この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

まごころ(1939年)

小学6年生の富子は母親と親友の父親が昔結婚を望んでいたという話を聞かされる。
2025年に生誕120年の成瀬巳喜男監督が戦時色の中で子どもの心をきめ細やかに描いた秀作。

 

  製作:1939年
  製作国:日本
  日本公開:1939年
  監督:成瀬巳喜男
  出演:入江たか子、高田稔、村瀬幸子、悦ちゃん、加藤照子、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    主人公の親友の家の飼い猫
  名前:不明
  色柄:三毛(モノクロのため推定)


◆女性映画の名手

 今年2025年は成瀬巳喜男監督の生誕120年。1905年8月20日生まれで、1969年7月に63歳で亡くなっています。
 生前に残した映画は87本。初監督作品は1930年の『チャンバラ夫婦』という30数分のドタバタ喜劇。遺作は加山雄三が主演した1967年のメロドラマ『乱れ雲』です。
 なんでもない日常の描写から登場人物の微妙な心の動きを映し出す巧みな手腕。が、初期は映画関係者からの評価は厳しかったのだとか。芽が出たのはこのブログでも紹介した現存する最古の作品『腰辨(こしべん)頑張れ』(1931年)。
 時々名画座でやる成瀬監督特集にはシニアのお客さんがよく入ります。どうやらお客さんはヒロイン目当てで来ているよう。銀幕のスターの名にふさわしい、千葉早智子(一時成瀬監督と結婚)、入江たか子山田五十鈴原節子高峰秀子らが、ご近所の女房のように生活の辛苦をなめる。そんな手の届きそうな女性俳優の姿を求めて、オールドファンたちはやって来るのかもしれません。

 成瀬監督には、女性だけでなく子どもを描いた優れた作品も見られます。今回は石坂洋次郎原作で、ちょうど夏休みに入った頃の小学6年生の多感な女の子と親たちの心の綾を描いた戦前の映画『まごころ』をご紹介いたします。
 このブログでは、化け猫や怨念を抱いた老女優といったキワモノ的な入江たか子の出演作品を多く紹介してきましたが、『まごころ』では慎ましい母親役。飾り気のない自然な美しさに見惚れてしまいます。
 そして先日ご紹介した『たそがれ酒場』(1955年/監督:内田吐夢)で、歌劇団主宰者役を演じた高田稔が、入江たか子の演じる女性とかつて結婚を望んでいた相手として登場。40歳直前の二枚目ぶりをぜひご覧あれ。
 黒澤明監督の『八月の狂詩曲』(1991年)のおばあちゃん役が映画としての最後の出演となった村瀬幸子が、憎まれ役を演じています。

◆あらすじ

 小学校6年生の長谷山富子(悦ちゃん)は、父が亡くなり、仕立物で生計を立てる母の蔦子(つたこ/入江たか子)と祖母と暮らすしっかり者。同級生の浅田信子(加藤照子)は裕福な家で伸び伸び育った活発な子。性格も境遇も対照的だが二人は大の親友だった。夏休み前、通信簿が配られ、いつも1番の信子は10番に落ち、富子が1番になる。二人はそんなことは気にせずお互いを褒め合う。
 信子の母親(村瀬幸子)は通信簿を見て、前の担任に比べて評価が低いと今の担任教師にクレームをつけに行く。だが逆に信子の欠点を指摘され、1番になったのは富子で、学校中の模範生だ、これは母親の力によるものだ、と聞かされる。夫の敬吉(高田稔)が富子の母の蔦子と以前愛し合った仲だったと知っていた信子の母は穏やかではなかった。
 夜、信子が寝ている間に信子の母は夫の敬吉に教師から聞いた話をし、「まだ蔦子さんと一緒になった方がよかったと思っているのでしょう」と泣く。信子は目を覚ましてその話を聞いていた。
 翌日、信子は学校で、うちのお父さんとあなたのお母さんが若い時分夫婦になりたかったんだって、と富子に話す。二人は半信半疑で、次第に悲しくなってきて涙を流す。
 富子は帰ってから、信子のお父さんと結婚したかったというのはほんとうか、死んだ父親はいい人だったかと母の蔦子に聞く。母は敬吉とは何もなく、父親はいい人だったと言うが、祖母は、お前の父親は大酒飲みのろくでなしで蔦子やお前を苦しめた、と明かす。富子はショックを受ける。
 気分転換に川遊びに出かけた富子は信子と出会う。信子は川の中で足の裏を切り、富子が家まで走って薬と包帯を取りに行く。富子の母も一緒に河原に駆け付けるが、信子の傍らには近くに釣りに来ていた父の敬吉が付き添っていた。言葉を交わす蔦子と敬吉を富子と信子はじっと見つめる。
 翌日信子の父から立派なフランス人形がお礼として富子に届く。蔦子は敬吉が信子の母に黙ってこんなことをしたのでは、と受け取るのをためらう。富子は人形が欲しかったが、母親の困った顔を見て黙って人形を浅田家まで返しに行く。
 信子の母はやはり敬吉と蔦子が会ったことも人形のことも聞かされていなかった。偶然それを知った信子の母は、蔦子と何かあるのかと敬吉に詰め寄る・・・。

◆ピアノのある家

 昭和初期の恐慌を経て1937年に日中戦争が始まり、戦時色の強まる時期だったこの映画で、裕福な信子の家にはピアノが鎮座しています。信子がピアノに向かうと鍵盤のところに、ジャパニーズボブテイルと海外の猫好きに人気のしっぽの短い三毛猫が1匹、ちょこんと坐っています。かわいい首飾りをつけてもらって大事にされているようです。
 信子が元気よく弾き出したのは「ねこふんじゃった」ならぬ「村のかじや」。しばらく見ていた猫は鍵盤から飛び降りて信子の足元のペダルのあたりに潜り込み、これにて出番は終了。信子の演奏も終了。開始から11分45秒から20秒ほどの間です。
 あっけない登場ですが、成瀬監督の映画には、こんな感じでワンポイントで猫が出てくるものがよくあります。
 ワンポイントと言えば、成瀬監督が必ずと言っていいほどチンドン屋さんをワンポイントで画面に登場させたことは有名です。あるとき新作の撮影に入った成瀬監督のもとに、声もかけていないのにチンドン屋さんの方からやってきたという伝説もあるほど。
 『まごころ』にはチンドン屋さんは出てきませんが、チンドン屋さんの初登場はどの映画だったのか知りたいですね。現存する作品の中では『腰辨頑張れ』の次に古い『生さぬ仲』(1932年/17本目)には既に登場しています。初期の作品が失われてしまっているのが惜しまれます。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆親の秘密

 舞台は甲府市相川周辺。映画が始まると甲府駅の前を、兵隊らしき7、8人の男性を先頭に、着物に割烹着を付け「大日本愛国婦人会」のたすきをかけた40人ほどの女性たちが隊列を作って通り過ぎます。信子の母は女性たちのリーダー。主だった者に声をかけ、これから集まって打合せをしましょうと仕切っています。会のメンバーがそんな信子の母について、ご主人は婿養子で、学生のとき浅田家が家に住まわせ、学資を出していたと噂話をしています。その敬吉は現在は銀行で出世を遂げています。
 信子の母と結婚する前、敬吉と蔦子がどんな仲だったかは描かれてはいませんが、お互いにいつかはこの人と、という思いを抱いていたところに、書生として浅田家にいた敬吉が見込まれて信子の母との結婚話が持ち上がり、蔦子が身を引いて先に富子の父のところに嫁いだ、と考えてよさそうです。信子の母はそんないきさつから蔦子に対抗意識を持っていたところ、信子に代わって蔦子の娘が1番になったため、なおさら悔しかったのでしょう。どうせ自分の生んだ子は出来が悪い、蔦子の子どもは優秀だ、と夫にからんで泣き出します。
 自分の成績が落ちたことをきっかけに両親が喧嘩し、富子の母と自分の父が結婚したいと思っていたという昔のことを蒸し返して母が泣いている――信子は眠れぬ一夜を過ごしたに違いありません。

◆大人へのステップ

 翌日、信子が学校で富子をつかまえて富子の母と自分の父との話をする様子が、なんとも少女らしい。信子は初め、まるで他人事のように富子にその話をします。何でもないように話すことで、何でもないことだと思おうとしているかのようです。けれども富子が次第に真顔になり、複雑な表情を浮かべるようになると、信子も真剣な顔になってきます。
 富子が泣きだしたのを見て、信子も抑えていたショックを思い出したのか、富子に見えないようにして涙を拭います。
 校舎の陰で両親の秘密の話をしている夏の昼。大人の世界を前に立ちすくんでいるかのような二人の少女。子どもの頃どこかで自分もこんな風に涙をこらえたことがあるという記憶が揺さぶられます。
 さらに富子に至っては、父親がダメ人間だったという現実を突きつけられます。そんなショックの冷めやらぬうちに、富子は信子の足の怪我で敬吉と初めて接します。蔦子に対する敬吉の態度は礼儀正しく、馴れ馴れしくもなくギクシャクした様子も見られません。富子も信子も母と父のふるまいに一安心。
 信子をおんぶして先に帰る敬吉の頭を信子がぎゅっとひねって、見送る富子と蔦子に挨拶させる。それを見ていた富子も母におんぶをねだり「お母さんもさよならしなくちゃ」と、信子と同じように母の頭を振り向かせます。過去と区切りをつけるためでしょうか。校舎の陰で涙を流したあのときより、富子は一段成長したようです。

◆女性の心得

 このあと、敬吉が贈った人形を巡ってひと悶着あるのですが、蔦子に会ったことも人形を贈ったことも聞かされていなかった信子の母が、偶然それを知って敬吉に詰め寄ったとき、敬吉は召集令状を手にしていました。そして、お国のためにご奉公できるという喜びと別に、お前から遠ざかれるという喜びと、自分が不在になれば信子がますますお前に似て来るのではないかという不安を感じた、と妻に告げるのです。確かに信子の母は行き過ぎのところもありますが、そこまで言うかとびっくりしてしまいます。
 これは戦時体制下、女性のあるべき姿を伝える形でこの映画が作られていることを示しています。
 『まごころ』が公開された前年の1938年には国家総動員法が施行され、男も女も老人も子どもも戦争協力に巻き込まれます。翌1939年には映画法の施行により、映画の戦争プロパガンダ利用が本格化します。
 映画の冒頭の「大日本愛国婦人会」は1901年に発足した愛国婦人会を擬していると思われ、愛国婦人会は大日本連合婦人会、大日本国防婦人会とともに、女性の教育・指導を目的に戦時体制に利用するため、1942年に国によって大日本婦人会に統合されます。1930年代には、家庭教育は母親の役割という考え方が当時の文部省からこれらの婦人団体などを通じて浸透していったようです(※)。

◆戦時下の映画

 母親がしっかりしていればすばらしい子どもが育つ・ないしはその逆であるとか、子どもの教育は母親の責任という考えは、この映画では、富子が模範生なのは蔦子という母親のおかげ、という担任教師の発言や、信子の母が用事で出かけてばかりなので信子の成績が落ちたという敬吉の言い分、死んだ夫がろくでなしでも女手一つで蔦子が富子をしっかり育て上げたというエピソードなどに現れています。
 また、信子の母が浅はかなふるまいをしたあげく夫から疎まれるというのは、信子の母のような女を悪い見本として戒めていると受け取れます。
 夫が兵役で不在になったり亡くなったりしても、妻が一人で立派に子どもを育て、その子をお国に奉仕させるよう、女性教育が戦時下で求められていたのです。母の役割以外にも、『まごころ』には国民にお手本を示すような教訓的な部分がいくつかあります。
 こうした窮屈な映画づくりにおいても、母と父の昔の恋愛を知って泣きべそをかいたり、「わたしたちきょうだいだったかもね」と話す二人の少女の純粋な姿や、甲府の優しい風景の描写などから、成瀬監督ならではの抒情性がいささかも侵されていないことを知ることができるでしょう。

 富子を演じた悦ちゃんは、このあと1940年公開の『お転婆社長』(監督:藤田潤一)、信子の加藤照子は、1942年の『ハワイ・マレー沖海戦』(監督:山本嘉次郎)1944年の『一番美しく』(監督:黒澤明)のあと、調べた範囲では映画出演の記録がありません。終戦まで、またその後をどのように過ごしたのでしょうか。

 子どもを描いた成瀬監督の映画の中で私が特に好きなのは『秋立ちぬ』(1960年)。夏休みの小学生、訳ありの親、出会いと別れ・・・。カブトムシは出てくるのですが、残念、猫が出ていません。

(※)参考:『昭和の女性史』(岩波ブックレットNo.132/鈴木裕子岩波書店/1989年)

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