女房』に出てくるもう一つの演目は「八百屋お七」です。
(注4)
Wikipedia「荒井晴彦」

(参考)
「森﨑東監督との大衆映画についての論争」(『監督の椅子』白井佳夫話の特集(株)/1981年)より
森﨑監督と白井佳夫師匠とは親しい友人で、夜を徹して議論をした仲だったそうです。

◆関連する過去記事

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予告編 次回6月21日(金)公開予定

「この映画、猫が出てます」をご愛読いただきありがとうございます。

次回の作品は

時代屋の女房』(1983年/日本/監督:森﨑 東)

銀色の日傘に猫を抱いて歩道橋を下りて来た若い女。古道具屋の「時代屋」に住みついて、主の安さんは幸せと不安を一度に噛みしめる。

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アスファルト・ジャングル

50万ドルの宝石に群がった男たちが次々命を落とす。マリリン・モンローが花を添えるフィルム・ノワールの名画。

 

  製作:1950年
  製作国:アメリ
  日本公開:1954年
  監督:ジョン・ヒューストン
  出演:スターリング・ヘイドン、サム・ジャッフェ、ルイス・カルハーン
     ジーン・ヘイゲンマリリン・モンロー、他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    食堂の男がかわいがっている猫
  名前:不明
  色柄:黒っぽいトラ(モノクロのため推定)

◆黒い映画

 前回はニトログリセリンの運搬をめぐるサスペンス『恐怖の報酬』の、ウィリアム・フリードキン監督のオリジナル完全版(1977年)とアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の1953年版をご紹介しましたが、今回の映画にもニトログリセリンが登場します。主人公を含む4人組の男たちが宝石を盗み出すため、金庫のドアをニトログリセリンで爆破するのです。
 1940~50年代、アメリカでフィルム・ノワールと呼ばれる特徴的なスタイルの映画が出現します。『アスファルト・ジャングル』もその代表的な作品のひとつ。フランス語で黒を意味するノワールと言うからにはフランスの映画を指すような気がしますが、従来のアメリカ映画と傾向の違う、この時期のこうした作品群をフランスの批評家がそう呼んだため、ノワールという呼び名が定着したそうです。黒っぽい画面、舞台は大都市、犯罪、運命の女、陰鬱な展開などのいくつかの特徴を備える映画を指してそう呼ぶようですが、何がフィルム・ノワールの決定的因子かという定義は明確ではないとのことです。重要なのはその空気感と言ったところでしょうか。
 このブログの中で取り上げた映画の中では、アラン・ラッドとヴェロニカ・レイクが共演した『拳銃貸します』(1942年/監督:フランク・タトル)や、ラナ・ターナーが主演した1946年の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(監督:テイ・ガーネット)もフィルム・ノワールに入ると言ってよいと思います。
 この映画のもう一つの注目はマリリン・モンロー。まだブレイク前の脇役なのですが、一目で人を惹きつけるまぶしいほどの輝きを放っています。彼女だけがノワールではないような・・・。

◆あらすじ

 アメリカ北部のとある都市。
 主人公のディックス(スターリング・ヘイドン)は強盗で小金を稼いでは競馬につぎ込んでいる。彼が出入りしている競馬のノミ屋の男のところに、ある日刑務所から出たばかりの知能犯ドック(サム・ジャッフェ)という男が訪ねてくる。彼は刑務所に入る前に計画していた50万ドルの宝石の窃盗を実行したいと考えていた。金庫破り役と、運転手と、用心棒が必要で、軍資金を提供してくれるスポンサーとして金持ちの弁護士エマリック(ルイス・カルハーン)をノミ屋に紹介してもらう。エマリックは実は破産していて、ドックたちが宝石を盗み出したら宝石を預かったふりをして外国に高飛びしようと考えていた。
 盗みの当日、ディックスも用心棒として参加する。金庫を爆破すると警報システムが作動し、警察がまたたく間に駆け付ける。ドックとディックスは宝石の金を受け取ろうとエマリックの家に盗み出した宝石を持ち込むが、エマリックが金を用意していなかったので怪しんでいると、エマリックとぐるの私立探偵が宝石の横取りを狙ってディックスをピストルで脅す。ディックスは咄嗟に探偵を撃ち殺すが、自分も脇腹を撃たれて傷を負う。ドックとディックスは宝石を持って逃げる。
 エマリックは窃盗団との関係を警察に察知されるのを恐れて探偵の死体を川に投げ捨てる。愛人のアンジェラ(マリリン・モンロー)にその夜は彼女の家にいたとアリバイの口裏合わせを頼んだが、警察にばれ、エマリックは自殺する。
 ドックとディックスは別々に逃げる。ディックスは彼を愛する女性・ドール(ジーン・ヘイゲン)と共に故郷のケンタッキーを目指し、負傷を押して車を走らせるが・・・。

◆カウンターで食事

 30代半ばくらいと見えるディックスは街角で小さい食堂を経営する同年代のガス(ジェームズ・ホイットモア)と親しくしています。強盗の後にこの店に寄り、いつものように拳銃を渡してレジスターの引き出しに隠してもらうという間柄。ガスも宝石盗みのときに運転手に選ばれ、裏社会では名の知れた存在なのでしょう。そのガスは猫好きです。
 ある夜、ディックスがガスの店に入ると、ガスがかわいがっている猫がカウンターの上で背中を撫でられながらお皿に盛られたごはんを食べています。ガスがディックスに、猫が夜になると活発になるなどと話しかけると、雑誌を眺めて休憩していたトラック運転手が「あんまり猫に食わせるな」「頭に来てひき殺したくなる」「飢えてるガキもいるのに」と、ガスを非難します。途端にガスは烈火のごとく怒り出し「猫を殺したら張り倒すぞ」と運転手をねじり上げて店の外につまみ出します。
 猫好きでない人間は、大事にされている猫を見るとねたみの気持ちが燃え上がるのでしょうか。ガスの怒りはごもっともとしても、このやり取りから見えてくるのは彼の短気で粗暴な性格。そんなガスを演じたジェームズ・ホイットモアは『ショーシャンクの空に』(1994年/監督:フランク・ダラボン)で、刑務所から仮出所後、変わり果てた世の中に適応できず自ら死を選ぶ老人の役を演じています。
 黒っぽいトラのアメリカンショートヘアと見える猫が登場するのは始まってから12分45秒頃から15分12秒くらいまでの2分半ほどです。ガスの店でのこのシーンは途中でカットをつないでいない長回し。猫は最後にガスを振り返ってニャ~ンと鳴くまで、黙々とごはんを食べ続けています。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆悲しい思い出

 主人公のディックスという男、この町で常習的に犯罪を重ねる前科者で、ガス以上に短気で粗暴。
 映画の開始早々、早朝の人っ子一人いない町を、警察無線の声を響かせながらホテル強盗の犯人をパトカーが追っています。ゆっくりとなめるように移動するパトカー、回廊のような柱の陰に隠れる長身の主人公。キリコの絵を思わせるシュールな映像。フィルム・ノワールの幕開けにふさわしい乾いた空気です。
 この映画の登場人物は根っからの犯罪性格というより、人生のどこかで良心がこわれてしまったような人たちばかりです。
 フィルム・ノワールをもじって韓国の犯罪映画群が「韓国ノワール」と呼ばれていますが、その殺伐とした描写、残虐性、犯罪者たちの悪そのものともいえる人格などに比べたら、この映画の人々は中高生のワル程度にしか見えないかもしれません。
 ディックスは、ケンタッキーで祖父や父たちが営む大きな牧場に生まれました。競走馬として有望な黒い子馬をとりわけかわいがっていたのですが、経営が行き詰まり、牧場は人手に渡ってしまいます。希望の星だった子馬も、手放さないでと親に必死に訴えましたが、売られてしまいました。絶対に牧場を買い戻してやる、と誓ったディックスがどのような歩みを経て強盗の常習犯になってしまったのかはわかりませんが、彼が有り金を競馬につぎ込んで一攫千金を夢見ているのにはそんな生い立ちが影響しています。
 ディックスは宝石泥棒には当日の用心棒としてスカウトされただけで関与は薄いのですが、宝石を横取りしようとした探偵を撃ち殺してしまったために負傷を押して逃げようとします。

◆脇が固める

 そのディックスを演じたスターリング・ヘイドン、196cmと大柄で大木のような体。この映画ではアクションと言えるほどのアクションも見せませんし、演技の点で記憶に残るものがありません。『拳銃貸します』で、やはり不幸な生い立ちの悪役のアラン・ラッドが小柄な体でキビキビと動き回り、時にはキメポーズも見せていたのとは好対照。
 スターリング・ヘイドンは、このブログで紹介した映画の中では『ゴッドファーザー』(1972年/監督:フランシス・フォード・コッポラ)と『ロング・グッドバイ』(1973年/監督:ロバート・アルトマン)に出演しています。『ゴッドファーザー』ではアル・パチーノ演じるドンの息子に撃たれ、顔面をしたたかテーブルにぶつけて倒れる悪徳警官の役。『ロング・グッドバイ』では小説家役で登場していますが、映画自体のせいでもあるのですけれど、ただヌーッと大きい人が出ていたという印象。
 『アスファルト・ジャングル』では他の俳優たちの強い個性が主役より目立っています。
 ドックを演じたサム・ジャッフェは、いかさま師っぽい顔つきで真ん丸の目玉、細い葉巻をくゆらし、怖そうには見えないけれど胡散臭いおっさんぶりで、主役を食ってしまった張本人。この映画で1950年度のヴェネツィア国際映画祭男優賞を受賞しています。
 このドック、ディックスと別れて逃げ、タクシーを拾って、途中、郊外の食堂で腹ごしらえをします。そこでジュークボックスの音楽で踊っていた十代の男女に目を留めます。お金をそれ以上持っていなかった彼らに、もっと音楽をかけなさいと小銭をあげ、女の子が選んだ曲で嬉々として踊るのを、タクシー運転手にせかされているのに1曲見入ってしまったドック。その曲の間に警官が店にいるドックを見つけ、待ち構えて逮捕します。7年も刑務所に入っていた中年男が、はやりのダンスを躍動的に踊る若い女の子を食い入るように見つめる・・・ドックを頭脳犯から一人の男に返した人間性が墓穴を掘ります。

◆適役

 悪事と悪事の間を泳いで富豪の地位を築いた大物弁護士役のルイス・カルハーンも好印象。裏の顔は全くにおわせない上流紳士ぶりに、娘ほど年の離れた若い愛人に「おじ様」と甘えさせる年相応の色気がなければならない役として、理想的なキャスティングではないでしょうか。けれど、法に明るい巨悪の主にしては、宝石を横取りして外国に逃げるなどとずさんな計画を口にするのは似合わないなあ・・・(注)。
 そして、彼の愛人アンジェラ役として登場したマリリン・モンロー。ソファの上でまどろむ肢体、肩の開いたドレス、旅行に行きたいとはしゃぐ無邪気さ、刑事に追及されてすぐ自白してしまう幼さ、のちのセックスシンボルとしての彼女の原型をここで見ることができます。彼女はこの映画の後、同じ年に公開された『イヴの総て』(1950年/監督:ジョセフ・L・マンキーウィッツ)にも新進女優役で出演しています。どちらの映画でも、初々しい中にも明日のスターを目指す貪欲な意志が垣間見えます。

◆故郷へ

 ディックスの故郷のケンタッキーを目指しての10時間の自動車での移動には、ジーン・ヘイゲンの演じるドールという女性が付き添います。ディックスが故郷の牧場への思いを語った唯一の相手は彼女。クラブで働いていた彼女は、職も住まいも失って転がり込むようにディックスのところにやって来ます。涙で黒々と流れ落ちるマスカラ、ディックスの目の前でつけまつげをはがし、体裁を気にするような間柄じゃなしとでも言いたげ。できればそのまま彼の懐に飛び込みたいという下心がありありですが、冷淡にあしらうディックス。けれども、わき腹に銃創を負った彼に代わり運転手を買って出る形で、彼女はディックスに尽くそうとするのです。ここでもスターリング・ヘイドンを補って余りあるジーン・ヘイゲンの熱演。悲劇的なラストが胸を詰まらせます。

 ラスト手前、ディックス以外の窃盗関係者を確保した警察のお偉方は、悪人たちをジャングルに逃げ込む猛獣にたとえ、市民のために彼らを野放しにしない決意を厳しい表情で語ります。ここは題名の由来と共に、犯罪や犯罪者を美化しないという当時の映画業界の自主規制のもと、悲しいラストでディックスに観客の同情が集中するのを抑えるために挿入したシーンでしょう。
 終盤に近づくにしたがい、始まりとは裏腹にウェットさが増し、どことなく松本清張原作の日本映画を見たときのような気持ちに・・・。この余韻はヒューマン・ノワールとでも呼ぶべきか。
 同じジョン・ヒューストン監督のフィルム・ノワールの代表作『マルタの鷹』(1941年)で、主役のハンフリー・ボガートが出づっぱりで長台詞を駆使、スター主導で気を吐いていたのとは趣を異にする、後を引く作品です。

 

(注)ルイス・カルハーンは『八月十五夜の茶屋』(1956年/監督:ダニエル・マン)という日米提携映画で来日中に、心筋梗塞で奈良で客死してしまったそうです(Wikipedia

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予告編 次回6月10日(月)公開予定

「この映画、猫が出てます」をご愛読いただきありがとうございます。

次回の作品は

アスファルト・ジャングル
(1950年/アメリカ/監督:ジョン・ヒューストン

宝石窃盗に加担した男は人を殺め、故郷の牧場へ逃げ延びようとする。
ブレイク前のマリリン・モンローが出演する悲劇のフィルム・ノワール

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